プログラムについて
豆腐が好きである。幸いにも私の住む町には旨い豆腐屋がある。
大学に入って間もない頃、電車から豆腐料理という看板を見つけた。都合の良いことに大学から徒歩で行くことができる距離にある。
早速食べに行ったのは言うまでもない。
初めてコース料理を食べるのだ、しかも大好きな豆腐の!私は奮発して8品料理を注文した。
今となってはどのような料理がどのような順序で出て来たのかもう思い出すことはできない。
当時私は若く物の道理をわきまえていなかった。せめて舌切り雀くらいは熟読しておくべきだった。
はじめの三品くらいまでは感動して食した。ほほう、豆腐がこんな風になるのか!そんな感じ。
次第にどの品が出ても豆腐の味がするのが鼻につき始めた。豆腐料理なのだからどれにも豆腐の味がするのは当然である。
当然なのだからと感覚を諌めるのは理性である。私は努めて理性的であろうとした。
しかし遂に理性は崩壊した。もう我慢がならない。その後は胸につかえるのを必死に抑えてひたすら食べ進むだけになった。
食べ残さずにいたのは支払ったものを残すのは勿体ないという経済的理性が働いていたに過ぎない。
豆腐が嫌いにならずに済んだのは幸運だったといえよう。こんなことになるのなら三品料理にしておくべきだった。
こんな昔のことを思い出したのはマズルカのレッスンをしていた時、これまた昔のことを思い出したからである。
学生時代、教授のひとりがマズルカ全曲演奏というリサイタルを開催した。
マズルカは実に美しい。私はショパンの作品の中ではマズルカが一番好きである。
それがどうだ、曲が進むにつれて苦痛になってきた。正確に言えば5、6曲でもう退屈になってきた。10曲も進んだ頃には残りの曲数を思ってうんざりしていた。
カウントダウンが始まり全曲が終わった時には刑期を全うした囚人のような気分になったものだ。もっとも囚人になったことは今の所ないのであくまで空想の域を出ないのだが。
この演奏会をした教授は豆腐料理を食べてみたことがなかったのであろう。豆腐料理の時と同様、幸いにもマズルカが嫌いになることはなかったのだが。
この手のプログラムは昨今よく見かける。これは私はここまで「勉強」しましたよ、という報告書に過ぎない。とてもではないが聴いていて楽しめないものだ。
バラード全四曲、ワルツ全曲、すべて感心しない。一度豆腐料理の八品料理を食べてみることをお勧めしよう。