現実は神様の御手配?!――『起きたことを喜べ』について考える。:ハチドリ
玉光神社の教えの1つに『起きたことを喜べ』がある。古い信者は知っているのだろうが、最近の信者は聞いたことがないのではないだろうか。
私たち人間は人生のさまざまな出来事に遭遇し、向き合って生きていかざるをえないが、その出来事はよいこともあれば、悪いこともある。その都度一喜一憂して生きているのが、大半の人である。自分にとって都合のよいことはありがたいが、そうでないことはありがたくないのが普通である。しかし、『起きたことを喜べ』『出来た事を喜べ』という。これは厳しい真理に見える。
『清光先生の思い出』(玉光神社組長会編・1975年・玉光神社)の中で、玉光神社準教祖余島シズエ(清光先生)は以下のように述べている。
『玉光神社教祖自叙伝』(本山キヌエ著・本山博編・1975年・宗教心理出版)にも、御神言(神様のお言葉)として下記のような記述がある。
また、初代宮司・本山博も湾岸戦争当時の講話において
とある。
さて、上記の引用はどれも世の常識を超える文言であろう。現実が神様のベストのお手配であると、どれくらいの人が思えるだろうか?病気の人はひたすら病気平癒を願うのみだろう。しかし、病に勝てずに亡くなる人もいる。その時、本人や家族がそれが最善のお手配と思えることはないだろう。自己や家のカルマによってその現実があると受け入れて、前を向いて精進していくのは、なかなかに難しい。
上記の『玉光神社教祖自叙伝』にも長男の病気の全快を祈ったが、因縁に打ち勝つこともできず亡くなり、空しく去って行った信者についての御神言がある。
このように個人の小さな人生の出来事でも、不幸や不運は当然受け入れがたい。これが戦争や自然災害といった自分の力ではどうにもならないような大きな災禍に出会ったり、巻き込まれた場合、一層その現実を受け入れることは困難である。地球規模の大きな動きに関わることは、個人は翻弄されるのみで、個人の無力を思い知らされるのみであろう。いつの時代も無辜の民は時代に翻弄されながら、必死に生きている。大神様以外が軽々しく『起きたことを喜べ』などとは絶対に言えないことであるし、振りかざす言葉ではない。個人の内面に響く言葉であろう。
しかし、本山博は「長い目で見ると、いつの場合でも、起きたことが願った個人にとっても、あるいはその国にとっても世界にとっても一番いいことがいつも神様の御意志のままに起きているように思うのです。」と起きたことがベストであったと述べている。
喜べないような事が起きた時に人間はどう対処すればいいのだろうか。上記の引用で、余島は「それを喜んでさせて戴けないまでも、一生懸命精進すればいいのですよ。挫けずにね、努力するものが救われる、自分から退いてしまわないように。」と述べ、御神言は『神が与えたこの時を逃さぬよう、この世で順縁にかえる迄祈り、真心をつくせ。』と教えている。
現宮司・本山一博も講話の中で、「一生懸命に祈る、そして自分のできることは一生懸命にするという単純な実践」(『光の便り』334号4頁)と表現している。
喜べないことが起きたとしても、その苦難に打ちのめされて、「退いてしまわないように」、祈りながら懸命な努力をしていくことが、神様のお力を賜る道のように思われる。起きた事の関係性の中で、「ひと」や「もの」や「こと」が重層的に変化していき、「人間万事塞翁が馬」となっていく。しかし、どこでどんな神様の御手配があるかは、人間の側からはわからないことである。けれども、「これはお手配だな」と気づく時がある。それは人間の成長と結びついている。
玉光神社には、ある出来事を通して、自分も周りも成り立ち、調和が生まれ、幸せになったという話や、その出来事が逆縁(敵対し憎みあった関係)を順縁に変化させる機縁となって時間とともに物事が好転したというような体験談が多数ある。(『お代様・お救いの神業』(本山博編・1975年・宗教心理出版)をはじめ玉光神社の信者の体験談)
自分に都合の悪いことが起きたとしても、神様がその人も周りも成長させるために、一番良いことが起きていたのであり、さまざまな困難も超えられるようにお手配くださった絶妙の方便であったり、成長への試金石だったということに気づいた時、自らを取り巻く現実が自らを導いていたことを得心し、感謝が沸き起こる。
神様の愛に気づくのに時間がかかるのは、子が親になってはじめて親の愛に気づくのと同じなのだろうか。玉光神社の根本教典『十五条の御神訓』第三条は『神の愛を感得し真似すべし』である。