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連載賞説:How to 正しいsex.(重複生活)」13

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ワタシハゆみこ

最近になって、母親が自殺する夢を見た。ブラーンと首をつっていた。そうは言っても、シーンが変わったら母親はしつこく生きていたのだけど。小さい頃は熊に追いかけられる夢ばかりを見ていて、夜中に発狂したように家中を駆け回り、親が救急車を呼んだことが数回ある。

親のことを思い出すことはあまりない。誰かに説明するのは少し億劫だ。けれど幼いころの思い出と言えば、カレンダーの余白に窓、電気の傘、カーテンレールなどこまごまと書き込み、学校から帰ると、まずポピーというドリルを1ページ回答すると、そのカレンダーに書き込まれている、窓、電気の傘、カーテンレール…といった風に計画に則って掃除を励行し、それが終わると、家にある引き出しをチェックし、その中を整理整頓するっていう子供だった。

不思議なことも覚えている。私は父親の指の味と感触を舌で知っているのだ。それは何故なのかわからない。感触はかたくて乾燥していた。味は…表現が難しいけれど、少し苦みのようなものがあった。その感触と味は私にとって快であったか不快であったかといえば、勿論不快だ。

父の口臭はきつかった。酒も飲まないのにきつかった。タバコの匂いだけじゃない。生暖かく、臭いその息、それを私はとてもとても深くて、沈んだ場所で知っている。その息は私の眼球にもかかったほどだ。ベロの味だって知っている。厚いベロだった。

妹は私に対して教育的な人だった。私はよく道徳的に叱られたし、親思いでないと親不孝であると叱られた。また、服装の趣味が悪いとも叱られることも多かった。ダイエットと肌の手入れと、トリートメントに熱心な人だった。

そして、もう二十歳になる前に、私は自殺未遂の常習者となぜかなってしまったのだが、入院を繰り返したり、保護室で拘束衣を着ていたり、そんなふうに10代後半から20代前半を過ごし、20代の後半は実家でほとんどは実家で過ごしていたのだけど(たまに入院もしたような気もする)、その実家で何をしていたかというと、部屋の14インチの赤茶けたブラウン管のテレビで国会中継のビデオをエンドレスで流して、それに背を向けて茶色い壁を見ていたし、トイレに行こうと階下へ降りると、台所には近所の江柳亭でとった冷えた中華丼が置かれていて、それをチンするなんて言う名案も特に浮かぶわけでもなく、少し片栗粉でプルンとしているその中華丼を少し食べたると、母と妹は、散歩に行かないと体に悪い、お日様にあたらないと、精神にも悪いというアドバイスをもって、私を散歩に誘い、精神の疲労と肉体の疲労で、私の歩みが遅いせいであったのか、母と妹は、仲睦まじい母親と娘といった風情で並列にとても至近距離で並びながら、笑い談笑しながら歩いているのだが、再度言うと、私は精神的な疲労と肉体的な疲労で…歩みが遅く…、その10mほど後方というのか、そこを俯くわけではないけれど、母と妹の背を見ながら、必死で歩くのだった。冬でも脇に汗をかいたけど、それは私の精神と体の健康のためなのだ。

そして、30少し前には知り合った男性と特に深く考えることもなく結婚し、幸いとてもいい人で、心の弱い人で、臆病な人で、その反動からのやさしさに似ているものは持っている人で、穏やかな日常を過ごし、その結婚生活は15年に及んだのだけど、私が母からのラインを、一か月程度「未読スルー」してしまったために、警官が4人なのか5人なのか…、警官は柔道をやるという知識はのちに得たのだけれど、やはりとても屈強であり、大きく、2DKの貧しいアパートにそれら警官が集まると、私には恐怖心というダイレクトな気持ちと同時に、まだ、これからもどうしたって生きなくてはならないように思える、そんな茫漠たる人生に、一言で言ってしまうと「不安」という霧が充満している、その中をゆっくりしか歩けないような、そんな副次的な不安感さえ覚えさせ、やっと「生きています」警官に向かって告白する、ということしかできなかった。

そうこうしているうちにラインをきちんとチェックをするようになったのだが、母からのメールといえば
「ゆみこ、いい加減にしなさい!家に帰って2階で反省しなさい!
という気味が悪いと言っては悪いかもしれないけれど、やはりこれも不安感しか駆り立てぬ、そんなセンテンスがずらりと並んでいて、

私は文章ながらにも、とつとつと、
「私は結婚した、遊んでいるというわけでもなく、ペットも飼い、生活を営んでいる」
と答えるしかなかった。

ある日、アパートのチャイムが鳴り、主人が、ドアを開けると、母がおしゃれをしスカーフを巻いて立っており、ドアを押さえつけながら、大声で
「この子はね、基地外なんですよ。統合失調症。統合失調症って皆さんご存じ?基地外ですよ。何をするのかね、わかったもんじゃないんです。親がね、責任もって見てないとね、なにをするのか分かったもんじゃない」
と叫んでいて、家の最も奥で、縮こまり固くなって耳を両手で押さえる私にさえ聞こえてきて、近所の人は物見遊山に出てくるのかと思えば、逆に誰も音さえ立てず、母の叫び声以外は森閑とし、ぼそぼそと答える主人の声を聞いていたら、私は何やら、涙を流していた。

主人は、私の財布に取り上げ、無造作に札を数枚入れると、急いだ風にその財布を私の赤いバッグに突っ込み、
「ゆみこ、遠くまで逃げろ。できる限り遠くまで」
と言い、そして私に謝るのです。
「本当に本当に、ごめんなあ。俺、お前の母ちゃん、無理だ」

私は涙を一滴もこぼすことなく、ねえ、バス停まで送ってくれない?と言い、遠回りして、見つからないように行こう誘うと主人も賛成し、遠回りする、そのとても住み慣れたアパートがある街であるのに、その見慣れない裏道に、心細く、これから、どうなるのか、もう、何もかもわからず、けれど、私の身の上はその時、誰の庇護のもとにももういられないということだけははっきりしていたわけで、一瞬ですが、性を売ろうか、などと考えてみて、いいや、私は40を過ぎてる、性を売れる年でもないし、と、逆に安堵もしたりつつ、主人と黙って、畑の間のわきに少し背の高い雑草が生える舗装された道を、夏真っ盛りだったので、何もかも乾燥させてしまうような、皮膚も、のども、何もかも干からびているような、そんな夢のような、シュールレアリスムの映画の中にいるような、感覚でバス停に出ると、見慣れている風景のせいか、一瞬懐かしい日常に帰ることができたかのよう安堵も感じたけど、それはニセモノであることも理解はしていて、近所のコンビニで、主人はガリガリ君を買ってくれて、私に渡しながら、
「ゆみこ、なるべく遠くへ逃げろよ」
と再度念を押し

「うん、ねえ、本当に長い事お世話になりました。迷惑を沢山かけました。ありがとうございました」

とお辞儀をしたら、乾いたアスファルトにぽたりと涙がこぼれ、慌てて、瞼を押さえ、鼻をこすると、残念なことに、ぼたっと、アイスはアスファルトに無残に落ち、砕けてしまった。

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小説を書きながら一人暮らしをしています。お金を嫌えばお金に嫌われる。貯金額という相対的幸福には興味はありませんが、不便は大変困るのです。 ぜひ応援よろしくお願いします!