人や物の移動と、公共交通機関とまちづくりのあり方
2020年。
人ができるだけ移動せず、接触しないという社会モデルが生成された。
外出をしない、というか家に居ることが前提の日常が生み出された。
そこで見えてきたことがある。
人や物の移動について、いま一度仕分ける時期に来たのではないか、と。
例えば、高度経済成長期から課題となっていた通勤ラッシュ。
これがテレワーク・リモートワークが中心となると緩和の気運が高まる。
学校への通学も毎日のことでなくなるのであれば、同様となる。
通院やデイサービスなどはこれからも欠かせない動きではあるが、
まだまだ工夫の余地がありそうな分野と言えそうだ。
接触機会の減少を狙って一部機関や施設で導入されている
日時指定予約の拡充は、朝イチで出かけて順番待ちで時間を浪費し、
用事が済んだ後もすぐには帰宅できないといった問題も
解決への糸口が見えてきているように思える。
一方で物流については、生産者が必要とする流れと
消費者が必要とする流れによって話が異なってくる。
野放図に大量生産して余剰廃棄を容認していた時代は過去のものとなり、
今後は受注生産型の生産活動が多勢になるかもしれない。
また、地産地消型のものであれば、必要に応じて地域外へ移出できる
流れを構築しておくことで流通経路も確保できる。
その逆の流れで、地域で生活する人が必要とするだけの物資が
他地域から適正に流れてくる動きが成り立つのであれば、
双方向の交流が確保できるので、産業的にも成り立ちやすくなる。
あとは、その規模と特性に応じて、クルマ・船・鉄道などを使い分け、
場合によっては補完し合うようなネットワークが形成されれば、
人口減少社会だろうが新スタイルによる未知の世界だろうが、
日常を過ごしていく上では困らないような気がしている。
別に新幹線やリニアが要らないとは言っていない。
ただ、20世紀の頃から続く情勢をそのままの延長線上に引き延ばして
判断する局面ではなくなっているのでは、という話だ。
列車やバスの過疎路線にしてもそう。
日常利用できる便が朝・昼・夕の3往復しかないとしても、
それで成り立つ社会だってあるはず。
問題は、その3往復が日常の利用者にとって都合よくできているかどうか。
朝8時に着かないといけないのはなぜなのか。
夜11時に最終便を設定しなければならないのはなぜなのか。
昼の便はそもそも必要なのか。なぜ人しか乗せてはダメなのか。
利用者目線、運営者目線、社会構造の目線、いずれもがそこそこ満足できる
情報共有や継続的検討が、この国ではまだまだ足りないと思う。
「どこそこがうまくいっているから、うちもやろう」
ではなく、
「うちはこうだから、どこもやっていないけどやっていこう」
という、利用者と運営者による不断の決意。
そして、それを下支えする行政。
すでに住んでいる人たちが「住めば都」と誇れるまちづくり。
他の地域の人が「行ってみよう」と腰を上げるまちづくり。
訪れた人が「何回も訪れたい」と口コミしたくなるまちづくり。
経営者が「ここで活動したい」と調査したくなるまちづくり。
それを育み活かす役割を果たすのが、道路であり線路であり、
公共交通機関の存在だと思う。
やる気のあるところはすでに動き出し、かたちができている。
人と物の動きをいま一度、見直してみよう。
新しいライフスタイルが、見つかるかもしれない。
これは社会だけの問題ではありません。
実はひとりひとり、個人レベルでも見えてくる問題なのです。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。