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中村天風の積極心:ハレ

時々、中村天風を熱心に実践している方と話します。

彼は、天風を極めようと天風の主立った著書数冊を毎年数回読み返す程熱心に研究しているのです。
先日、ちょっと質問してみました。
「天風は積極心と言っていて消極的な心を全く捨てるように言っていると思うけど、なかなかいつもイケイケドンドンとは出来ません。」
私は彼程ではありませんが、天風は読んだこともあり、天風会のメルマガを毎朝読んでいて、啓発されることも多々あります。
「確かに天風は積極心と言っているけど、それは単なるイケイケドンドンとか、行くか行かないかの時に無闇に行けばいいということを言っているのではなくて、彼の言う積極心とはより前向きな方へとか、将来性のある方向とか、より多くの人のためになる、より愛の大きい方を選ぶ、それを積極心と言っているのだと思いますよ。
勿論、行くか行かないか躊躇するとき行けという、そういうこともあるけれど、それだけではないと思います。」
という返事をもらいました。

なるほどと思いました。
玉光神社には「超作」という教えがあります。
初代宮司本山博の著書『愛と超作』の序文には

超作とは、人や自然が成り立つように、愛と智慧をもって、対象である人や自然になりきって働くことである。すると、人も自然も自分をも包摂する大きな存在に成長する。そこでは人をも自然をも助け成り立たせることができる。全ての人が共存できる社会を成り立たすことができる。

本山博『愛と超作』宗教心理出版、1996、v頁

とありますが、天風の積極心はこれに通じるものがあると思いました。

玉光神社の「十五条の御神訓」第6条は
「すべてのものは神の愛によりて生き 物の力にて壊れる」
とあります。
「自分さえよければ、カネにさえなれば」という考えではなくてもっと大きな愛に満ちた生き方を勧める、そこにも通じると思いました。

いいことを聞いたと思い、こういう生き方について話すのが好きな友人にこの天風の話をしました。
「中村天風は積極的な生き方を勧めているけれど、自分はなかなかイケイケドンドンは出来なくて。
でも、天風の積極的というのは何かをするときに、より前向きな方へとか、将来性のある方向とか、より多くの人のためになる、より愛の大きい方を選ぶ、それを天風は積極的といい、そういう生き方を勧めているという話を聞いて、成る程と思ったよ。」
と話したところ、彼は不思議そうに
「それは普通でないの?」
「いや、普通の人は、より楽な方とかコスパがいい方を選ぶと思うよ。」
「そうか、ふーん…」

彼は事業をいくつも成功させている実業家ですが、常にそういう考え方、生き方をしていればそれは当然の帰結なのだろうなと改めて思った次第でした(汗)。