勢い(も)大事。
昨日の勢いを身体に残すことに成功したので、何か書いてみようかと。
私は度々【自分には何かが足りない】ということを考えながら一日を過ごすことがある。「一日中、自分のこと考えてるなんて、自分のこと大好きなんだね。」とか言われそうで怖いけど、実際にはまだ言われていないので、スルーしましょう。
その【足りないもの】は、日によって変わることもあれば、ずっと足りないのにそのままにしているものもある。てか、【足りない】とは?って自分の中でもぼんやりしている。「そんなぼんやりしているのに話を続ける気なの?」はい、続けたいと思います。
まず私には【勢い】が足りない。ざっくりしてますね。だけど本当に勢いなのよ。勢いが足りない、【勢い】の【iki】までは出てくるのに、肝心の【oi】をいつも落としてしまう、そんな感覚。わからない人はググりましょう。出てこないだろうけど。
何をするにも計画、順番、誰かの教え、が命。それをこなせば何とかなる人生だった。時々、それが崩れそうになることもあったけど、大人たちの力によって軌道修正できていたし、真面目にそれだけをこなせば生きていけちゃったの。
だけど歳を重ねるにつれて、自分が敷いた計画という名のレールの上を思うように進めなくなるようなことが増えた。
シンプルに自分がその計画に縛られていたのだ。
【定職に就く】【仕事は最低3年続ける】【やりたくないことも続けてみる】とかそんなこと。あと対人関係のことだったりとか。
だけどそんな自分の思いや意思が気持ちよく通過するように、世界はうまくできていないのね。
自分が課したその計画に、気持ちが追い付かなくなってしまって。
「なんでこんなことしているんだろう、あっ、でもやり続けなくちゃ、それが私でしょ?それを乗り越えてきたんでしょ?」という呪いを自分でかけていた。
だけどふと最近、その呪いが解けつつあって、というかもうほとんど解けてて。
きっとそれは【勢い】のおかげな気がしている。まだ実行はできていないけど、心の中で【勢い】が召喚されたことは確かで。
自分にかけた呪いを少しづつ払拭していこうという気持ちで今は生きている。
きっと私が【勢い】でやることの周りで、損をしてしまう人がいるかもしれないし、心配になる人とかも出てくるかもしれない。
開き直っちゃいけないことかもしれないけど、それはきっとどこの場所にいても出てくる人たちなのだと思う。
自分がした行いで傷を負う人が出るのが嫌で(傷だなんてこれっぽちも思ってない人もいるだろうけど)、【勢い】に身を任せるのが怖かったのだ。
だけど、みんなが同時に幸せになることはないのかってことに最近気づいてから、じゃあ、その【勢い】の波に乗ってみてもいいかもしれない。たまには先がはっきりしていないレールの上に乗るのもありなのでは?という気持ちが私にも芽生えた。
もちろん、このレールの先がガタガタで不安定かもしれないし、途切れているかもしれないし、いい行先ばかりではないかもしれない。だけどそれでも私はこの【勢い】に今は身を任せていたいのだ。
今の自分がそれでいいと思うのなら、それでいいのだ。
もちろん、無計画すぎるのは良くないけどね。半々くらいで。たまに【勢い】が半分を超える。そんなざっくりでいいのだと思う。
(何言いたいか分からないし、こいつめっちゃわがままだなだけじゃん、なんて思われたかもしれないけど、まだ直接言われていないのでスルーします。)
たまみより
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