見出し画像

玉光神社の「場所」の神学(西田幾多郎の哲学用語を使用する本山博について):AM

玉光神社における西田哲学用語の使用

玉光神社は、玉光大神という神様が教祖・本山キヌエに降臨したことに始まります。
その後、教義を体系化したのは初代宮司・本山博でした。

本山博(1925~2015)は、他の新宗教と同様、様々な宗教的伝統の言葉で、自身や教祖の体験を言語化しようとしてきました。
ただ、おそらく玉光神社に特徴的なのは、本山キヌエと本山博の神秘的な体験を、様々な宗教的伝統だけでなく、西田幾多郎の哲学用語を使用して語っていることだと思われます。

西田幾多郎(1870~1945)は日本の哲学者で、日本独自の哲学を初めて確立したと言っても過言ではないと思います。

一方、本山博は東京文理科大学(現筑波大学)で哲学を学び、博士号をとっています。
東京文理科大学では西田に師事した下村寅太郎から学び、また同じく西田に師事した当時学長であった務台理作とよく議論したとも書かれていますから、西田の影響を間接的に受けたことは明らかです(本山博『超意識への飛躍:瞑想・三昧に入ると何が生ずるか』1985年、宗教心理出版、76~78頁)。

さらに本山博自身、西田哲学から用語を借りてきたとはっきりと述べているので、その点は間違いありません(同書、127~128頁)。

しかし、本山キヌエ・本山博という個人の宗教体験を言語化・体系化するために他の体系から用語を持ってくるため、どうしても本来の用語とは意味合いが変わってくる場合があります。
ですから、西田幾多郎の思想をそのまま宗教として具体化したというわけではなく、ただただ自身の体験を説明するために西田哲学の用語を借りてきたと言った方が正しいと言えます。

「場所」としての神と「絶対無」

西田哲学からは、「場所」「絶対無」「自己限定」「自己否定」といった用語が借用されています。
(以下の記述は、本山博『超感覚的なものとその世界:宗教経験の世界』1990年、宗教心理出版、第六章を参照しています。)

本山博によれば、神様は「場所」としての性質を持っています
神々はそれぞれ支配領域(物理的な場所ではありません)があり、その領域を納め、その領域にいる個々のものに働きかけるとともに、その領域(場所)そのものでもあると言います。

そうした場所である神(神々)は、その始原を辿ると創造者(最高神)に至ります。
さらに遡ると「絶対無」に至ると言います。
なぜ「絶対無」なのかと言えば、神々や最高神、そして人間というのは「有」として存在していますが、「絶対無」はそうした存在とは一線を画し、有でも無でもない、絶対の無だからです。

少し分かりやすくするために、マルクス・ガブリエルというドイツの哲学者の議論を参照してみます(以下は、マルクス・ガブリエル著、清水一浩訳『なぜ世界は存在しないのか』2018年、講談社選書メチエ、を参照しています)。
ガブリエルは、「世界」は「存在しない」が、「世界以外」は「すべて存在している」と言っています。

例えば、シャーロック・ホームズが存在するかどうかと問われると、現実においては否ですが、物語においては然りと言えます。
つまり、「現実という場所に於いてシャーロック・ホームズは存在していない」が、「物語という場所に於いてシャーロック・ホームズは存在している」と言えます。

つまり、何かが「存在する」と言いうるには、「どこに於いて」ということが不可欠です。

このように何かが「存在する」と言いうるには、存在している「場所」もセットで考えなければなりません(ガブリエルは「意味の場」と言っており、「場所」という用語は使っていません)。
ではすべてを包み込む「世界」は存在するのかというと、ガブリエルは「否」といいます。
なぜなら、「世界」が存在するための、世界以上の「場所」が存在しないからです。
世界はすべてを包み込むが故に、自身は存在する領域を持たないため、存在できないのです。

本山博の場合も構造的には同じで、「有」である神や人が存在している「場所」そのものは、最終的に「無」と考えざるを得ないということです。
ガブリエルが指摘するように、「有」をすべて包む存在は、もはや「有」ではありえないからです。
そして、それは「有」も、それと対比される「無」も包んでいて、有も無も超えているわけで、これを本山博は「絶対無」と呼んでいます(西田の言う「絶対無」とは意味合いは異なっています)。
ガブリエルは、端的に「世界は無い」と言うわけですが、本山は世界とはつまるところ「絶対無である」と言うわけです。
「絶対無」が「ある」とは語義矛盾ですが、言語を超えたことを表現しているので、矛盾した言い方になっている(矛盾した言い方でないと語れない)と考えることができます。

「体験」を語るための多様な伝統の援用

本山博は、その初期において、自身と教祖の宗教体験を西田はじめプラトンなどの哲学、そしてヨガ・スートラや空海、エックハルト、プロティノス、十字架のヨハネといった東西の神秘主義の言葉を借りて説明しようとしました。
その後、アストラルやカラーナといった神智学的な用語を取り入れて説明するようになり、当時のニューエイジやオカルトブームにも受け入れられることになりました。
ただそれらの言葉も換骨奪胎して使用されていると言えます。

本山博の中心にあったのは、あくまでも「体験」であり、諸々の用語はそれを説明するための「道具」に過ぎないと思われます
そのため、縦横無尽に様々な伝統の言葉を借用したと考えられ、その結果、西田哲学の用語も他の用語も、異なった意味で使用されることになったと思われます。

とはいえ、本山博の神学と西田哲学の異同は玉光神社神学の理解や構築の上で重要であるとも思うので、また機会があれば書きたいと思います。