【百線一抄】045■したたかに力を秘める美濃のローカル線-太多線
愛知県と岐阜県の県境を西側に眺めるようにして南北に走る太多線
は、多治見と木曽川支流の可児川沿岸にある広見を結ぶ路線として
歴史を刻み始めた路線である。開業は大正期だが、昭和に入る頃に
当時の国の路線計画に基づいて国有化され、美濃太田への到達とと
もに現在の太多線の原型が完成した。1928年のことであった。
今の可児駅は可児川の右岸に所在しているが、はじめに多治見から
敷設した線路は川を渡らず、左岸に広見駅として開業した。ここを
ベースとしてさらに可児川に沿って線路が伸び、御嵩へ到達した。
既出の通り多治見-広見間の国有化が決まると、美濃太田への道が
開かれることになり、延伸開業とともに広見駅は現在の位置に移転
となった。なお、広見-御嵩間はこの時点で東美鉄道と変化し、駅
は移転後も共同使用していた。翌年には名鉄広見線が延びてきた。
追って名鉄と御嵩方面の線路は新広見駅として独立し、どちらの線
も北部から入線するスイッチバック型の駅となった。不況期を経て
ほどなく戦時体制に突入し、時流に乗るごとく東美鉄道は名鉄の陣
営に組み込まれた。太多線はこの間、気動車による旅客輸送が全線
で行われるようになったことを除き、ほぼ変化なく戦後を迎える。
美濃エリア有数のベッドタウンとして沿線が発達してくると、市制
の施行に伴って広見駅は可児駅となった。JRに移行してからは、
一部列車の岐阜直通や名古屋直結のホームライナーの運行も始まっ
た。ワンマン運転や中型気動車の導入による効率化も、成長の一里
塚であったかのように発展を遂げた。現在はローカル線型にとどま
らず、関西・紀勢線の快速「みえ」と同様のタイプも入線するよう
になった。現在は3扉大型車体の気動車が走る路線となっている。
並んでいる時刻表の数字を眺めると、平日・土曜休日ともに朝夕の
利用が多いことが窺える。日中は本数が減るが、1時間以上列車が
抜けてしまうことはない。間隔がおよそ20分毎になると、ほぼす
べてのすれ違いができる駅で列車が往来するようになる。多治見を
基点とすると、実に17時台から21時台の間、1時間あたり2本
から3本がテンポよく折り返していく。通勤通学時間帯の活気は、
なおも変貌する力を秘める太多線の力強い息吹なのかもしれない。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。
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