さすらう…大人の対応
「ここは僕の席なんですけど」
残業続きだった今月、大きなプロジェクトがやっと軌道にのった。
ご機嫌な部長は、こんなときぐらいはとプロジェクトメンバーを早めに帰宅させてくれた。
ありがたい。
そろそろ目と肩と腰が限界だ。
まだ陽が高いうちに電車に乗るのはほんとうに久しぶりだ。
思った通り社内はガラガラで席は選びたい放題だった。西日が当たらないシートの端っこに腰を沈めると、鞄は膝の上でなく横に置かせてもらった。
文庫本を取り出すでもなくボーッと景色を眺めていると、3つ目の停車駅で乗ってきた青年が、視界を塞いだ。
こんなに広々としているのに、わざわざ真ん前に立つこともないのに。迷惑ですよと眉根をひそめてみせたが、青年はもじもじしていて退こうとしない。目を泳がせた後、決心したようにこう主張したのだ。
「ここは僕の席なんですけど」と。
「あ、そうですか。すみませんでした」と誤って、促されるまま鞄を抱えてそそくさと移動した。
隣の車両に移ると同じ席が空いていたので慎重に腰を下ろす。
落ち着くとなんだかもやもやしてきた。
よくよく考えてみるとおかしい。
絶対におかしい。
平日夕方の鈍行下り電車に指定席があるなんて聞いたこともない。
自分だって時間は違えど毎日同じ路線を使っているのに。
ドアを挟んだ向かいの座席の端っこにも乗客はいたが、何の反応もなかったところをみると、それほどおかしなことでないのか?
だが、どうしても端の席に座りたかったとして、別の車両ならば、このとおり空いている。
暗黙の了解でこの時間のあの席は、彼の定位置なのかな。
それとも誰かとあの席で合流する約束でもしてたのかな。
なにせよ、強く抗うこともない些細なことだ。
彼があの席に座って快適な時間が過ごせるなら、それでいい。
どこでも対して違いを感じなくてすむ人間は、譲ってしかるべきなのだろう。
…もやもやするけれど。
…しばらくもやもやは晴れないけど。