【百線一抄】070■1揃いから始まった愛にあふれる新型路線―井原鉄道
三セク路線の中で大半の区間が新線となった路線が数社あるが、伯
備線と福塩線を東西につなぐ井原鉄道も、そのひとつである。井原
市を中心地域に据え、山陽本線より内陸にある集落を結ぶ。立体交
差により新線区間では踏切がほとんどなく、地形に依存せず直線的
に各地を結ぶ姿は、近代型路線ここにありという存在感を見せる。
矢掛や井原を結ぶ鉄道は大正期から存在しており、軽便線の井笠鉄
道が山陽本線の笠岡とを南北につないでいた。東西方向へは神辺側
を両備鉄道、井原側を井笠鉄道が建設を進め、高屋で両線が接続し
た。ほどなくして直通が始まり井原と福山を結ぶ路線が成立した。
地形の制約から井原―笠岡間と井原―福山間とを結ぶ2路線をまた
いで運行する列車はほぼなかったようだが、当時の流動実態がそれ
で成り立っていたともいえそうだ。昭和に入ると福山側が国によっ
て福塩線から分離され、神辺―井原間の路線となり戦後を迎えた。
ナローゲージのまま高度経済成長期を迎えた井笠鉄道の各線は、国
が計画を立ち上げた新線に道を譲るかたちで廃線を迎えるが、好況
ムードが急に変容した石油危機を経て、新線建設は凍結に追い込ま
れてしまう。国鉄の経営悪化によるローカル線の廃線を進めるなら
ば、需要拡大が期待できない新路線の建設は難しい状況であった。
井原線の建設再開は沿線自治体や関連企業による新会社の設立につ
づき、間もなく実現した。再開から約10年の歳月を積み重ね、全
区間開業日に設定されたのは1999年1月11日。さらに時刻を
も11時11分11秒とまで刻みを入れた。しかもこの年は和暦も
同じく「平成11年」。新路線の輝ける第一歩の時を「1揃い」と
なるまたとないタイミングで迎えたのであった。開業後5年目には
上下分離方式を導入、地域と連携した利用促進に取り組んでいる。
新しい鉄道であるがゆえに、その実力は未知数だ。沿線に点在する
興味深い史跡や観光施設を周辺地域ともに宣伝し、単なる鉄道利用
のみにとどまらずバスや自転車での周遊もいろいろ仕掛けている。
弓の名手として有名な那須与一の一族は、御家人として沿線地域に
赴任してきたという縁もある。20世紀の掉尾を飾るように験を担
ぐ1揃いの日時に開業した井原鉄道。高架線から眺める田園風景は
列車での旅を心地よく楽しめる、飾らずも一目置ける絶景なのだ。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。