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すごいぞ!はっせん!■11ー西日本鉄道8000形

今回は西鉄8000形について語ります。このシリーズでは初めて、すでに全車引退したものについてとりあげます。

西日本鉄道8000形は1989年から製造開始となった抵抗制御の両開き2扉車体を持つ優等列車用電車で、6両編成6本の36両が製造されました。国鉄鹿児島本線とほぼ平行な路線を擁する西鉄にとって、福岡(天神)と久留米・大牟田をいかに早く快適に、かつ高い利便で結ぶことは究極の命題でした。戦後の早期から先鋭的な車両を導入し、東の京急や西の京阪・阪急京都線に比肩すると言ってもいい優等列車用車両を登場させてきました。

8000形が登場した1989年は、ちょうど福岡市でアジア太平洋博覧会が開催されることになっており、少し前に国鉄から民営化したJR九州の攻勢を受けて立つ態勢となった時期に当たりました。すでに西鉄にはローレル賞を受賞した2000形電車が特急として疾駆していましたが、新型特急車両を導入してサービスレベルの底上げを図ることになりました。

8000形は先頭車の運転台の窓ガラスを大きくするだけでなく、運転席直後の側窓も大型化して、前面と側面双方の眺望をよくしたところに大きな特徴がありました。一方、それ以外の部分は品質の向上こそ図られているものの、扉配置や座席配置は先代の2000形とほぼ同様の組み合わせ、床下機器も当時の多数派勢力であった通勤形車両と共通としながらも、ワンハンドルマスコンの採用によりブレーキが電気指令式となって、後続の車両にも採用されるようになりました。

運行開始後ほぼ一貫して、通勤形車両を中心とした輸送力重視のダイヤとなる朝ラッシュ時は太宰府線や本線の普通列車にまわり、それ以外の時間帯は特急として福岡(天神)ー大牟田間を深夜まで走るという活躍ぶりを見せます。ダイヤによっては文字通り端から端まで約75kmを60分ほどでひたすら往来する編成もいたらしく、土休日ダイヤだと1日で約75km×6往復≒900kmを高速運転で走っていたことになります。実際、西鉄の電車の中で8000形の走行距離は群を抜いて大きく、検査に入る周期も他の通勤形車両と比較して短かったといわれています。

そして21世紀に入り、福岡都市圏の流動が変わってきたこともあり、後続の優等列車用車両は3扉クロスシートのより汎用性の高いものとなりました。すでに西鉄には4扉の車両も多数製造されており、よりラッシュ時の対応がしやすい車両へのシフトも進んできました。

一部編成は「旅人」や「水都」として特別な装飾や内装が施されましたが、2017年にすべての編成が引退し、西鉄天神大牟田線から2扉の車両が姿を消しました。8000形が消えてほどなく、さらなる流動の変化によって平日昼間の特急列車の設定がなくなっており、見方によっては華のあるうちの幕引きとなったのかもしれません。

在籍期間は28年と電車としては短めの期間となりましたが、その功績からすると、まさに獅子奮迅の活躍であったことに相違ありません。九州唯一の大手私鉄の旗手としてふさわしい名車でありました。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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