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長い目で見れば、今現在の時点で「次の手」を探しておく事も良いことだと思う

まず「文化が揮発する」という話から入りたいのだ。

私がネットコミュニティを語る時、私は「飽和状態になる」「揮発する」という言い方をする。
まず最初の話。「コミュニティの一生」って提唱されたのはもう20年前の話なので、詳しく知らない人もいる。これはコミュニティが出来てから壊れるまでの流れを簡易に説明したものである。

初期:
い人が面いことを書く
中期:
くない人が面いものを見に来る
終末期:
くない人が面くないものを書き始める

https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E7%94%9F

もっと分かりやすく解説しよう。

①面白い事をする人が集まってコミュニティが形成される
②面白い人を見に来た人たちでコミュニティが賑わう
③面白い人だけじゃなくて面白くない人もコンテンツの提供を始める。
④面白くない人が増え、見に来た人は飽き始める。
⑤コミュニティの中に面白くない人以外いなくなる。
⑥全ての人が去り、コミュニティが過疎化していく。

というような流れをネットコミュニティは辿るとされる。私は概ねその通りだと思っている。これは20年間インターネットに居続けた私が経験した事と同じ基本的な知識だ。

さて、読者諸兄はどういうコミュニティに所属しているか。
私のXのフォロワーの大多数は配信者かVtuberである。ではVtuberとしよう。
Vtuberの読者諸兄は、今「Vtuber」というコンテンツはどのあたりに居ると思う?①~⑥だとどの番号にあたるのか?

私は③だと思っている。面白くない人もコンテンツの提供を始めた。ここだ。
Vtuberという概念がネット世界を席巻してから7年くらいが過ぎている。今は半分まで来たくらいだ。この先5~10年くらいかけて、Vtuberという文化は揮発するだろう。

文化が最高まで発展した時の事を、私は「飽和状態になった」と表現している。そしてその後は同じくらいの時間をかけて文化が消え去っていくことになる。

文化が飽和する」とは、コミュニティに属する全ての人間にコンテンツ生産能力が付与された状態であると考えている。つまり需要と供給がMAXまで上がり、ありとあらゆる人がコンテンツの生産を行う。
コミュニティの初期にはコンテンツを供給しているクリエイターは少数であり、その少数が面白いコンテンツを提供することでコミュニティは賑わっていく。
文化の飽和状態」が起こり、全てのコミュニティ参加者がコンテンツの生産に携わり始めると、元から居たクリエイターは生産するという特権が奪われる。自分が提供しているコンテンツの価値が暴落し、最初からいた面白いクリエイターは生産を継続することが困難になっていく。そうすると面白いクリエイターはコミュニティから抜けてしまう。
そうすると残るのはクリエイターではなく工場の工員のような存在である。同じものを作る事はできても新しい物を生み出すことは殆どない。
そして次第にコミュニティから人が減り始めるのである。

Vtuberの文化を見たとき、当初は一部のごく限られたクリエイターがコミュニティを牽引していた。四天王の時代~にじさんじ・ホロライブの黎明期にかけて、彼らは血の滲む努力をしてコンテンツの生産に取り組んだ。それはとても良い。
しかし現在を見ていると、多くの人がLIVE2Dを使ってVtuber化し、コンテンツの生産に取り組んでいる。まあこれも良い。なぜならVtuber化に必要なイラストを供給するのは特権的階級のクリエイターであるイラストレーターLIVE2Dモデラーが必要だからだ。そのクリエイターたちは限られた人しか持てない技術を持っているために、コンテンツの生産を補助しつつも過剰に生産することはないからだ。

状況が変わっていくのは、一昨年くらいから顕著になった人工知能(AI)の発展である。これはイラストやLIVE2Dモデルを文字列だけで出力させるという技術面では先進的なシステムだ。しかしそれは元来特権階級であったイラストレーターやモデラーの利益を破壊する事は間違いない。

実際の問題として、私のフォロワーにも数十名以上は何らかの形でイラストをAI出力したものを使っている人がいる。それの善し悪しという問題になると判断は難しい。

Vtuber化に技術やクリエイターが必要なくなれば、「文化の飽和」は一気に加速することになる。自分の作りたい顔をAIに入力し、出力してもらうだけで顔面トラッキングすることができるようになれば、もうVtuberは特権階級のみの世界ではなくなる。
次第に誰もがVtuberになることが「当たり前」になっていく。ネットで配信する上ではトラッキングしてイラストを被せるかカメラで自分を映すかの二択になる。
そうなった場合、何をもって「Vtuber」を定義する?どこからどこまでがVtuberで、どこからがリスナーで、どこからが一般人なのか?誰がコンテンツの生産者で、誰が消費者なのか?
これらが分からない事を「文化が揮発する」という。液体から気体になって拡散していく。そこにあって当たり前になっていく。顔をトラッキングして配信することが当たり前になるので、クリエイティブなコンテンツを提供する事が必要ではなくなる。つまりもう皆が自由に持てるものを、新たに生産する必要はないわけだ。

