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一つの祈り―願いはどのようにかなうのだろう―:M.F

こんにちは、note担当のAMです。
今回は、M.Fさんによる、日々のお祈りの実践と経験についての随筆です。


人間生きていくなかで、様々な望みが出てきますが、その望みが自分にとっても、すべてにとっても、最も良いものであるかどうか私にはよくわかりません。
それで、神様に何かお願いする時は、神様の御心にそって最も良い方向に進んでいくことが出来ますようにとお祈りするようにしています。

結婚後、子供が出来にくいカルマ(過去の行為が原因となり、良いものも悪いものも次の行為に引き継がれて、ある結果を生み出すという因果関係)があり、それでも子供を望んでいましたが、子供が出来ることがカルマを解く上でも良いかどうかわからなかったので、子供をお授けくださいというお祈りではなく、子供のことについては、神様の御心にそって最も良い方向にお導きくださいとお祈りを続けていました。
また同時にカルマのお浄めなどのお祈りも続けていました。

四十代半ば近くになり、やはり子供は無理なのかなあと主人とも話しながら、それを受け入れるような気持にもなっていきました。

さすがに歳も行き、このお祈りは四十五歳までにしようと考えておりましたところ、お祈りをはじめて十年、四十五歳八か月で子供を授かり、四十六歳で出産致しました。

また、その子供が高校受験期になった時、前からどうしても入りたいと本人が決めていて、私も賛成していた高校がありましたが、やはり、そちらに合格させてくださいというお祈りではなく、神様の御心にそって最も良い方向へとお祈りを続けておりましたところ、子供が夏を過ぎた頃に、突然違う高校に行きたいと言い出しました。
あんなに行きたがっていたのにと思いながらも、お祈りを続けていると、今度は急に推薦で受けたいというのです。
もうだんだん間近に迫っていますし、推薦はちょっと難しいのではと思っておりましたが、なんとか合格させていただくことが出来ました。
本人は後から、「筆記試験を受けていたら、試験が難しかったので受からなかったかもしれない」などと言っておりました。
その後、コロナで大変な時期でもありましたが、三年間無事に高校生活を過ごし、兼ねてから志望していた大学に入学致しました。

このようなお祈りをしていると、自分の望みがそのまま叶うこともあれば、違う方向へと進んでいくこともあります。また自然と道が開けてくる時もあります。
たしかに受け入れることが難しい時もあるかもしれませんが、でも結局それが自分にとっても関わりのある方々にとっても、最良の結果につながっていくように思うのです。
お祈りをしながら、神様の大きな流れにそって、神様と共に進んでいくことができれば、それ以上のものはないのではないかと。

そしていつかきっと心に虹がかかる日がくるような気がします。