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蔵元として、日本酒を愛するということ

玉乃光は京都に移って70年

玉乃光の京都での歴史は、第11第蔵元の宇治田福時さんが創業の地和歌山県から京都に移転したところから始まります。戦争の和歌山大空襲で蔵が焼けてしまい、それをきっかけに京都伏見に移ってきました。

実は、私も福時さんの晩年に少しお会いしたことが、あるだけできちんとお話させていただいたことはありません。20年選手の従業員の人でさえ、ほとんど福時さんとコンタクトを取ったことがないし、その後、話を聞く機会もなかったみたいですね。

福時さんの偉業

玉乃光の事業を大きくしたのは福時さんです。だから、全従業員に福時さんのことは知っておいて欲しいので、定期的に私から全従業員にお話させてもらっています。

どういう考え方をしていて、何をしたのかっていうのはやっぱり後を継いでいく従業員が理解していないといけない。

なぜなら、私たちは福時さんのおかげで今もビジネスさせてもらっているからです。

福時さんは戦後、純米酒の復活を業界に先駆けて行いました。今は有名になった幻の酒米雄町を岡山県の農家さんにかけあって復活させました。そして、当時の日本酒の等級制度(1990年に廃止)に対する強烈なアンチテーゼもありました。

福時さんの考え方は、今の時代に合わない部分もありますし、表現の方法が今見るとよくなかったりもします。でも本質的な部分では筋が通ってるし、我々の軸になると思うんです。そこをみんなで分かり合えたらなと思うんです。

福時さんの著書[士魂商才]

私も昨年9月に社長に就任してから、いろいろと調べました。いろんな人に話を聞きました。福時さんが書かれた本も読みなおしました。

「士魂商才」は福時さんが執筆された本です。福時さんの考えがドストレートに表現されています。今の時代だったらとても表現できないくらい、ドストレートな日本語で描かれているのですがすがしいですよ。今となっては手に入れることが難しいですが、それでいいと思います。間違いなく炎上します。笑。

日本酒と料理の考えについての福時さんの考えを紹介しますね。こちらは本からの抜粋です。

『日本酒と料理の関係というのは、日本酒は主で、料理は家来です。料理は日本酒というマスターの引き立て役をやっているにすぎない。~中略~日本酒は主人公です。家来に合わす主人なんかいますか。そうでしょ。』

日本酒は料理の引き立て役で、薄味の京料理に合わせるために玉乃光のお酒は香り穏やかなんです。って、私はよく説明するんですが、福時さんはそんなこと考えてなかったみたいです。とにかく本物の日本酒を造りたい福時さんは、なんでも日本酒軸で語るわけですよ。

蔵元として一番大切な日本酒を愛するということ

これは私に圧倒的に足りない部分だなぁと感じています。日本酒はこうあるべきだということを、周りの意見関係なく押し通すというのは、すごく大切ですよね。いいとか悪いとかではなく、こういうものでありたい。という信念が、世界を変えるからです。

そして、福時さんはこうも言われています。こちらはその章の最後に記さている福時さんの言葉です。

『もっとも料理屋には、まったくこの逆の発想があってもいいわけです。すなわち「日本酒は料理の引き立て役にすぎない」と。』

きっと、福時さんは酒蔵は日本酒を主役に考えて、料理屋は料理のことを主役に考える。そうやって、切磋琢磨することで、最高のお酒と料理の関係ができると考えていたんじゃないかなって、思いました。

酒蔵としては、日本酒をこうあるべきだと考え続けることは今も昔も変わらず大切です。その答えは時代によって様々です。私も今の時代にあった日本酒のあるべき形を考え続けます。


【運営会社】
■玉乃光酒造 https://www.tamanohikari.co.jp
■京伝びと http://kyodenbito.co.jp/

【ブランド】
■禅利 https://www.zenrikyoto.com/
■叶芽 https://kaname.salon/

【玉乃光酒造 第14代蔵元 羽場洋介】
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