【百線一抄】050■南薩を巡る半島の細道-指宿枕崎線
黄色い菜の花が早くも年の瀬12月頃から楽しめる指宿。鹿児島の
南の端を通り抜けて薩摩半島の西、枕崎を目指す指宿枕崎線の拠点
が、この指宿駅となる。三角形の二辺をなぞるかたちで半島沿岸を
たどる路線であることから、鹿児島中央側と枕崎側を見比べると、
目立つのは前者の賑わいと、後者の閑かさによる雰囲気の違いだ。
大隅半島も薩摩半島も、半島沿岸部と主要な幹線との結節が姿をな
したのは昭和に入ってからのことで、軽便鉄道や小さな私鉄の路線
から国有化によって計画線の建設が進められた。薩摩側は伊集院か
ら枕崎までは南薩鉄道が昭和初期に路線を開通させており、指宿枕
崎線が山川より奥、半島の南側沿岸を西進する区間が西頴娃にたど
りついたのは1960年、枕崎まで延伸して南薩鉄道の駅に間借り
したかたちで全通が実現したのは1963年の秋のことであった。
指宿ー枕崎間は大きな集落がなく、貨物列車も通らない区間だった
ので線路設備もシンプルなところが多い。鹿児島中央ー山川は行き
違いのできる駅が大半であるのに対して、山川より奥では西頴娃を
最後に、細いホームと短い屋根だけの駅を1つ1つとたどり、枕崎
へ続く1本の線路をディーゼルカーが往来するだけの区間となる。
内陸を南北に直結する路線が昭和末期に廃止され、指宿枕崎線のみ
が鹿児島市内へ向かう唯一の鉄道路線となるが、直接市内へと出向
くには国道を斜めにたどる方が距離も短いし、何と言っても早い。
もとより伊集院経由にしてみても、四角形の2辺を通るような経路
が実態であったことから、クルマの普及とともに利用者の数が伸び
悩むのは、伊集院経由にせよ指宿経由にせよ必然だった。周辺集落
と主要都市を結ぶ役割はバスとの共存で成り立っているといえる。
多くの旅人が指宿で下車して温泉や砂風呂に興じる中で、できれば
もう少し足を延ばしてみたいのが西大山駅だ。JR線最南端の駅を
標榜するだけあって、ホーム端に立つ標柱と開聞岳を組み合わせた
景色は、はるばるやってきた感慨を新たにすることに相違ない。乗
る列車によっては、ここで数分停車するものもあり、列車や標柱を
からめて写真に収めることも可能だ。もちろん、指宿までの区間で
眺められる風景も、喜入の石油基地、錦江湾等と多彩なのである。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。