たまにカフェを定泉寺(東京都文京区)で開催しました!
11月27日に、定泉寺さん(東京都文京区)のお庭をお借りして、”たまにカフェ”を実施しました。後述のとおり、”たまに”としてはテスト的に実施した色も濃く、当日は「まあ、たいした数の人は来ないよね」というざっくりとした予測のもと、「ときどきコーヒーを淹れながら、みんなでのんびり本でも読もう」と私自身(佐竹)も小説を持参していたのですが、蓋を開けてみると3時間でなんと65杯のコーヒーを淹れる盛況ぶり。”たまに”としても、多くの出会いや発見に恵まれた贅沢な時間を過ごすことができました。
1."たまにカフェ"とは
"たまにカフェ"は、気が向いた時に気が向いた人が、コーヒーやお茶を振る舞う場。私たち"たまに"は、ご近所さん同士が出会い、交流を深めるために、このような場を楽しく活用できるのではないかと考え、本当にたま〜に、しかも1回3時間だけ、屋台を使った実証実験を行っています。
2. “屋台でコーヒーを振る舞う”に込めた狙い
研究で得られた気づきに根ざした試行実験
“屋台、またはそれに近い装置を使って無料でコーヒーを振る舞う”というアイディア自体はすでに多くの方たちが実現されています。私が大きな刺激を受けた、喫茶ランドリーの田中元子さんやふじたしょうてんの藤田一輝さんもそう。元子さんの「フリーコーヒーめちゃめちゃ楽しいよー」という言葉や、藤田一輝くんの数々の経験談やアドバイスに刺激を受け、”たまに”のご近所さんをつなぐ活動でもぜひ「屋台&フリーコーヒー」で何が起こるか、何ができるかを試してみたいと思い温めてきましたし、ご近所さんをつなぐ晩ごはんシェアの仕組みを研究していた際に得られたインサイトからも、無料でコーヒーを振る舞うことの可能性について探ってみたいと考えていました。
上記の研究では、具体的には、ホストが食事を振る舞う一方で、ホストにはささやかなお願いをウィッシュリストの形にしてもらい、そのリストのいずれかをゲストに叶えてもらう形にしたのですが、一番最初に試した一般的なシェアリングエコノミーの仕組みを踏まえた晩ごはんのシェア(販売)の仕組み(Airbnbの晩ごはん版)と比較すると、育まれる場も、生まれるご近所さん間の関係性も抜群によかったのです。
晩ごはんよりもっと気軽に、もっと風通しよく
でも、晩ごはんをシェアするって、なかなかハードルが高い。自宅に人を招き入れるか、でなければ会場を手配する必要があって負担が大きい。もちろん、感染症にも配慮しなければならない。ご近所さん同士が出会ったり交流したりするきっかけを作るならお茶やコーヒーでもできるはずだし、“たまに”のミッションを考えると、晩ごはんにはないメリットもあるはず。そう考えて、かれこれ15年以上ゆるやかでありがたいお付き合いをさせていただいている定泉寺の副住職武智さんにご相談したところ、そういうことならと前向きにご調整くださり、トントンと、実現の運びとなりました。この定泉寺のロケーションが、地下鉄南北線本駒込駅から徒歩1,2分、本郷通沿いというロケーション。六義園や東大を目指して紅葉を愛でに散歩を楽しまれている方も多く、予想をはるかに超えた賑わいにつながったのでした。
3. 今回の試行で気づいた、今後に向けての学び
およそ65人のゲストが訪れ、コーヒーを淹れることも飲むことも、淹れながら飲みながら会話を交わすことも楽しんだ3時間。気持ちの上では楽しくてしみじみと幸せな時間だったではありましたが、では、目的と照らし合わせた時に、今回の試行をどのように評価することができ、どのような気づきを得ることができたのでしょうか。ここで簡単に整理してみたいと思います。
ゲリラ的フリーコーヒーはご近所さん同士のつながりを生み出しうるのか
今回の試行において最も明確な問いは「ゲリラ的フリーコーヒーはご近所さん同士のつながりを生み出しうるのか」というものでした。そして、端的に言うと、「単発でのゲリラ的フリーコーヒーイベントでは、ご近所さんはつながらない」、というのが、今回の試行における最も明確な気づきだったと思います。
