意識たまねぎの皮は境界線と感情
今日も眠たくて夢の中に落ちてしまいそうなのですが
ちょっと頑張って書いてみます
昨日の続き
まずなぜ意識の世界がたまねぎなのか・・・
それは、本当の気持ちは芯の部分にあり、
そこにたどり着くまでには
たまねぎのように皮や、外側の身を
とっていかなければ見えてこないから
皮や外側の身が頑丈についているのに
いきなり中身を見ようとしても見えないのです
見たつもりでも、そのガードされているものたちの
フィルターを通しているので
ちょっとずれている可能性が高いのです
限りなく近いんですけど
ちょっとだけずれていることが多いと思います
なぜずれちゃうのか
それは
過去の記憶が今の自分へ影響しています
母親や父親の期待に応えたいとか
両親に恩返ししなければならないとかの思い込みとか
過去の傷をいやすためではなく、
塗り替えるためだけの
背伸びした想いだったりとか
それで前に進める力になることも多いにあるし
間違ってはいないと思います
だけど、あるときふと
ほんとうにやりたいことなのかな
とわからなくなったりします
例えば
「人の心に寄り添いたい」というのが魂がやりたいことだったのが
過去の記憶や思い込み(過去ブロック)がプラスされて
「(親を喜ばせるために地位と名誉のある)人の役に立つ医者になりたい」
とすり替わることがあったり
魂は地位も名誉も求めていなくて
ほんとうは、医者じゃなくても資格がなくても
人の心に寄り添えることがしたかったのに
超多忙で人の心に寄り添う暇もない忙しいお医者さんになって
「あれ、おかしいな。なにかが違う」
「人の役に立つ」という意味では間違っていないはずなのに
それがやりたかったはずなのに
なにが違うんだろう
世の中的には認められているのに
何かが心の奥で苦しいといっている
社会ってそういうもん、やりたいことと現実は違う
そんなふうにちょっとずれているだけなのに
長い現代社会に埋もれて
そのずれに気付けなくなってしまったり
しているのではないかな、と思います
そのずれに気付いて、
過去や思い込みを取り除くことで
本当のやりたいことへの道が見えてくるのではないかな、と思うのです。
さっきのお医者さんだったら
地位と名誉のある大学病院にいるなら
大学病院じゃないところで心に寄り添える小さな診療所とか
相談所をつくったりとか
そんなふうにちょっと生き方が変えられて
魂が求めていたことをやれるのではないかな
(勝手な妄想ですが)
ちょっと話がずれてきましたが
このたまねぎの皮の部分は
自分を守っているものです
外の世界との「境界線」です。
そして外の世界と繋がって関係を保つためのものでもあります。
外からの刺激から守ったり
自分が外の世界に影響を受けすぎないように
バランスをとっているのではないかな、と思います。
自分の顕在意識と潜在意識のバランスも・・・・
そして皮の部分は「感情」や「表情」でもあります
外の世界から身を守るために
上手くとりつくろったり、苦笑いしたり
思ってもいない表情をしたりします。
また、外の世界と繋がるのに
表情豊かに喜んだり表現したりもします
自分を守りすぎても
自分を犠牲にして外の物ばかり受け入れすぎても
バランスを崩してしまいます
自分を守りすぎて
傷つきたくなくて人に合わせすぎしまうと
本当の感情がわからなくなって
意識たまねぎの皮はどんどん固くなっていきます
自分の感情よりも
社会になじむため、人を傷つけないため
自分が傷つかないため
感情を鈍感にすることを
社会になじむ方法として身に着けてしまったり
感情がぶれると苦しくなるから
やりたいことに気付いてしまうと
がんばらなきゃいけなくなるから
今いる場所を壊さなきゃいけなくなるから
いろんな理由で仮面をかぶり
表情も硬くなっていって
意識たまねぎの皮も固くなるのです
自分の感情に気付かない限り
心が喜ぶことがわからないので
自分のほんとうのやりたいこと
魂がこの地球に生まれた目的を知ることは
できなくなります。
自分の感情に気付くこと
自分の感情を認めてあげること
良い人になりすぎないこと
世の中が認める良い人は
あなたの本当の魂が輝いているとは限らないのです
自分の使命、魂がこの地球に降りてきた理由は
占い師や親や先生が知っているわけではありません
社会が認めたものでもありません
自分の心が、どれだけ喜んで嬉しくて楽しくて
わくわくして、苦しくてもやりたくて
それをやりにきたんだ、体験しに来たんだ
と感じることが
その人が地球に来た使命なのだと思います。
と、今日はここまで。
また続きまぁす('ω')ノ