母を嫌いと思ってはいけない?
引き続き過去のブログから。
この記事は2015年9月に書いたもの。
母との関係でわたし自身が少し楽になれたきっかけです。
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2015年9月のブログ
わたしは母に対してものすごく怒っていたんだなあと思います
最近思うことは、親子であろうと意識、考え、生き方があまりにもかけ離れていたら一緒には生きていけないんじゃないかなあと思います
そして、好きか嫌いかで考えたら
母、という人を「お母さん」って思うとどうしても「すき」と言わないといけない気がするし、嫌なわけない
でも母、という人を一般的な「人」って思うと好きか嫌いかのどちらかでいうとしたら
嫌いなのかもしれません
母を思い出すと、良いことばかり思い出すし、こうであってほしいと願望みたいなのもでてきてしまいます
今の母で、母というカテゴリに入れずに、一人の人として一緒に生きていけるのか、と考えたら無理だなあと思います
てことは嫌いなのか?
「嫌い」と言ってしまうとなんか気が楽になりました
それでも縁を切ることも切れることもありません
いろんなことあったし、たくさん傷つけて
母を嫌いな母にさせてしまったのもわたしかもしれない
母は母
そこは変わらない
どんな母でもわたしの母です
それがわたしのお母さん
「お母さん」はわたしへの命を繋いでくれた人
それだけでいいんじゃないかなって思えたんです
ほんとは、それだけですごいことだから
血は繋がってても別人格の人間です
「お母さん」ってことばが自分も母も苦しめてる気がする
なんかうまく言えないけど
今はなんか、重たいなにかを脱ぎ捨てた気がします
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「嫌い」という言葉は絶対に使ってはいけないと思っていました。
「好き」と思わないといけないと思っていました。
でも嫌いなのかもって思えた、心の声が言えたとき
すごく楽になりました。
それを認めたらどうなったか?
本当に嫌いになったのか、嫌いという気持ちが大きくなったのかというと
全くそうではありませんでした。
母と関係するさまざまなブロックを外したからというのもありますが
全く嫌いではなくなりました^^
むしろ今の母は好きですし、愛おしく思えます。
心から産んでくれてありがとうと言えます
自分自身の心の声を一旦受けとめてあげる
ただそれだけでも、心の奥底にいる本当の自分には
大事なことだったりします
自分の本当の声を認めてくれた
解ってくれた、信じてもらえたら
心の奥底の本当の自分は安心しとても嬉しいのです
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