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1986年11月の新大阪駅(在来線)
今回は1986年11月の新大阪駅のうち、在来線のものをとりあげてみます。
1986年11月は、国鉄最後の全国ダイヤ改正が実施されたときにあたり、翌年(1987年)4月に向けた分割民営化を見据えた再構築が施された内容となりました。
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前回掲載分となる1984年6月のものと比較して目立つ違いは、九州寝台特急の本数が削減されて「明星」が消えたこともさることながら、大きな変化として見逃せないのは特急列車の食堂車が一斉に姿を消したこと。大阪―金沢・富山・新潟間を走る「雷鳥」だけでなく、大阪と青森を結ぶ「白鳥」も連結がなくなりました。一部の「雷鳥」には、役目を終えた食堂車を改造して畳敷きのお座敷席を設けた「和風車だんらん」が連結されるようになりました。
山陰側に目を向けると、福知山線の全線電化が実現するとともに気動車特急の「まつかぜ」が電車特急の「北近畿」に移行、新大阪・大阪ー城崎間のL特急となりました。播但線経由の「はまかぜ」は3往復体制となるとともに、列車番号も21Dから始まっていたのが1Dからの振り分けに変わりました。
あとは小さな変化として臨時列車の号数区分が51号からだったものが81号からに変わっています。これは特急列車の増発によって一部の地域で定期列車の号数が50を超えるようになり、区分の変更が必要になったことが背景にあります。
快速電車については京都ー大阪間無停車だった新快速が新大阪駅に停車するようになり、時刻表にも日中1時間当たり4本の停車列車が追加されました。さらに、複々線区間においては外側線や列車線、つまり特急や貨物列車が走る線路を通るようになったことから、走行中に内側線や電車線を走る快速や普通を追い抜くことが可能になりました。新快速の運行範囲は東海道線の東端が彦根まで、湖西線に乗り入れた場合の北端が近江舞子までとなりました。
それとともに、茨木・高槻にのみ停車していた快速電車も高槻ー京都間の各駅に停まるタイプが日中に設定されるようになりました。発車時刻も前述した新快速の変化に合わせて大きく動いていますが、日中15分間隔のスタイルは変わることなく引き継がれています。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。
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