そして文化の揮発により、コミュニティの内と外の境界線があいまいになっていく。Vtuberとリアルの人間を行き来する人も増えるし、コンテンツの消費者がいきなり生産者になったりする。
今までは中で済んでいた事が外にも出ていくようになる。例えばVtuberがテレビや雑誌に出演することで、Vtuberの定義が僅かに変わった事は分かると思う。今までYoutubeだけで活動する者をVtuberと呼んだが、それ以後は「VtuberとはYoutubeを主体として活動する者」に変化したわけだ。
現在はあらゆる媒体で活動する二次元イラストを持つ者を広義的にVtuberと呼ぶこともあるし、今後は定義があいまいになっていく。実際、例えばR-18Vtuber界隈においては実写化の流れは進行している。

コミュニティの一生において、過疎化を回避するために必要なのは「棲み分け」だ。新規参入があったとき、ある一定の条件を設けてお前は違うと言って仲間外れにする。そうすることによって文化が飽和する事を抑制し、コンテンツの生産者と消費者を固定化する。これは広義的に「閉じたコンテンツ」に近いものだ。閉じたコンテンツで問題になるのは、自然発生的な人口減少が起こったときに新規参入で過疎化を防ぐことが難しい事だ。また生産者が炎上した時に、閉じたコンテンツは破壊的なダメージを食らうことになる。

しかもXやYoutubeで閉じたコンテンツを作るのは極めて難しい。SNSは運営の性質上、SNSの運営者は「開かれたコンテンツ」をユーザーに強制する。掲示板のように運営がユーザーに委ねられていない以上、閉じたコンテンツを形成する事は極めて難しい。

AIの登場と席巻は「コミュニティの一生」においては「面白くない人が面白くない事をはじめる」に該当する事案だろう。何が面白くないかというと、Vtuberの顔を作ってるイラストレーターやモデラーにとって面白くないのである。そしてこれらのクリエイターがVtuber文化から離脱する事は致命的だ。

AIを破滅させる方法はいろいろあるのだが、現在議論されてるのはデータセットのやり取りに関するところが多いと思う。ここに着目する事を大勢の反AI論者がやっているが、大半が誤りだ。その人たちが言ってるのはAIのデータ収集に違法なデータセットが使われているという主張だ。これは正しい。だが、現在のAIのエンジンに関してはそうなのだが、AIそのものを否定する方向に議論を進めないとまずい。
例えば今だったらこうだ、イーロンマスクがカドカワに「金ならいくらでも出すからpixivのデータを全部AIに食わさせてほしい」と札束をドサドサ置いたらどうなる?カドカワは経営も厳しいだろうから、色々手順を踏んだうえで差し出すんじゃないか?それくらいの空気感はAI肯定派によって醸成されつつある。そうなったらおそらく法的要件を完全にクリアしてしまうか、法的要件の改定があるだろう。(私はそういうところも含めて資本主義と法治主義が好かない)
実際XはGrokを導入して、WEBサイトから学習させて質問に受け答えさせているし、大勢のVtuberはその際どさも知らずに利用している。

AIを破滅させる最も簡単な方法は、バカみたいな情報をAIに食わせ続けて正常に機能させなくさせることなのだが、多くの人はそのやり方に気づいていない。

まあ要するに現状だとAIの浸食を止めるのは難しいだろうというのが私の予想だ。このままいけばAIは確実にデジタル世界の頂点に立ってしまうだろう。そうなればVtuberのコミュニティの揮発は加速し、VtuberがVtuberでなくなってしまう。そうすれば今活動している多くのVtuberは「いくら活動しても見てもらえない」「長い事配信してるのに同時接続が伸びない」などの悩みを持つ人が増えて行く事になる(実際今もそうだ)。そうするとコミュニティから去る人が増え、狭義的にはVtuberのコミュニティは過疎化し、広義的にはVtuberの文化は揮発してしまうことになる。

私は今後10年くらいでVtuberは多様化し、色々なジャンルが生まれていくが、今の状態を維持するのは極めて難しいと言っている。

さてここからは今のVtuberがどうやって生き残っていくかの話になる。

今の多くのVtuberの掲げる、同時接続数を伸ばしたい、再生数を増やしたい、登録者を増やしたいって、実は簡単なことなんだ。それは大雑把に言えば人と同じ事をやればいい。他人と同じゲームをほぼ同じサムネでやっていくだけでいい。多分Youtuber専門学校に行ったら教科書にどういうサムネでどんな配信をすれば良いか書いてあるから、その通りにやればいい。伸びてる他人と全く同じ事をすれば、だいたい同じように伸びるというのは理屈では分かると思う。
それがなぜ苦しいのかというと「適合しない」からだ。自分のやりたい事と上手くマッチングしてない。これでどうしたら良いか分かんない人が多いと思う。

同じものを同じように作るのって簡単だと先に述べた。工場の工員みたいなもんだと。今のVtuber界隈ならそれで伸ばせる。やりたくなくてもとりあえずやれば良い。伸びたいんでしょ?

