さすらいのノマドウォーカー①
結局、駅前の珈琲専門のチェーン店に落ち着いた。
仕事場を探して30分彷徨ったが、運命の出会いを果たせず、改札を出た際に担保していた格安フランチャイズまで戻ったのだ。
体力的にはまだ余裕があったが、なかなかアイデアが浮かばなかった冒頭部分を思いついた。忘却の彼方へ流れてしまう前に、デバイスメモリに残しておきたかった。軽い運動をすると脳が活性化されるというのは紛れもない事実のようだ。アイデアはとめどなく溢れ出すが奔流に押し流されるに任せるのは本位ではない。脳内メモリにダムを築くがすでに決壊寸前だ。
RAMのキャパオーバーでオーダーもままならない。アイスカフェオレMサイズをしどろもどろに注文して、カウンターから一番近い空席に背負っていた鞄をおろした。困り顔の店員に、わかっているともと鷹揚に頷いてみせ、アイスカフェオレで満たされたグラスを受け取りにカウンターへ向かった。
真っ先にネタ帳へ重要なキーワードを書き留める。反芻し、漏れがないか脳内メモリをさらう。
よし。
最重要事項をひとまず成し遂げたので、汗をかいて待っているカフェオレに関心を移した。なぜかまだ店員がカウンターから様子を窺っている気がしたので、袋の破り方まで注意を払い出来うる限り優雅に、それは優雅にストローを落としてみた。いつもなら顔をもっていくのだが、グラスを持ち上げる。
一気にズズーッと半分まで飲んでしまった。
台無し。
入店時の振る舞いからしたら、期待できることなど何もないと遅まきながら気付く。まったく急にどうしたことだろう。我慢がピークに達したというよりは、ようやくはきだした安心感から気が緩んだようだ。おしっこを我慢する時と同じかな。小さい頃、よくトイレの前でお漏らしして怒られたっけ。なんでもう少し我慢できないの!って。もしかしてあの頃から成長していない?
ひとしきり自分へ突っ込んだところで、腰をすえてアウトプットが出来る席を探すため、店内を見回した。
5割程度が埋まっていたが、壁際は談笑するお年寄りグル―プが占領していた。脇に寄せられたグラスには、元がわからないほど薄まった色水がワンフィンガー残っている。入店してから長い時間が経過しているようだ。
待ってみるか。
背後に人のいる状態がどうにも落ち着かない質なのだ。1人の客はスマホや読書に没頭しているし、複数人の客はおしゃべりにいとまがない。他人に興味なんてないだろうからモニターをのぞかれることはないだろう。
しかしどうしても「精査していない文章を自分の与り知らぬところで読まれる」という可能性に、怯えてしまう。集中すると周りが見えなくなるからこそ、パソコンを立ち上げる場所選びは慎重にならざるおえない。
だったら自室にこもってやれよという突っ込みも受け付けない。あそこはあそこでいろいろな事情があるんだ。
ROMに焼き付けるほど脳内スペックに自信がないので、スマホを取り出してエディターアプリを起動すると、ポチポチちまちまと入力を開始した。キーボードを叩くスピードに比べれば格段に劣るが、タップとスワイプを駆使して文章を組み上げる。
スマホだってのぞかれる心配はあるだろという突っ込みも、スルーだ。自分でもわかっている。気の持ちようだってことは。だが譲歩できないものはできない。しないものはしない。
生理現象を覚えたせいで、創作の世界から現在へ意識が返ってきた。冒頭部分はまだ半分しか出来上がっていないのに、あれから2時間も経過している。
お年寄りグループはまだ和気藹々と交友を深めていた。
ふう。
剥き出しの腕はひんやりと冷たい。
汗を拭く余裕なんてなかったからな。このままでいると確実に風邪をひく。経験上間違いない。ノマドウォーカーを気取っているが実は全然逞しくない。体力的も精神的にも。お前のは「ただのカフェ巡り」だと罵られるを恐れて、公言もしていない。
仕方ない。次、いこ。次。
ご不浄をお借りして身支度を整えると3ページ分の成果を抱えてコーヒー専門店を後にした。
いつか。
いつか自分の店を持つとしたら、うなぎの寝床か仕切りだらけの、背中に壁がある席ばかりにしてやる!