それはそうですよね、同じ屋台でコーヒーをもらったからと言って近くにいる人に気軽に話しかける人はごくマイノリティ(日本では、とか、この地域では、と言った枕詞をつけるのがより正確かもしれませんが)。単にゲリラ的に屋台を出してコーヒーを配るだけでは、喜ばれはすれどもご近所さん同士のつながりが生まれるわけではない、という当然と言えば当然の結果。この純然たるファクトを受け入れ踏まえた上で、今後は、先に「単にゲリラ的」だったと書いた今回の実装面でのディテイルを、どう捉えどう整理してどう改善していけばよいのかを深堀りしていくことになりそうです。
また、実際にやってみるとありがたいのは、設定した問いや仮説の観点以外でも、様々な気付きが得られることです。どれも当たり前のように見えるかもしれないけれど、私たちにとっては実感が伴う大切な気付きなので、併せて整理しておきます。
“文化祭のようなもの”としての価値
今回の企画では、近所に住む子どもつながりの友人桃ちゃんが、自ら手を上げて3時間フルにサポートに入ってくれました。彼女曰く、「久々に文化祭みたいで楽しかった!」。そう、大人もたまには文化祭したいんですよね、日常の義務的なタスクの数々を離れて。普段はしないけど知らない人に声をかけたり、「どうぞ」となにかを差し出したり。ワクワクするしたくさん笑えるし、ちょっと頑張らないといけなくて、その疲労感も心地よい。でも、大きな負担やしがらみのない、ちょうどよい文化祭企画はそうそう転がっていないのが現実。”たまに”の試みがちょうどよいサイズの文化祭みたいな時間を提供できるものになればいいなぁと、新たな切り口をいただいたイベントでした。
意義の説明と共有の場としての価値
どうしてこんなことをしてるんですか?──これが、開催中最も多く聞かれた質問だったかもしれません。今回の試行ではゲスト間のつながりを生み出すことはできなかったけれど、私たちとゲストのみなさんとの接点は予想以上に持つことができましたし、こちらから無理にアピールすることなどせずとも、私たちのモチベーションや活動の意義を多くの方に伝えることができました。その点では、大きな収穫があったなぁと思っています。
継続することでゆるいコミュニティを育てていける可能性も
今回の単発でのゲリラ的な開催では、”偶然”通りかかった方たちとしか出会うことができなかったわけですが、エリアを絞った事前の告知も行うことで、”たまにカフェ”を楽しみに来てくださる方たちと偶然通りかかった方たちの両方を取り込むことができる余地が、今回の試みから改めて見えてきました。回を重ねていくうちに継続的に通ってくださる方たちに何らかの変化が起きてくるはずで、そうした変化をどのように期待する方向に誘導していくか、という新たな問いも生まれてきそうです。
“お寺”というありがたい地域のアセットとのコラボ、という可能性
修士研究をしていた頃から、地域における神社仏閣の潜在価値については注目してきたのですが(神社仏閣を活用した地域コミュニティ活性化の取り組み[1]は、全国で多数行われています)、今回定泉寺の敷地をお借りしてみて、その贅沢かつ安心感に溢れた空間の価値を改めて実感しました。また、武智副住職によると「お寺としても地域に貢献したい意識は常にある」そうで、私たちのような小さくとも具体的な施策が、そうしたニーズにマッチするのなら、今後もじっくりと腰を据えて、よい形でのコラボレーションの形を探っていきたいと思っています。
4. 今後に向けて
今後試みて行きたいことのいくつかは先述のとおりなのですが、いずれも、継続的な試行錯誤により問いの解像度も、ソリューションへの感度も高まってくるだろうと感じています。
“お寺”の大きな可能性も捉えつつ、ゲスト同士がより交流しやすいマスキングテープのワークショップとの併設も継続していきながら、先に延べたような観点で意図を持ったトライを続けて参ります。
“たまにカフェ”の近くにいらっしゃることがありましたら、ぜひ遊びにいらしてください。場合によっては直前のお知らせなるかもしれませんが、LINEやINSTAGRAMで告知していきますので、よろしければぜひ、まずはオンラインでつながっていただけたらうれしいです。
文:佐竹麗
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?