ただじゃあ3年先5年先10年先という長い目で見ると違ってくる。工場の工員というのはロボットで置き換えられ始める。AIだ。AIがYoutubeやTwitchなどに導入され始めたら、もう面白いコンテンツは全部AIが提供できるようになる。実際動画つくるAIってもうあるでしょう。AIが広まれば、今までのデジタルコンテンツの価値は暴落し、全てのデジタルクリエイターが稼げる職業であること難しくなるだろう。そしてAIの脅威からクリエイターを守ってくれる政府や会社は存在しない。いずれ誰もが存亡の危機に立たされることになる。

だから私はいつも「伸びたい」よりも「生き残りたい」って思っている。それがとても難しい。先にも言ったように伸びるだけならいくらでもできる。実際昨年2月か3月に猫ミームが流行って、私も便乗して適当に動画作ったら20万回再生されたので、そんなに難しいことじゃない。問題は近いうちにそういう動画はAIが作れるようになることだ。だからクリエイターとしてコミュニティに居住を継続したまま生き残るのはとても難しい

私は先が見えすぎる持病があるから、どうしてもこういうときに心配になる。なので「次の手」をいつも考えている。状況に合わせて判断は変わってくる。そしてインターネットが普及した現在、大きなコミュニティであっても短いスパンで寿命を迎えるようになった。流行りがすぐに廃れる。なので、いつ「次の手」が必要になるか分からない。能天気にただ配信だけ垂れ流せばいいだけじゃない。私はいつも次の手を考えている。10年先、自分は活動を続けられるだろうか。

「次の手」を考えるときは、私はやっぱり手札を見ておく。何ができるか。
動画は作れる。ゲームは上手くない。絵は描けない。こうして文章を書かせれば人よりはできる。とか。

そして何より大切なのは「やりたいことをやり続ける」こと。
やりたい事って「個性的」であると思う。その人のDNAから来るものもあるし、その人の歴史から来るものもとても大きい。それはその人だけのものだ。だから他人と違う。
他人との違いを極度に恐れる人がいる。それじゃ人気になれない、知名度が上がらないって言う人がいる。だが、それで良い。
知名度も再生数も人気もいらない、何もいらない。金も要らない。生活もどうでもいい。まともじゃなくていい。他人の理解もいらない。
ただ俺は俺のやりたいようにやる!って叫んでほしい。それだけでいい。
個性をとにかく追求する。やりたい事のためなら泥水だって飲む。
それこそが「芸術的個性の爆発」だ。
真のクリエイターの誕生である。
真のクリエイターとは、誰にも頼られず、誰かに頼らず、唯一無二の存在である。
真のクリエイターはAIに絶対に負けない。ただその辺にある作品を集めて割って平均化したモノなど恐れるに足りない。自分の作品がAIに食われるなら、食わせ続ければいい。真のクリエイターは自分のやりたい事を徹底的に追求するので、集合知を恐れない。自分でイチから作成したコンテンツは、その時すぐに誰かに模倣されることはない。

これを実際にやった人間は大勢いる。まずピカソだ。ピカソの絵は唯一無二だろ?戦争を目で見て耳で聞いて脳を経て出力されたら、なぜゲルニカが描ける?あの人の見えてる世界はあんな世界?
音楽だって動画だってそうだ。音楽の世界で私は平沢進を推している。唯一無二の独創的な世界観が、私を引きずり込んでいく。先月公開された庵野監督の作ったガンダムを見た人も多いだろう。素晴らしい映像だったに違いない。

だから私は、自分を拘らない。型は次々に変える。プラットフォームもどんどん変える。とにかく長い目で見て活動を続けるためには、自発的に変化する事が必要だ。Vtuberがもう駄目だなあと思ったら次のジャンルに行ってそこでやる。でも絶対に譲らないのは、自分がどこで何をしてきたか、必ず残すということだ。私は今でもニコニコ動画のプレミアム会員だ。2015年2月15日に生まれて初めて公開した動画が、今でもそこに残っている。それを保全するドワンゴへの感謝を込めて、毎月500円支払っているのだ。
Xのアカウントも絶対に消さない。残す。転生なんてもってのほかだ。自分が気づき上げてきた個性の連続を消してなるものか。名前も絶対変えないぞ。私が生きてきた事を、ネットの隅で良いから刻み込んでやる。

この記事を読んだ読者諸兄のうち悩んでいる人がいれば、ここには答えの1000ピースあるうちの1ピースが書いてあったんじゃないかと思う。足りないピースは誰かに教えてもらうか、自分で探さなきゃいけない。教科書に書いてあるかもしれないし、誰かの配信でヒントを得られるかもしれない。自分で研究するのもいいだろう。
とにかく自由だ。自由にやっていい。何かに縛られて、自分のやりたい事を見失ってはいけない。

日付が代わって2時間経ってしまった。
朝起きたらリポストしないとね。


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玉虫ですよ!
インターネットを渡り歩いてまだ6年、色々なカテゴリを楽しみ、「消費者」として生きています。 そんな文化の消費者の毎日思ったことアレコレを書いていきます。雑記。