最善のカードは即決にあらず
それでは何にあると思いますか。
自分は準備と決断の間にある、わずかな”熟考”にあると考えています。
準備というのは、あまり関係がなさそうなところについても「いずれか関わることもあるかも」と日常の中から気にかけておくことを指し、決断というのは、決めたからには「その選択について後悔したり結果を卑下しない」ことを信条として、どのように行動するか決めることとしています。
だれだってそりゃあそうでしょう?と思われるかもしれませんが、自分の周囲で付き合いの長い人たちは、これらが絶妙に機能し合っていて、非常時にあるときにそれが想像以上の成果を生み出している場面をいくつも現出してきています。
そしてそのどちらも機能していない向きについては、語るまでもない状況を体現して、泡ばかり吹き散らかしているらしいです(知己にはほとんどいないので自分としてはさして気にもならない)。
前者の方々に共通してあるものが、まさに準備と決断の間にある”熟考”。
日頃から手元にストックしてある情報や手段、人脈、道具、それにシステムやルール。それをササッと複数選択しておいて、その場においてどの選択が最適、最善、次善、奥の手、その他と優先順位をつけ、そのうちの1つに照準を定めたら、あとは自ら行動なり、周囲に提示・指図して、事にあたる。
スマートに物事が進むのはもちろん、周囲の人間力や能力の高さも必要ではありますが、個人の集団であれ、組織集団であれ、旗をふったり牽引する者に迷いがあったり判断が遅れたりすれば、その能力も活かされないまま時間だけが浪費されていきます。
きのう1日のさまざまな人々の動きや情報発信を見るにつけ、改めてこのことをことさらに感じた次第でありました。
自分ですか?書くだけ書いておきながらこの領域に手が届くまでには、まだまだ至らないところがあります。鍛えないといけませんな、まだまだ。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。