
さすらいのノマドウォーカー⑱
意識が戻ったらめでたしめだたしだと安易に考えていたが、そうは問屋がおろさなかった。
むしろ大変なのはここからだった。
長いこと寝たきりだった母の体力は極限まで低下し、筋力は弱り自力で立ち上がることもままならなかった。
また意識も混濁しがちで、家族を間違えることはなかったが、医者や看護師を親族や新しい店子と認識したりと倒れて入院していることが理解できないようだった。
体を動かして脳への血流が増せば全回復するここともあるだろうとの主治医の判断だったが、不安は募るばかりだった。
不安を解消しようとインターネットで調べても、女性は男性よりアルツハイマー病になる可能性が高いらしいなどと、悪い情報ばかり拾ってしまう。
あれこれと交渉事の巧い姉と違い、今まで大人しかったくせに突然ネガティブな質問を繰り出しはじめた下の子供にも、母の主治医は懇切丁寧に説明してくれた。
リハビリをスタートしてわかったことだが、身体的な後遺症はほぼ見受けられないため、筋力回復がメインとなる。患者の頑張り次第で早々に社会復帰できるだろうとのことだった。
身体のリハビリの介助をしたり、頭のリハビリのために母とおしゃべりをするので病院での滞在時間が長くなった。必然的にいままで以上に会社を休まざる負えなくなったし、依然としてシェアハウスから始発で出勤していたので負担は倍増した。
それでも眠っている母をみつめながら、とめどなく繰り返さす後悔や自責のループより、やるべきことに労力と使うほうが、少なくとも何かしているという実感があった。
安息のアイテムだったカフェオレは、コーヒーショップで飲むものではなく自動販売機の前で一気飲みする、エネルギーとカフェインを摂取するためだけの缶コーヒーに代わった。
インターネットが許可されたスペースに駆け込んで指示をとばして返信し、また病室へ戻る。徐々にメールが減っていくのを安堵しながら、常に焦燥感がついてまわった。
姉と交替で病院に通った。
あわただしく日々がすぎていった。
会社で自分のデスクに座っていると、今日は出勤日だったんだ?とびっくりされる。
いやみのほうがよっぽどいい。純粋に忘れられるのはすごく怖い。
母が退院して2週間後、出勤直後に上司から呼び出された。
わざわざ会議室を押さえてあるという。
ついにきたか…そうでなければいいが…
緊張した面持ちでノックをする。
「おう、入れ!」
「お呼びでしょうか」
上座で次長と相談を続けていた部長は、お互いに頷きあった後、腕を組んだまま声高に宣告した。
「明日から出社しなくていいぞ」