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【百線一抄】072■紀伊半島を結いつなぐ大路線―紀勢本線

生い立ちを異にする路線が順次延伸されて一本の路線に成長する。
とりわけその規模も時間もかかった、半島をぐるり編み上げる本線
について触れてみたい。亀山と和歌山市を結ぶ、紀勢本線である。
紀伊半島の大半をなぞるように進む路線は、大まかに4つの地域に
区分することができる。来歴と現況から、この路線の魅力を語る。

多気以北の区間は関西鉄道とその関連会社である参宮鉄道が敷設し
開通させたものである。明治期の鉄道国有化により参宮線となり、
支線となるかたちで終戦までに尾鷲へ到達し、戦後に三木里まで
延ばした部分が紀勢東線となる。大正末期には和歌山から少しずつ
半島沿いに南進が進み、太平洋戦争が始まるまでに現在の熊野市駅
までがつながる。これらが紀勢西線となるが、新宮―勝浦間は民営
の新宮鉄道が大正初期に開通させたものを国有化した部分である。

新鹿まで西側から到達して3年後、東側の三木里―新鹿間をつない
だことで紀伊半島を半周する路線が全通した。これを機に亀山から
南端の串本を抜けて和歌山までを紀勢本線として統合し、多気より
南側の区間が参宮線として分岐する形となる。そして和歌山市内で
は和歌山線の線路付替えとともに大きな変化が起こることになる。

かつて和歌山駅とよばれたのは現在の紀和駅であった。五条側から
建設を進めた紀和鉄道によって19世紀末に開業した駅である。当
時未開通だった南海鉄道の到達とともに和歌山市駅へ線路を延伸、
やがて国有化されて和歌山線の駅となった。和歌山線と紀勢線とを
相互に直結できる支線が敷設されると、次第に本数が増加したこと
で駅名改称を実施、東和歌山駅が和歌山駅と名乗るようになった。
のちに紀和以西が紀勢本線となり、紀和駅から和歌山線が消えた。

主といえる列車といえば名古屋―大阪間を半日かけて走破する優等
列車も挙げられるだろうが、全通前からの来歴を誇る夜行普通列車
も捨てがたい魅力を放つ。古くは南海所有の客車が新宮まで走り、
高度経済成長期には寝台車も連結されていた。太公望に愛用された
その実績は、電車に置き換えられてからも長らく21世紀を迎える
寸前まで走り続けたことからも窺い知れる。くろしお・南紀の特急
列車を乗り継いで、半島の風景を満喫する旅は現在でも楽しめる。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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