さすらいのノマドウォーカー

さすらいのノマドウォーカー⑤

いつものカフェオレが苦い。

舌苔が拒絶反応をしている。全身も硬直している。

舌も喉も言うことを聞かない。仕方なくしばらくアイスカフェオレを含んだままご機嫌をうかがっていると、ますます刺激に苦しむという羽目に陥ってしまった。

頻繁に利用する、部屋から最寄駅までの道なりにあるコーヒーチェーン店。

コーヒーを売りにしているだけあって、アイスコーヒー用に特別に低温抽出していると何かで読んだことがある。

オリジナルブレンドを変えたというアナウンスも無いし、ブレンドの異なるアイスコーヒーのラインナップは無いと知っている。

周囲の客のグラスは、ミルクの濃度の差があれど「コーヒー色」をしており、どれも中身が減っている。

自分のように首を捻っている者はいないし、飲み干さずに席を立つ様子もない。

最初に勧められた時に断わってしまっていたが、レジが空くのを狙ってガムシロップをもらいにいこう。

店長だろう。無駄な肉がない。脂肪も筋肉も含めて無駄な肉が一切ついていない壮年の店員が気づいて手渡してくれた。

研修中らしき若い店員がまごまごしていたのを根気強く待っていたのだが、顔に出てしまっていただろうか。後で怒られたらごめんなさい。さっき断ってしまったんだけどと付け加えればよかった。

ガムシロップ、自由にもらっていけるようにしてくれないかな。店員の仕事を増やすのが心苦しい。レジ周りのスペースの問題や、持ち去り防止策だとわかってはいるのだけれど。

なんだかとっても疲れてしまった。人と話すのは得意じゃない。

ガムシロップを半分ほど入れストローでかき混ぜる。シャリシャリと、リリーンの和音が耳に心地よくて何周も回してしまう。

「あづいねぇ」

和音をうち消すようにレジのある方からだみ声が聞こえてきた。

耳が遠くなった人によくある、TPOにそぐわないボリューム。

「アイスコーヒーね」

「270円です」

「高いなあ。つけといてよ。だっははは」

自分でいった冗談の相手の反応を待たずに笑う。困っている新人をからかって楽しんでいる様子が浮かぶ。

だみ声の主がいるらしき方向を睨み付けたら、隣の席の客がこちらを向いていることに気づいた。

小心者で卑怯者なので、たとえ相手から見えない位置にいようとも、顔をうごかさず目だけに恨みをこめることで溜飲をさげようしていただけなのだが…。

しかしそちらを向いても目が合わなかった。彼の眼が凝視しているのはアイスカフェオレのグラスだった。

視線を落とすとストローを回し続けている左手があった。

ああ。氷の音か。苛々している間、ずっとストローでかき混ぜていたらしい。

ぐるぐるぐると。

シャリシャリ、リリーンと。

そりゃ不信に思うでしょうな。

すみませんでした。

頭を冷やそうとストローをすう。

苦い。

まだ苦い。

不快感で飲み下すことができない。口内にとどめておけば苦味と戦いつづけねばならないことは先刻から百も承知だが、なかなか言うことをきいてくれない。

えいやっと気合いをいれて飲み下してから、残りのシロップを投入した。

こんどは迷惑をかけないよう、さらっとひと混ぜしてからグラスを持ち上げる。

重くて持ち上がらない。

え?Sサイズなのに?

たかだか数百グラムを持ち上げられない。

ウソだろ?

仕方なく、顔をストローへ近づける。

一瞬、空間が湾曲して目がくらんだ。

座ったままなのにめまい?

いまこそカフェインが必要だ。

やる気は、やり始めてからスイッチが入る。

カフェインはスイッチが入るまでのやるき導入剤。

矛盾しているが、プラセボ効果の「信じる気持ち」の部分もコントロールできると自負している。

えいやっ。

ずずっ。

甘い。

すごく甘い。

ガムシロップの甘さは、コーヒーの苦みや酸味を和らげることのないまま、そのどろりとした甘さを主張してくる。

カフェインがきかないれべるのたちようふりょうはよくない

蛙。

かえtってねよう





半日寝たら嘘のようにスッキリした。

電灯をつけカーテンを開け放つと外はすっかり日が落ちていた。

干しっぱなしだった洗濯物を取り込むと、枕元に転がっていたスポーツドリンクのペットボトルに口をつけた。

常温なのにものすごくおいしい。

身体が欲していたということなのだろう。謳っている効用を軽くみていたが見直した。最後に飲んだのがいつだったか思い出せないくらいだが、これからの体調管理に役立てよう。

あのように急激に気分が悪くなったのは初めての経験だった。

コーヒーショップからどうやって帰ってきたかあやふやだ。

大事な大事なノートPCは…

定位置に物が収まっていない鞄をあさる。

ほっ。入っている。

膝にのせて開くとロック画面が浮かび上がる。シャットダウンまではできなかったらしい。

パスワードを打ち込むとエディタが表示された。

活字がびっしりと撃ち込まれていた。

半日前の一部始終をつづったものらしいが、まったく記憶がない。

初めて読む文章だが、言い回しは自分のそれだ。

最後のほうは力尽きたのか誤字脱字だらけで笑ってしまった。

せっかくだからこのまま残しておこうかな。




がちゃっ

前触れなくドアがあいた。

「いたのね。コトリとも音がしないから留守だと思ってたわ」

「あ、…仙道さん」

仙道さんのことをすっかり忘れていた。

また…ぶりかえしてきた…ような気がする



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