さすらいのノマドウォーカー⑥
仙道さんは室内をさっと見回すとずかずかと入ってきて、定位置となりつつあるラグマットの上に正座した。
毛足の長短で格子柄を模っているラグマットは、重いもの…たとえばお腹周りが胸囲を10cm上回る中年女性…が長時間のっかっていてもヘタれないほど丈夫であり、滑らかな肌触りかつ洗濯機丸洗いも可能という優れものだ。
寝転がって読書をするのに最適なのでお気に入りだったが、仙道さんが座るようになってからは踏むだけになった。
慌てて…慌てていることを悟られないようにノートPCをシャットダウンすると、ラグにこんもりと積み上げてあった洗濯物をベッドの上に移動させる。しわになる前に畳みたいなあ。
気乗りしないながらも対面に正座し、両手を膝の上にそろえる。
仙道さんはこちらが居住まいを正すや否や、堰が切れたようににまくしたてた。
「…そしたらね、半分出せっていうのよ?勝手すぎないかしら?」
姪っ子の旦那さん側のお墓に関する愚痴だった。まるで存在しないかのように扱われていたのに維持費用の工面が苦しくなると泣きついてきたのだそうだ。いや、購入費用の無心だったか…
最初は適当に相槌を打っていたが、少しずつ言い回しを変えてリピートされるお墓問題が4週目に突入する頃には、悪寒が背筋を這い回り意識が朦朧としてきた。
「ちょっときいてるの?」
前かがみになって悪心をこらえているのを、船をこいでいると勘違いしたのか。仙道さんは尖った声で咎めてくる。
「姪っ子さんが頼れるのは仙道さんだけなんでしょうね」
どうとでもとれる返事でお茶を濁すが、仙道さんは安心した様子で墓騒動(本人談)を再開した。
あと何回繰り返したら満足してくれるだろうか。
仙道さんの口癖は、「大家は店子が気持ちよく生活できるよう心配りするのは当然のこと」だ。
最もだと思う。
しかしそれには、果てしなく続く生産性のない愚痴を傾聴することも含まれているのだろうか。甚だ疑問だが、代理として母の顔に泥を塗るわけにはいくまい。
母はいつでも、いつまででも、にこにことつきあってくれたらしい。
そんな母は知らない。
母が大家という立場になったのは成人した子供2人が家を出てからだったから。
機械的に反応しているうちに、墓騒動は弾切れとなった。
こちらは青色吐息だが仙道さんのおしゃべりへの欲求は無尽蔵らしい。別の話題が新たに装填された。
「最近、佐々木さんの割合が多いわね」
「はい。時間の融通が利く仕事に変えてもらったので」
あまり多くを語るつもりはない。
「佐々木さんのほうはお忙しいの?」
「子供が寂しがるそうで」
仙道さんは母のことも、姉のことも、自分のことも「佐々木さん」と呼ぶ。
こちらは話の流れで誰を指しているか予想して返答しなければいけないので面倒だ。
混同しているわけではなく本人の中では明確に誰かを指しているらしい。
厳密にいうと嫁いだ姉は「佐々木さん」ではないのだが、訂正するつもりがないのだろう。
親しくならないと決めている相手に対して、姉は見事なくらいにそっけない。
「お子さんがいらしたのね」
「はい」
姉が2人の子持ちだとを知らないということは、母も姉も仙道さんに教えていないということだ。
姉が言わないことは母も言わない。身内だからこそ、多くを知らせないスタンスを受け継ぎ、素焼きの皿でいよう。弾丸を受け止める側でいよう。
「小さいうちはなるべく母親の元にいるのが一番ですものねえ」
珍しくこちらを気遣う様子をみせる仙道さんだが、仙道さんが家庭をもった過去はあるのか。夫や子供がいると聞いたことはない。
水を向けてまたマシガントークが始まるのはうんざりなので頷くに留める。こちらが乗ってこないならばと仙道さんは矛先をかえた。
「佐々木さんの容体は?」
母のことだろう。
「まだ意識が戻りません」