公共交通の課題はどこにでも転がっている
先日、バスの停留所で実際にあったできごと。
少し早着したと思われる路線バスが停車中のこと。
停留所にやって来てバスのあちこちを見つめながら、乗るべきかどうか迷っている様子。
率直にお困りのようで、かつややこしくなさそう(※案外ここ大事)だったので声をかけると、目の前のバスに乗るべき利用者でした。
その停留所は2社のバスが停車するところなのですが、1社は本数が極めて少ない上に色合いも全く違うバスなので問題はないと思われる場所のはず。実際に目の前のバスは本数が極めて多い方(日中は1時間あたり4~6本来る)のものなので、なおさら間違いようもない場所なのです。
ところが、停車していたバスはこのような車両でして。
側面の方向案内機は停留所の壁面に阻まれていて見えず。
停車して少し経っていたので車外放送も流れず。
運転手と話そうにも車外マイクはこれまた停留所の壁面の向こう(右側)。
そして最大の課題は、このバスがどこの路線のバスかわからないこと。
実はこのバス、この文章の表題に出ているバスと同じ会社のもの。
この写真と表題のバスが同じ会社のバスだとわかる方って、すごいなと。
自分はこの写真からだと残念ながら、数秒での判定はできません。
ホントおはずかしい。けど事実なので、書いておきます。
詳しい人は言うんです。
このような広告のクルマでも、前面はいじっていないからわかるのだと。
では地下鉄の駅やコンビニの目の前の停留所に停車しているバスの側面を見て判別できずに、前面の方へ回り込んでいるうちに発車してしまうケースは、その利用者がどんくさいだけ、ということになってしまいます。
どの交通事業者も経営が大変で、広告収入が重要であることはとてもよくわかります。停留所の改良と合わせてスポンサーも募り、大きな広告看板を掲示するのもわかります。資本主義ですもの、利益追求至上は当然です。
でも、日常の利用者が戸惑う公共交通機関って、何なのでしょう。
本数が何本も走っているとか、車両が新しいとか。
乗務員さんがカッコいいとか、株式配当がいいとか。
違うと思います。
数時間に1本しか走っていなくても、安心して利用できる。
数十年使い込んでいる車両でも、掃除が行き届いていて故障しない。
運転操作時は無愛想なオッサンでも、乗降時は周囲に気を配ってくれる。
交通事業が赤字だとしても、沿線利用者は愛着をもって利用している。
だれにでも判りやすく、利用しやすいは確かに当然かもしれません。
でもその前に、目の前にいる利用者を困らせるようでは考えものです。
1年に1回、いや、一生に1回利用するかどうかわからないような声の大きい向きよりも、声はあげないけれど、それがないと声すらどこにも届かなくなる利用者のことを、もうちょっと考えてみたいものだと思いました。
お金を出せばいい問題でもないし、口を出せばいい問題でもない。
要らないものを残す必要はないけれど、要るものを使えなくするのはまずい。
一部の大胆すぎる行動によって、大多数の小さな日常がぶち壊されるのはまっぴらごめんだという、小さな声の軌跡としておきます。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。