感謝の心 ―愛するということ①―:M.F
愛という言葉はだれでも知っているし、誰の心にもあたたかく響く言葉だと思いますが、
でも本当の愛ってなんだろう。
神は愛であるというが、その愛とはどういうものなのだろうか・・
自分なりではありますが少し考えていきたいと思います。
愛につながるものとして、ひとつには感謝の心があるのではないでしょうか。
パリのオリンピック・パラリンピックでは、多くの日本選手がメダルを獲得し、本当に素晴らしかったですね。それまでたくさんの努力の積み重ねがあったのだろうと思います。
絶対にあきらめないという強い意志を持つことも大事、リラックスしてとにかく楽しくやろうと心を開放することも大事、どちらが良いというわけでもなく、その時々で自分にとって最も良い方向へ自分自身を導くことが大切なのかもしれません。
そして選手の人たちは皆、お世話になった方々や応援してくださった方々への感謝の言葉を述べていました。
また、野球で活躍している大谷選手も大記録を達成され、本当に素晴らしいですね。
その心の内はわかりませんが、野球を愛し、楽しみながら、かつ怪我も乗り越えて自分を律しながら強い精神で野球を続けているようにも思えます。
そして、大谷選手の感謝の心や思いやりの行動一つ一つが、世の中の人々に大きな影響を与えていることも確かだと思います。
一方で、有名ではないが、どんな人もそれぞれの仕事や生活の中で、自分のできることを精一杯行えば、それが大きな力となり社会が動いている。
みんなそれぞれの場所でそれぞれの立場で、多くの人の役に立ちながら、互いに感謝し合って生きている。そこでは一人ひとりが主役ですね。
もちろん人間同士だけでなく、自然や様々なものに感謝しながら皆毎日生きている。
その感謝の心が愛に繋がっていくようにも思います。
では、私はどうなのだろう。
特に身近な人、主人や娘に感謝の気持ちをちゃんと伝えているだろうか・・
私の父は三年ほど前に他界しましたが、亡くなる前は寝たきりの生活を送っていました。
弟がよく介護をしてくれていて、私はたまに手伝いに行っていたのですが、そんな私にも父はお水をもっていけば「ありがとう」 ちょっと体を起こしてあげても「ありがとう」
「面倒かけてごめんな、ありがとうな」とずっと感謝の言葉を伝えてくれていました。
私はそんな父の愛情を最後まで感じていました。
私はというと、なんとなく気恥ずかしくて感謝の気持ちを父にあまり伝えられていなかったようにも思います。他人にはたくさん言えるのに・・
父が亡くなったそのときに、感謝の言葉を父の枕元で伝えていました。
本当は直接伝えたかった。「お父さん、ありがとうございました」とただ一言だったのに、伝えられればよかったのに・・言葉で感謝を伝えることも大切だとその時つくづく感じました。
また、日々の生活に追われている中で、当たり前のように与えられているものへの感謝を忘れていると感じることもあります。
ある時テレビで、病を持つ少年が、「自分は病のために人にしてもらうばかりで、人の役に立ちたいと思っても何もできない」と心苦しい胸の内を語っていました。
でも最後に「両親や友人や看護師さんも、自分が生きているだけで、みんなが喜んでくれている。自分は生きているだけでいいんだ、それだけでいいんだなと思うようになった」と話していました。
私はその言葉が心に響いて、ずっと心の奥に残っています。
私も生きていく中で、大変なことや辛いことも多々ありますが、そんな時少年のこの言葉を思い出すと勇気づけられ励まされます。
周りの人々とつながって支え合いながら生きていることへの感謝、それは愛につながっている。
そして生命への感謝、今ここに生きているということ、ここに存在しているということへの感謝、それは本当に尊いことだと思います。
人は様々なことを経験しながらも、「人間は生きているだけで素晴らしい」と、感じるときがきっとあるのではないでしょうか。
そしてすべては神によって生かされている。
その神への感謝が、神の愛を感得することにも、さらにつながっていくのではないでしょうか。