「脳死グリーン」ってなんですか?
日向坂46のLIVEがあると、とある話題がもちあがります。
「けやき坂時代の楽曲に、緑のペンライトを振るのをやめよう」運動です。
ひなた坂46LIVEでも、けやき坂46の楽曲の時は観客席が緑色に染まります。
体感で1割に満たない程度の人数が、緑に抗うように別の色をつけます。
彼らは緑色を灯す人間のことを、「何も考えずに緑にする」という意味で「脳死グリーン」と呼ぶようです(おそらく使っているのは過激派)。
彼らの主張は3つで、
・日向坂46に対して、いつまで欅の色を掲げているのか
・まわりが緑をつけてるからといって、まわりに合わせるな
・いちいち色を変えるな、推しの色を貫け
ということです。
あたしは上記3つのどれにも賛同できます。
日向坂をないがしろにする行為は演者である彼女らにたいへん失礼です。
自分で考えることをやめて周りに合わせるのも嫌いです。
推しへの愛は行動で示すものだと思います。
彼らの主張には大賛成です。
大賛成なのですが、「緑色をやめよう」という運動には賛同できません。
矛盾していると思われるでしょうか。逆張りだと思われるでしょうか。
まあ逆張りは好きなんですけど、それとこれとは話が別です。
今回は、「賛成だけど反対」とはどういうことなのか、noteに書きます。
「日向坂46に対して、いつまで欅の色を掲げているのか」
その通りだと思います。
日向坂46に、けやき坂46の面影を見ているのであれば、演者に失礼です。
日向坂46に、けやき坂46の面影を見ている場合の話です。
空色や、推しの色を灯す方々からすれば、緑を灯すのは邪道なのでしょう。
でも、個人個人で、ペンライトの光をつける意味は様々です。
それぞれが、それぞれの想いを光にのせています。
ファンである証に演者の色をつける方もいれば、そうでない方もいます。
音楽と嗅覚は、ときに過去の記憶を強く想起させます。
けやき坂の楽曲を聴いて当時に思いを馳せると、ペンライトを緑色にせずにいられないほどエモいのでしょうか。
それとも、演者ではなく、けやき坂の楽曲に対する礼儀として緑色を灯しているのでしょうか。
あるいはJOYFUL LOVEのように綺麗な光の絨毯を作る感覚で、一面を綺麗な緑に染める一員となりたいのでしょうか。
あたしが想像しうるだけでも、様々な理由が考えられます。
もしかすると、あたしの思いもよらない理由があるのかもしれないし、逆に特に理由がないのかもしれません。
ただひとつ、確実に言えることは、どれが正解だというわけでもなければ、どれが崇高だというわけでもありません。
初めに述べたように、あたしは今まさにそのステージに立つ演者に対して、ペンライトの光を向けるべきだと思います。
しかし、その価値観が絶対的に正しいというわけではありません。
あくまであたしの中で正しいと思っただけです。
演者を観にくる人もいれば、楽曲を聴きにくる人もいます。
その空気にひたりたい人もいれば、空気を作り上げたい人もいます。
盛り上がりたい人もいれば、想いをぶつけたい人もいます。
推しを愛する人もいれば、日向坂という物語に惹かれる人もいます。
目立ちたい人もいるし、目立ちたくない人だっています。
有名人を肉眼で見たいだけの人も、暴れたいだけの人もいます。
ライブの楽しみ方はさまざまなのに、ご自身の価値観に反しているからと、他者にそれをやめさせようというのはいささか傲慢です。
ちなみに……
先日のひなた坂46LIVEのスクリーンには、緑×白×ピンクで描かれたロゴと、空色を基調にしたロゴが映されていました。
セトリ上、けやき坂ゾーンと、日向坂ゾーンを演出していたのでしょう。
運営の真意はわかりませんが、ファンの間で沸く緑色論争に対して、公式が暗に示した回答なのかもしれません。
「まわりが緑をつけてるからといって、まわりに合わせるな」
同調圧力に屈するなよ、ということですね。
おっしゃる通りだと思います。大賛成です。
ところで、緑を灯す方々は、まわりに合わせているのでしょうか。
前述したように、彼らがご自身で考えた結果、自らの意志で緑を灯している可能性は考えられませんか。
そもそもの話、なぜ周りの方々が周りに合わせていることが我慢ならないのでしょうか。
あなたご自身が、ご自身の意志で緑色ではない光を灯しているのであれば、それでよくないですか?
