演劇部・高校時代後編
一番濃くて一番青春してて一番どろどろした期間だった。
学年は2年に上がり、先輩方が去年やっていたように、部活の運営をメインで行うこととなった。夏にある地区大会に向けてもあわただしく動いていた。
昨年の地区大会は惜しくも予選敗退となってしまったので、今年こそは「県大会に進出する」と同期で一丸となって動いていた。一体感はまあ心地よかった。かもしれない。
県大会の脚本に決まったのは当時の大親友の台本であった。台本は暗い雰囲気と理解が難しく読解力が必要そうな、単細胞の私には全てが理解できないものであった。大親友の過去の心の中がかなり盛り込まれた台本のようだ。
いつもの如くオーディションが執り行われ、同期がほぼ役者に選ばれた。
先に行っておくと、この脚本は非常に闇が深く、「県大会」で役者をやった半数以上は今後舞台に立とうとする者はいなかった。
そんな闇の深い脚本とはいざ知らず、私たちは「県大会出場」を目標に稽古に励んだ。
この時の私の役は引きこもりの子供の母親であり、家事をしながら自分の子供としゃべる場面があった。キッチンもどきのものなんて高校演劇で用意できる訳もないので、パントマイムですべての家事の動作を表現した。
最初の私のパントマイムはひどく、後輩からも「魔女が窯で薬混ぜてるみたい」と揶揄される始末であり、なにくそと思いながら、練習を行った。ひたすら家事の動作を動画で見て、自分で実際にものを動かして「指の形」「動かす速度」「動作の幅」と家事のパントマイムを体に叩き込んだ。
迎えた地区大会。今までのすべてを出した。終了後、審査員からパントマイムが非常に良かったとの好評をもらった。
だが、県大会に進出はできなかった。
「やるべきことをやったから、もう悔いはない。残りの演劇部を仲間と楽しもう。」と思った矢先に大親友から連絡があった。
「地区大会に有名な人が来てくれて、それぞれの役者に対する好評をもらったから、聞きたい人は私のところに直接来て欲しい。有名な人の名は話せない」と。
もちろん気になる。聴いた。愕然とした。
内容は「あなた一人で演技してるわね。」の一言。
思い返せば、確かにその通りだと思った。恥ずかしながら、お芝居をしているのに、私は練習でセリフがよく飛んだ。地区大会で「セリフを飛ばさせるまい」と意識しすぎて、周りに何も配慮が出来なくなっていた。
ひとりで演技してる、確かにその通りだ。反論の言葉も無かった。
今考えれば、「これからは、周りのこともちゃんと意識できるようになろう。」と思えれば良かったのだが、その当時の私にそんな気力は無かった。
「私がひとりで演技してしまったから、県大会に行けなかった。」とさえ思い、責任を感じていた。そのことを大親友には言わなかった。大親友に気を遣わせたくなかったからである。
地区大会が終わり、2年目の卒業生応援講演の準備が始まり、皆は慌ただしくしていた。だが、私の時は地区大会後で止まったままだった。
この頃の私はガサガサに荒んでした。。
役者をやる為だけに伸ばしていた髪に自ら鋏を入れ、後輩には「こんな風にはなるなよ。」などと言う始末。はたから見ていても非常に痛々しいこと極まり無かった。
だけれども、本気で打ち込んだからこそダメージが大きいのだろうと、今の私は昔の私を擁護したい。
その後の部の舞台は全てメイクスタッフとして過ごし、部、高校も卒業した。
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