見出し画像

母とここ数年の話、そして潮騒の祈り

Facebookに直接書こうと思ったのですが
ものすごく長くなったのでノートにしました。
しかも長いので飽きないように写真とかも入れちゃう!
移動しながら朝から書き始めて午後になった!

こんにちは、ひがくぼかおるです。

さて、12月29日である。
あと3日で、なんと2025年!

冬休みに入ってる方も多いのか
なんとなくのんびりした空気の朝
私は母の入院する病院へー

実は彼女は10月に入院していて
最低でも3ヶ月とのことでしたが
めでたくだいたい3ヶ月で退院!

思えば2020年の年明けに倒れてから
入退院を繰り返しつつ、
施設のショートステイを
ロング利用するという裏技のような形で
どうにか日々を過ごしていたり

一時は、自宅復帰も出来ると
思えるくらいに回復し
実家のあらゆるところを
リフォームしてその日を迎えたのですが
目算は甘かった…

寝たきりの状態からすごい回復力で
活発になったと思いきや…
若干、操に寄っていたんだなぁ。。という頃。

10日くらいは付きっきりになれるよう
仕事を調整して実家に戻ったけど
一週間も保たずにガッタガタでした。
母も私も。

2020年に倒れてからの
一週間もそうでしたが
この時の一週間も
朝も、昼も、夜もなく
「過酷」の一言。

自宅で介護をしている人々は
本当にすごい。

記録として残したこの時の写真は
とっても悲惨なので
美味しかった差し入れのお菓子を

そんなガッタガタからの入院は長引いて
2022年末には退院できるまでに
回復してたけど
今度は、母の既往歴と状況から
退院後の受け入れ先が見つからず

本当に途方に暮れていて
救急病院なのに特別差額フロアに移ることで
長期入院させてもらったり
金銭的には、ひっ!という感じでしたが
とてもありがたかった

2023年春に
これからずっとお世話になれる
特別養護老人ホームが決まって
運良く順番待ちもさほどせず
早めに入所ができて
今回の退院後も自宅同様、
そちらに帰ることができます

私の母なのに
通院の付き添いなどに行くと
スタッフさんが
「ありがとうございます」
と仰ってくださるという…

仕事とはいえ
人の生活に寄り添うというのは
本当に大変なことだと思うのに
いつも笑顔で
柔らかい言葉で話してくれて
頭が上がらないです

うちの母は元気な時は社交的だし
周りに気遣いし過ぎるくらいだけど
(だから具合悪くなるのだろうけど)
波があって、不穏な時には
本当に手を焼く

最近は体力も落ちてきたからか
堪えが効かず、乱暴になってたとのこと
なのに、今回の入院も

「スタッフが手に負えないから入院」
ではなくて
「お母様が辛そうだから」
と。

私は申し訳なくて…
もうサッサと入院させちゃおうぜ!
みたいな気持ちでしたが

今までは症状が重くなると
先生からの「入院しますか?」の問い掛けに
「入院したい」と答えてきた母が

母なりに年齢的なこととか、
入院までのスパンが
少しずつ短くなってきてることから
「次に入院したら、退院できないかも」
と頭を過っているようで

「入院したくない」と。

そんなわけで結果、
措置入院となったわけですが
(精神保健福祉法29条に定める入院方法)

施設スタッフさんや看護師さんは
母がごねている間は
「これくらいなら対応できますよ、大丈夫」
と言って、お医者様からの
「もう少し様子を見ましょう」という言葉に
ギリギリまでがんばってくださって
ほんとに感謝