自分が緑色の光に囲まれる中、一人だけ違う色を灯していることがどうにも心細いのですか?
心細いならそう言えばいいのに。仲間がほしいならそう言えばいいのに。
緑色の方々がまわりばかりを気にしているように見えているみたいですが、あなた自身がまわりの緑色ばかりを見ていませんか?
関係者席ばかりキョロキョロ見ている方々と一緒です。演者を見ましょう。
自分の推し色を信じてください。まわりの緑色の方々は誰にも迷惑かけず、緑色を信じているだけです。
緑色の光に囲まれて自分の推し色を信じられなくなりそうだからといって、まわりを敵だと思い込まないでくださいね。
嫌な言い方をしてしまえば、自分が自分自身に負けそうなのを、まわりへの八つ当たりで誤魔化さないでください。
「いちいち色を変えるな、推しの色を貫け」
あなたの推しに対する姿勢が大好きです。頭を縦にぶんぶん振ります。
特にあたしなんかは、頭の中では推しメンのことしか考えてません。
推しの色こそが至高だと思っています。
そんなあたしがどうしても好きになれない人間がいます。
推しがいないステージに対して推しの影を追う人間です。
たまーーに、卒業メンバーのタオルを持ってくる方、いますよね。
今目の前にいるアイドルを見ろと思います。
ひなた坂46LIVEには、少人数のユニットで披露する楽曲があります。
あたしはそのユニットの中に推しメンがいなければ、推し色のペンライトは素直に下ろします。
ステージに立っているメンバーの色を灯してあげたいのはやまやまですが、恥ずかしながらあたしは推しメンの色しか覚えてません。
せめて「ひなた坂46大好き」の気持ちを込め、空色を灯すことがあります。
(おとなしくペンライトの電源を切り、クラップ一本でいくこともあります)
推しへのまっすぐな愛とは、尊いものです。
でも、独りよがりの愛は、時に歪みを生じます。
もはや愛とは呼べない狂気へ変貌することもあります。
愚直に推し色を貫くことが、演者への冒涜につながりかねません。
LIVEに足を運ぶファンは、各々が各々で考えて身の程をわきまえます。
それぞれに推し方があります。ペンライトの灯し方もそれぞれです。
それにけちをつけるのは、余計なお世話です。
結論
……以上が、賛成だけど反対っていう話でした。
長々と書き殴りましたが、何が言いたいかと言うと自分の信条とする分には大いに賛成だけど、他人に押し付けるのは反対ってことです。
余談①チケットが外れるのは日頃の行いが悪いから
前に、ついったらんどで「緑ペンライトにする人にチケットが用意されて、自分が外れるなんてどういうことだ」というツイートを見ました。
多分日頃の行いが悪いんじゃないかなと思います。あたし性格悪いですね。
でも、そういうことです。嫌な気分になるかは自分次第です。
嫌な気分になったのは、自分でそうなることを選んだからです。
他人が自分と違う考え方だということに、勝手に嫌な気分になって、勝手に悪者扱いしてるんですもん。
きっと緑色勢の方がよほどチケットを手にするに相応しかったんでしょう。
少なくとも自分にチケットが当たらなかったことに被害者意識を持っちゃううちは、ライブに行っちゃいけないと思います。
ライブは楽しむために行くのに、周りを気にして嫌な気分を抱えるなんて、自分が辛くなるだけですよ。
卒コン期間に絶対現れる「卒メン推しの人以外はチケット応募するな」系のひとたちも同じです。
自分にチケットが当たらなかったことを、他人の応募のせいだと思っているひとたちのことです。
他人の推しへの応援を、自分への悪意だと捉えているわけです。
当たるも外れるも運次第の賭けごとに乗ったのはあなた自身です。
応募した結果、外れたっていうだけの話です。
余談②推し活を200%楽しめる方法
チケットが外れたとき「当たった人たち、楽しんできてくれ~!」と思えるメンタルになると世界変わりますよ。
当たっても外れても幸せなんですもん。どう転んでも幸せ。
現場参戦者からのライブレポートを読むのも楽しめるようになってくれば、推し活がほんとに楽しくなります。おすすめです!
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