戦争終結と祈りについて:ひろり
こんにちは、note担当のAMです。
今回は、ひろりさんによる、「祈り」についての随筆です。
今年(2023年)10月7日のパレスチナ自治区ガザのハマスによるイスラエル爆撃から、中東に再び戦火が起き、多くの民間人が犠牲になっている。
ハマスの軍事進攻の背景には、ハマス軍事政権へのガザ地区住民の支持率減少への危機感や、イスラエルとアラブ諸国が次々に国交正常化し、アラブの盟主サウジアラビアまでが、米国の仲介でイスラエルとの国交正常化交渉を進めていたことからくるハマスの国際的孤立への危機感などがあると池上彰先生がテレ朝の番組で言っていた。
当事国の軍事対決の背後にイランなどの動きが絡み、大国同士の軍事支援合戦になれば、戦いが長期化して、さらに多くの市民が犠牲になる可能性もある。
できるだけ犠牲者が出ないで早期に戦争が終結することを祈る。
世界が最も核戦争の危機にあったのは、1962年10月のキューバ危機であったといわれる。
1959年にカストロらによりキューバの社会主義革命がなされ、米国がカストロから距離を置く中、ソ連とカストロの関係が親密化していった。
1961年10月にケネディーが大統領になり、1962年4月のピッグス湾事件での米国によるカストロ政権打倒の失敗を経て、1962年夏には、フルシチョフはキューバに核ミサイルを配備する計画を決定したと言われている。キューバへのミサイル配備をフルシチョフが検討し始めたのは1962年4月の終わりごろだったと言われている。(ウィキペディアによる)
三鷹の井の頭に玉光神社という神社があり、ご祭神は玉光大神(たまみつおおかみ)。
昭和7年に香川県の小豆島で、その後教祖となる本山キヌエに神様が御降臨し、『吾は天津神玉光大神なり。今から五年の後には天がさかしま(逆さま)になるような戦争がおこる。それを救わんが為に下りたるものぞよ。』との御神言があった。
その後、実際に昭和12年に日中戦争が起こり、昭和16年には太平洋戦争が始まった。教祖の本山キヌエは審神者(さにわ)の余島清光とともに、神様の言葉のままに、日本各地を浄めて回り、日本の勝利と戦争の終結、世界の平和を祈った。
玉光神社の『教祖自叙伝』によると、1962年5月11日に玉光大神が教祖に降臨し、
『今日より百八十日間、11月9日まで、般若心経を唱えて世界平和を祈れ。今、世界が三つに別れて、戦争を起こそうとしている。』と仰せになりました、とある。
映画『13デイズ』でも描かれているが、1962年10月24日の米国によるキューバ海域の海上封鎖開始、暗黒の土曜日と言われている10月27日の米軍機撃墜、カリブ海でのソ連原子力潜水艦の艦長の誤認による核攻撃の危機などを経て、ケネディーとフルシチョフの交渉と決断によって、10月28日に、ソ連によるキューバミサイル撤去と米国がトルコに配備した核ミサイル撤去が合意された。
実際にキューバのミサイル基地が撤去されたのは11月中と言われている。
現実のキューバ危機は、10月16日から28日までの13日間がヤマ場であった。
一方そこに至るまでに、1959年のキューバ革命や中国とソ連の対立、1960年のU2撃墜による米ソの一触即発、ソ連とキューバの関係緊密化から1962年春から夏にかけてのクレムリンにおけるキューバ核配備の決定など、米ソと中国に代表される非同盟諸国の3つ巴の対立の激化があった。
そして、1962年5月頃に、世界では知られていない実際のキューバ危機が始まっており、政治家をはじめ現実の事案に生命を賭して対処する人々の努力と、神のもとで人知れず祈る人々の祈りとが相俟って戦争の危機が回避されていった。
前述の『教祖自叙伝』によると、1940年の御神言に
『代(教祖本山キヌエ)を初め皆は新年を迎えるに当たり、一年の計をたてているか。一年の計もたてぬような者には大成はなせぬぞ。吾は百年、否、三百年の計を打ち立てたるぞ。これからは世界が三つに別れ争いを起こす。この争いも三百年の後には世界が一つになり、真の平和をもたらすであろう。信者の皆もこの一大事の時にあたり、いったん志を立てた上は、どんな困難にも打ち勝ってやりとげねばならぬぞ。』
世界に頻発する戦争が、地球が一つになるための神様のご経綸の中にあるとすれば、私たちは、起きてしまった戦争の早期の終結と根本的な和解を、まずは自らの心に中に真剣に求めなければならない。