退院が決まった時も
喜んでくれて

今まで私は

母の回復&退院が決まる
それはすなわち、
【新たな険しい道の始まり】

でしかなく
全く喜べず、嘆息しか出なかったので

自分の母に、
回復を素直に喜んでくれる人が
いるということを
まるで他人事のように
「よかったなぁ」と
思ったりするのです。

あぁ、
これが全部、たった4年の出来事か…!
振り返って驚き。

え…ほんとに?
10年くらいの出来事かと…。

まぁ、母の持病といえる病気の発症は
私が生まれる前からなので
母の病気の波とはもちろん
私が生きてる年数分の付き合いなのです。

なぜかスマホのカメラロールに入ってた
小4くらいの私。
8つ上の姉のお下がりを着るのが
「大人っぽい」と気に入ってたので
実際以上に年代を感じる雰囲気…笑

色々な母娘関係があると思うけど
そんなわけで、いわゆる素直な
「母への思慕」のような気持ちを
持ち合わせていない私は

この数年間は
母への心配なんかよりも
ただただ、

すごーく重い責任とプレッシャーとか
人の命とか善意とか悪意とか色んなものを
背負ったり、それに立ち向かったり
ひとりで闘うような気持ちでした。

はぁー
それって、でも
いつまで経っても子どもってことなのかなぁ
なんて思ったりもしますが

いまはとても穏やかな気持ちで
病院に向かえていることが
とてもとてもありがたい

さて、なんでこんなことを長々と
つらつら書き連ねているかというと

年末だし、母退院でひと区切り
ということもあるのですが

1月に出演するidenshi195『潮騒の祈り』
母と娘の話なのです。

台本を読んでいて
稽古をしていて
ふと過ぎる、ふと沸き立つ
自分自身の過去があり

やはり母との関係を
ちゃんと振り返るべきだなぁと
まずは、ここ数年のことを
書いてみました

idenshi195の高橋郁子さんは
そういった感情や記憶を使うやり方とは別の
安全なアプローチをしてくれているので
完全に自分が作品や役と向き合うために
選んでるプロセスです。
使えるものはなんでも使おう精神…笑

が、

そういえば…
という程、遠い記憶でもなく
自分自身の演劇的な原点の
ひとつといえる作品である

2006年に
加藤健一事務所俳優教室の
先輩である神谷美羽さん、
俳優で演出家の故・松本きょうじさんと
共同プロディースして、主演した
『蜜の味』作/シーラ・ディレーニーも
母と娘の話でした。

養成所を卒業した後はフリーで
これといった予定もなく

『審判』という一人芝居をやるために
加藤健一事務所を立ち上げた師匠の
弟子なので
「なんか自分でやるかなぁ?」くらい

『蜜の味』は、卒業前のある日
本屋さんでたまたま立ち読みして
「ぎゃあ、これはやるしかない…」と思い、
そんな私の話を聞いて台本を読んだ
松本きょうじさんも
「これは香の話だね」と乗ってくれて

なんとたまたまその時期に
きょうじさんに演出依頼を持ち掛けていた
神谷美羽さんが持ち込んだ台本も
『蜜の味』だったという奇跡!

こんなこともあるんだなぁ

しかも登場人物は5人
私、美羽さんと

カトケンの先輩で、戦隊モノや劇団四季に出演されてた芹澤秀明さん
元スタジオライフの児玉信夫さん
モダンスイマーズの古山憲太郎さん

という今考えると
めちゃくちゃ贅沢な布陣。

この作品はタイトルの可愛さから
手に取ったのですが
内容は救いようのない話でした

大きなお腹を抱え、
ひとりぼっちになった
主人公ジョーが泣きながら
「わたし、どうしたらいいの?」
というのが最後の台詞。

目の前は闇。
そんなラストシーン。

それが、きょうじさん曰く
「香の話」という…笑

1000名近くの方に
ご覧頂きました。

ありがとうございました。

さぁ、そこで
今回の『潮騒の祈り』

やはりこれも「私の話だなぁ」
と感じるのです。

でも、それは
私の個人的な記憶と
リンクするというだけでなく

きっとたくさんの人が
「私の話だ」と
感じでもらえる作品
なのではないかと

そんな予感がしています。

そして『潮騒の祈り』には
光がある。

今回、4チームでの上演
母と娘の話を
男性が演じるチームもあり

男女差、個人差、肉体なんてことを
私なりに考えたりするのですが
(結構、普段からこういうこと考えてるけど)

私自身は、
環境によって出来上がる個人差が
たまたまどちらの肉体を持ってる人が多いか
という比率で
「男だから〜」「女だから〜」という
ステレオタイプに繋がるんじゃないか
なんてことを考えたりしています。

人間は、承認欲求の前に
存在欲求というものを持っています。
(その辺り、私のセラピスト活動の領域)
それは生まれ持ってのもの
むしろ産まれる以前から
誰しもが持っているのだろうと

命はただ、そこに存在していたい

そして世の中のことを
まだ何も知らない段階では
真我の状態に近いのではないかと

その時にきっと
男女差なんて関係ない

『潮騒の祈り』は
母と娘という物語上の設定を超えて
誰しもが光を感じられる
そんな作品ではないかと感じています。

だから

観てほしい!
シンプルにお誘いです。

私の回じゃなくても
ぜひ、観てほしい。

他にも作品創りの緻密さやこだわりなど
観てほしい理由はたくさんあるのですが

それはまた書きます笑

観に来てください!

公演詳細&チケットのお求めはこちらから

[劇場]
performing gallery & cafe 絵空箱
東京都新宿区山吹町361談志堂ビル1-2階

一応、私が出演する下弦の回は…

・1/10(金)19:00
・1/12 (日)12:00

劇場でお会いできると嬉しいです。

全然関係ない写真で〆!
夏、庭で西瓜を食らう私!

前に書いた記事も埋めておきます!

いいなと思ったら応援しよう!

ひがくぼかおる 俳優・講師・セラピスト/自分らしく笑顔で生きるHSS型HSP
いただいたサポートは本などの学び代として大切に使わせて頂き、珠の泡沫の活動に反映させていきます。よろしくお願い致します。