どれだけ能力に個人差があろうとも、血筋や身分に隔たりがあろうとも、同じ地面に立ったときにハンデはないと考えられるものに「経験」と「蓄積」があると、よくいわれます。
確かに「経験」に裏打ちされる実力差は如実に表れますし、「蓄積」の有無は結果的に可能性の拡張や非常時の切り抜け方などに威力を倍加させます。
ただ、その「経験」や「蓄積」をどのように得てきたか……となると、どうでしょう。ここで問いたいのはその手段ではなく、意識。いや、気持ち。思い入れ。念と言ってもいいような気もします。
バスケでジャンプシュートを体得するために20000本のシュートを打つ。これはまさに「経験」の「蓄積」に他ならないのですが、これ、やっつけ仕事で20000回ボールを放り投げるのと、型を作る・よい姿勢を見極める・1本でも多く決めてやる……などと目的意識や到達点をしっかりイメージして1本1本打っていくのとでも、20000本打ち終わった後に見える景色は全然違うものになっていると思うのです。
人間、やっかいなのがこの両方の景色を見比べることができないこと。巻き戻して逆をやってみようとか、できないんですよね。だったら、同じやるなら徹底的に何を目的にするのか、どうすればよりよいものが手に入るのか、しっかり気持ちを入れてことにあたるのがいいに決まっているはず。
早く気づいて、実践に組み込んだ人がまず1歩、先に進めると思います。体内にしみ込ませて積み上げた経験の蓄積は、誰のものでもない、自分のものなのですから、自分にとって最高の収穫となるように積み上げていきたいもの。
同じ積むなら、+αをたくさん欲張りましょう、というお話でした。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。
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