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日常の行為の中でする瞑想――超作(ちょうさく)という名の瞑想行8:ポンチ井の頭
20世紀の初め、イギリスで盛んに行われた心霊研究の中、特に有名なのが、古代インディアン霊(本当はもっと高い霊格の神霊と言われている)がモーリス・バーバネルを通じて語った膨大な神霊らしき存在の言葉、シルバーバーチの霊訓がある。
シルバーバーチという存在が神霊であるかどうかは実は誰にも分からないのだが、私個人の感想ではあるが、説いている内容の質やシルバーバーチの謙虚さや首尾一貫した論点などから、かなりの霊格をもった神霊に近い存在ではないかと想像する。以下はその中の記述である。
(21)神も、しょせんは人間という物的な道具を使用するしかないのです。あなた方は霊力が地上へ働きかけるための道具です。ですから心を開き、受身的になり、先入観を取り除くことが大切です。人のために役立ちたいという願望を抱くことが大切です。その願望に感応して、そのために必要な援助が届けられます。
(3) しょせん人間は同胞に奉仕することによって大霊に奉仕する以外に、大霊への協力の道はないのです。地上には政治学、経済学、社会学といった立派そうな名称やラベルをつけた分野があり、それが勿体つけて説かれておりますが、どれもこれも、しょせんは言葉の遊戯に過ぎません。
私に言わせれば service(サービス)の一語ですべてが片付くのです。人のために役立つことをする───それが宗教です。
(6)あなた方一人ひとりが大霊の一部であることを忘れてはなりません。一人ひとりが大霊の仕事に貢献し、大霊の力と愛と知識を地上へもたらすことができるのです。自分より恵まれない人のために力を貸そうと努力する時、大霊の力がみなさんを通して顕現するのです。どの分野でもよろしい。どこの誰でもよろしい。意気消沈している人を元気づけ、弱った人に手を貸し、暗闇の中に明かりをもたらし、空腹の人に食べるものを与え、身を横たえる所さえない人に安らかな眠りの場を提供してあげれば、それが大霊に協力するゆえんとなります。(7)神の働きに何か特別なわくがあって、特殊な経路でしかその恩恵がもたらされないかに考える傾向がありますが、神の力はそれを受け取る波長を持つ人なら誰にでも与えられるものです。要するに神の御心に適った心掛けがカギです。地上的名声も社会的地位も、肌の色も人種も、国家も階級も関係ありません。どこであろうと、誰であろうと、神の御心に適った人は真の大源から力を授かり、心が啓発され、魂が鼓舞され、造化の仕事に参加させてもらえるのです。
皆さんはこれを読んで、まさに本山博の超作を神霊に近いと思われる存在側から説明したものだと感じはしないだろうか。「人のために役に立つ」「心を開き、受身的になり、先入観を取り除くことが大切」「大霊(創造主のことをこう呼ぶ)の力と愛と知識を地上へもたらす」「大霊の力がみなさんを通して顕現」「御心に適った心掛け」「真の大源から力を授かり」どれもこれも、本山博のいう超作に極めて近いように読める。
さらに、ここでも、大霊からの働きかけを感知する(出来る)ということは一切触れられておらず、例えば「人のために力を貸そうと努力する時、大霊の力がみなさんを通して顕現する」のように、気づかないうちに、条件が合致すれば自動的に力が顕現すると言っているように取れるのである。