さすらいのノマドウォーカー

さすらいのノマドウォーカー②

暑い…

手続きが思いのほか早く終わったことで自分らしくない冒険心が湧き、軽い気持ちで従ったせいで、今、灼熱地獄を味わっている。

30分前に戻りたい。

暦の上では夏はまだウォーミングアップしている段階のはずなのだが。フライングしてしまったらしい。

陸上競技なら1回まで許されるはずだ。スタートラインまで戻り、待機するがいい。

いや、近年、即失格に変更されたのだったか。世界記録保持者が失格になったニュースを、かつての同僚が嘆いていた記憶がある。

思考が茹だるほど暑い。ギブミーオアシス…

何度か通った市役所の最寄駅をはさんで反対方向へと物見遊山をスタートし、出口の見えない商店街を好奇心に抗うことなく延々と歩いてきた。

数軒毎に喫茶店のたぐいがみつかるというのに。本来ならアイドルタイムだというのに。どこもかしこも満席だ。空いているのは短時間でご飯をかきこむ定食屋か、ドリンクをのせたらスマホを置くのもギリギリな丸テーブルの席ぐらいだ。もうそれでもよいという境地まできたが、引き返した時にまだ空いていると考えるのは甘すぎるだろう。

早出を強いられたエアコンおかげで火照ったからだが冷やされる。席を探すわずかな時間でも、多少なりとも回復するらしい。気づけば商店街の端っこにたどり着いてしまった。振り返るってみる。入口は見えない。道中はまっすぐだった。どれだけ長いんだ…。

戻る覚悟を決め、せめて喉の渇きを癒そうと、ターゲットを自動販売機に切り替えた途端に僥倖が訪れた。狭い脇道に設置されている自動販売機のさらに向こうにコーヒーチェーンをみつけたのだ。「やだあ、話し込んじゃったあ。今日は夕飯手抜きでいいかしら?」と哄笑する主婦らしき一団とすれ違った。あの店から出てきたに違いない。

よし、いける。

11軒目の正直。店内に入ると素早く主婦軍団が座っていたらしきテーブルを探す。あそこだな。セルフサービスなので食器類は片づけられていたが水たまりが4つ残っている。あせっていることを気取られるように、指先まで神経を行きわたらせながら帽子を椅子に着地させ、カウンターでアイスカフェオレを注文する。お手本のような営業スマイルを頂戴したが、こちらが期待するサービスはうけられそうにない。

仕方なく紙ナプキンを数枚重ねてテーブルの水たまりを除去すると、2つ合わさったうちの衝立がある側のテーブルにグラスを置いた。もう一方を後からくる客のために隙間をあけるよう移動し、やっとこさ鞄をおろした。

命の水をひとくち啜ったところで先ほど離したばかりのテーブルの、自分からすると斜め前の椅子に布製のバッグがおかれた。早速次の客だ。

セーフセーフ。この界隈の喫茶店は大盛況だな。バッグの図柄が独特でストローを咥えたまま観察していると、向かいの席に誰かが座る気配がした。

え?

驚いて顔をあげるとクルクルパーマを大柄のスカーフで包んだ中年女性が足を横に出したまま浅く腰掛けている。斜め前の椅子にバッグを置いた腕と同じ色のカーディガンをはおっているので持ち主だろう。

待ち合わせの人物と間違えられたのかな。

人違いだと気付かせるために、まっすぐ前をむいて顔がわかるように固定し目が合うのを待った。

視線には質量がある。存在感が希薄だと揶揄される自分の視線にもそれなりの効果はあったようで、そっぽを向いたまま眼だけこちらに寄こした。

が、何ごともなかったようにすっと元に戻された。

え?

待ち人ではないと気付いている?

え、とつぶやいたのが聞こえたのかおばさんはようやく口をきいた。

「相席、いい?」

え?

ちょっとまて。

いまそれをいうのか。タイミングとしては遅すぎやしないか?いやまてよ。もしかしたらこの町では相席は日常なのか?いや、そうだとしても一声かけるものではないのか。挨拶無しは無礼にあたらないのか。

郷に入っては郷に従え。

わかっている。しかし傲岸不遜な態度には反発を覚える。

「何名ですか?」

聞かなくたってわかっている。3名だろう。自分の前の席に座るくらいなのだから。言外に遠慮してくれという意味をこめて可能な限り低音できく。

「3人」

あたりまえだろうと見下した目つきを加えて事実だけを伝えるおばさん。カウンターで嬌声をあげながらケーキセットを注文している2人がおばさんの連れだろう。あの様子だと3つめの椅子だけ隣のテーブルに向けるという考えはない。1つのテーブルにケーキセット3つは置けないから。

席を確保したらすぐにノートPCを開いて、向かいの席に荷物を置くのだった。なんでキャンバス地の帽子を回収してまったんだろう。今更後悔しても遅いが、自分が喫茶店に入る一番の目的はキーを叩くことだ。決して休息ではない。喉が渇いただけなら自動販売機のジュースで潤せる。飲み物に倍以上の値段を払うのは、テーブルを使わせてもらうため。比較的長居をする、あまり好ましい客ではないかもしれないが、必要以上に広い席には座らないし、混んできたら自発的に店を出る。

腰を落ち着けてからまだ1分も経っていないのに。

梃子でも動かない様子のおばさん。他に席は空いていない。追い詰められた悔しさと恨めしさで涙が出そうだ。

不穏な空気を感じとったのか、分厚い参考書とにらめっこしていたメガネの女性がそそくさと荷物を片づけて、斜め向かいのテーブルから薄暗い奥の小部屋に消えていった。

向こう側とこちら側を隔てるガラスの壁には「喫煙室」と書かれている。

目を凝らすと空席が目立つ。4人テーブルもあるらしい。そうだ、このふてぶてしいおばさんに、あちらへどうぞと勧めるのはどうだろう。ああ、でも、万が一、おばさん達が誘いに乗ったとしても、おしゃべりが煩くてあの親切な女性の勉強を邪魔しては申し訳ない。

観念し、メガネの女性がいた席へ移動した。大げさにため息をついて、一度で運べるのに何度にもわけて荷物を運んで。大人げないなあ。そして敵の援軍がくる前には引っ越しを終えるという小心さ。ノートPCが入ったままのリュックサックは重量が10倍になったように感じられた。

おばさんからは謝罪もお礼も一切なし。助けてくれなかったもう一つ向こう側のテーブルの客や、安全なキッチンから出てこない店員にも、怨嗟を喚き散らした。むろん心の中で。いくつかは文字にして。

荒れ狂いながらキーを叩いているうちに、いつしか執筆に夢中になった。

一区切りついたところで、喫煙席にメガネの女性の姿を探したが、もういなかった。しばらくはお礼の機会を伺っていたのだが、彼女は分厚い書物に首ったけで会釈さえできなかった。

失礼な客なのは自分も同じだ。

件の女性はタバコを喫んでいる様子は無かった。今後もこの生活を続けるならタバコにも慣れないといけないのかな。

充電スポット、WiFiスポットのMapは充実してきたが、切実に必要なのは店舗の混雑状況だろう。きっと愛用する。

求む、リアル配信制度




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