作品の解釈
演奏には解釈がつきものだ。
ところで私はこの解釈とやらがどうも苦手である。
いや、言い直しておかなくては。私が実に居心地悪く感じるのは解釈という言葉なのだ、と。
随分偉そうに聞こえると感じないだろうか。私の解釈、私のワルトシュタインの解釈は~などと言われた日には、ひれ伏すしかないではないか。
昔から違和感があった。しかし私が敬愛する演奏家たちも用いている言葉だし、立派な演奏をするのだから気にすることもあるまいか、そんな感じで容認していた。
私の下した結論を書くが、ヨーロッパの演奏家たちが解釈という時、これは単に「自分はこう感じる」位の意味ではないか。
これだったら何の抵抗もなく受け取れる。ワルトシュタインはこれこれこんな感じだ、この部分はこんな風に感じる、等々。
日本語で解釈というと大上段に構えて硬直していないだろうか。憲法の解釈等々えらく難しい場面で使われる言葉でもあるから。
Interpretationという語を調べてみたら良い。翻訳という意味が載っているはずである。
私は長くドイツに住んだ割に語学が堪能ではないのであるが、思うにこれはかなり平易な意味合いの言葉なのではないだろうか。つまり自分はここはこう感じる、程度の。翻訳で意味を強引に捻じ曲げたらまずいでしょう?
そんなことを考えて、語学が堪能な生徒に(堪能もなにも、外国で育ったのだから)確認したことがある。
だいたい私が思ったような理解で良いらしい。
ヨーロッパの演奏家が語るのを見聞きし、解釈という語を聞いたら決して大げさな意味合いはないと知ること。そして日本語ではなるべく使わないで済むようにしたいものだ。
そうした言葉を発した時の硬直した心に気づいて貰いたい。