【百線一抄】031■連峰にかぶる白雪を眺めてーえちごトキめき鉄道
歩みを阻む自然の難所各地にあれど、親不知子不知なる越中越後の
境に居座る断崖はことごとく旅人を苦しめてきた。日本海の荒波は
暴虐とも言わんばかりに山脈を穿ち、砂浜を洗い、抗う旅人らをさ
らっていったという。明治の代になって細道ができ、この難所を避
けることができるようになるまで、苛酷な状況は変わらなかった。
ある程度の流動ができてくると、交通は自ずと整備されてくる。北
陸側がつながったのは大正初期なのに対して、長野方面との接続は
明らかに早く、直江津ー関山間は新潟県内最初の鉄道として幕を開
けた。新潟方面とは1904年の接続、北陸線の全通は1913年
のことであった。両線の開業後は長野・新潟と富山金沢・関西圏を
つなぐ主要幹線として成長を続けていくことになるが、相変わらず
厳しい環境に置かれた北陸側は、幾度も襲い来る自然災害で線路が
途切れることも多かった。戦後も改良への取り組みは続けられた。
妙高側も北陸側も電化とともに輸送力増強が進められたが、さらな
る改良は整備新幹線の開業へ針路が向けられるようになった。長野
まで新幹線が開業して以来20年弱、北陸新幹線がようやく金沢ま
でつながった。それとともに並行在来線となる信越本線と北陸本線
については、沿線で設立された新会社に移管されることとなった。
要衝となった直江津は、えちごトキめき鉄道だけでなく元来のJR
信越本線や北越急行の電車も出入りする。もちろん貨物列車も各地
の物流を担って往来している。特徴的なのは電化完成後はほとんど
の列車が電車ばかりになったのに、現在は1両や2両の気動車が異
彩を放っていること。理由の1つは旧北陸線側の利用者が少ないこ
と、もう1つは電化方式が途中で変わる区間のため、高くつく電車
に代えて気動車にしたから。今は朝夕のみ富山方から電車も来る。
風景は日本海岸も妙高戸隠連山もとても魅力的である。その風景を
列車で楽しむなら、日程が合うなら「雪月花」に乗りたい。予約す
る必要があるが、大きな窓とゆったりした座席配置の室内で味わう
食事は、絶景を更に美しいものに高めてくれる。普通列車の車中か
ら垣間見る日常もまた味がある。トンネル内で停車する筒石や新潟
唯一のスイッチバックとなった二本木と珍しい形態の駅もあり、特
急列車も顔を出す。まさにトキめく話題ざかりの鉄道路線なのだ。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。
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