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【百線一抄】059■県境を跳び越えるいなばと白兎の物語ー智頭急行

山あいを貫く新線は3県に跨がるローカル線である。陰陽連絡線の
姿を世に現出したのは平成6年のこと。構想から約70年、着工か
ら四半世紀、凍結から十数年の時を経て開通した。智頭急行智頭線
は、兵庫県の上郡から佐用を経由し、宮本武蔵からあわくら温泉ま
で岡山県を通過、鳥取県の智頭に入る第三セクターの路線である。

念願の路線と称して相違ない路線である。古くから因幡と播磨をつ
なぐルートとして成立しており、江戸時代には脇街道となって宿場
町も形成されてきた。19世紀末に鉄道建設運動が立ち上がり、大
正期には現在のルートによる計画が策定された。3県の関連自治体
も早期建設を促す運動を繰り広げるが、太平洋戦争により下火に。
のちに鉄道公団による工事が決定されたのは高度経済成長期。開業
を約7年後とし、新設の特急列車も運行される計画となっていた。

山間部の工事が進む一方で石油危機を経て工期は延び、既設駅の佐
用周辺や上郡駅周辺の計画変更も加わった。同じ頃の国鉄の経営は
不調を極め、収益が見込めない建設路線が工事凍結となった。鳥取
県が先に動くかたちで兵庫県、岡山県も協働する展開を見せて、国
鉄が消滅する直前、3県による第三セクター会社が産声を上げた。

開業にあたり、自動車道との競争を見据えて高規格路線に姿を変え
た智頭急行は、開業後すぐに試練を迎える。阪神大震災により都市
部への直通列車が運行できず、復旧までの間、姫路折返しを余儀な
くされる。復旧後は順調に利用客が増加して、車両の追加や増発が
毎年のように繰り広げられていく。さらには津山経由だった列車ま
で上郡を経由して岡山ー鳥取間を結ぶようになる。一見して遠回り
のように見える経路だが、高速運転による時短効果が大きかった。

突き出した先頭部が高速感を演出している「スーパーはくと」は、
気動車でありながらも制御付き振子機能を存分に発揮してトンネル
を次々串刺しにして智頭線内を快走する。同じような塗装の車両を
見かけるのは地域輸送向けの中型車だが、普通列車としては案外、
俊足でもある。智頭以北のJR線にも入りこみ、北端は鳥取駅まで
顔を出す。車両のアクセントである桃色は、智頭駅のひとつ手前に
なる恋山形で存分に味わえる。通り過ぎず立ち寄ってほしい駅だ。

多くの見物客で賑わう恋山形駅

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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