1990年10月の新大阪駅(在来線)
今回は1990年10月の新大阪駅のうち、在来線のものをとりあげてみます。
1987年4月の分割民営化によって新大阪駅の在来線部分はJR西日本の管轄となり、年を重ねるごとにさまざまな施策や改良が加えられるようになりました。
前回掲載分となる1986年11月のものと比較して目立つ違いは、新規乗り入れ路線として阪和線・紀勢本線が加わったことが大きいでしょう。国鉄時代は天王寺発着だった阪和線・紀勢本線の列車は、天王寺駅構内に追設された連絡線によって大阪環状線と梅田貨物線を経由して新大阪まで来ることができるようになりました。これにより特急「くろしお」が新大阪発着となり、2往復はさらに京都まで足を延ばすダイヤとなっています。さらに早朝深夜には快速列車も乗り入れるようになり、阪和線沿線と新幹線との接続時間帯が拡大されたかたちとなりました。深夜の快速列車は和歌山を越えて新宮まで走る夜行列車でもありました。
東海道本線については朝は9時からだった新快速が7時台や8時台にも設定されるようになり、1時間に1本程度だった夕ラッシュから夜間にかけては日中と同じく15~20分おきに設定がある主要種別への発展が図られました。
特急列車については表記面積の関係で列車名を割愛することにはなってしまいましたが、行先のバリエーションが大幅に増えていることも変化のひとつと言えます。「雷鳥」は魚津ゆきや富山地方鉄道の立山ゆきが追加され、「日本海」は青函トンネル開通による函館ゆきが誕生しました。さらには不定期列車ではありますが札幌ゆきも顔を出します。これは「トワイライトエクスプレス」。大阪駅を12時ちょうどに発車して日本海縦貫線をひた走り、翌朝9時過ぎに札幌へ到着する長距離寝台列車でした。
九州をめざす寝台特急は西鹿児島発着の「なは」、都城発着の「彗星」、長崎・佐世保発着の「あかつき」の3往復に集約されましたが、こちらも民営化後の新施策として普通車指定席の連結が始まっています。これは「レガートシート」という夜行バス同様の独立3列リクライニングシートの車両で、寝台よりも格安な料金での利用が可能でした。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。