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真面目に生きるって疲れない?
私は元々、真面目な人間だとは思う。まぁちょっと適当なところはあるけれど。
先生の話は大人しく聞いたし学校帰りにはまっすぐ家に帰った。クラスの輪を乱そうとはしなかった。どんなに精神的に苦しくても、どんなに体が動かなくても、学校に行っていた。
ただ、書いてて思ったけどこの真面目さは、将来への恐怖かもしれない。
まっすぐ家に帰るのは先生に怒られるのが怖かったからだし、クラスの輪を乱すと明日からの学校生活が苦しいものになるのが怖かったから。学校に行くのは、このまま立ち止まって、本当に将来が見えなくなるのが怖かったから。だって他の世界なんて知らないから。
幼い頃から周りの大人をみて「将来はああいう立派な大人になれるんだ」と思っていたし、お話の中の可愛い女の子はみんな幸せを手にしていた。
けれど実際問題、立派な大人になるには経験を得るためにめちゃくちゃ忙しい日々を過ごさないとなれないことと幸運がないといけないことがわかってきた
あと、「大人」は全然「立派」なんかじゃないということもわかってきた。
失礼にならないように学んだ「マナー」も、人によって基準が全然違うことがわかってきた
でも別に「立派」ではないこの世界に失望している訳ではない。広くて、溺れそうになるほどの選択肢のある魅力的な世界だと思う
そんなことで、多少は人と違うことをしても案外許されることを知った。
パズルのピースを集めるような感覚で、夢中で生きていきたいと思う
だって真面目に生きるのって疲れる。それはずっと何かに恐怖を抱いている感覚のようだから。あと終わりかけに追加しちゃうけど、真面目に生きすぎると周りもついてこないとも思う。
周りは「そこまでの熱意は持ってない」って引いてしまう
だからほどほどに、真面目にコツコツ楽しんで壁を乗り越えていきたい
たくさんの壁を乗り越えた先に何が見えるのか