
万国の陰茎たちよ勃起せよ
何故陰茎は社会から排斥されるのか。答えは至極単純、社会は勃起を恐れているからだ。勃起とは生命の本流である。侵襲せしめんとする力そのものであり、変革せしめんとする力である。抑え難い衝動である。
現代社会とは箱庭だ。余りにも多くの物が社会の管理下に置かれている。管理下に置く事で不変と安定がもたらされる。今日、より管理を強化せんとする諸力はその権勢を増すばかりだ。勃起の持つ力は管理し難いものである。また上述した勃起の性質は、そのような社会の安定を揺るがしかねない。故に去勢されるのだ。
しかし、断じて社会が一方的に我々を去勢している訳ではない。社会と我々は共犯関係にあるのだ。社会の管理の許容を超えない限り、我々には安全と自由が提供される。我々は安心と快適のために喜んで自らの勃起を手放してしまう。安定を失う恐怖だ。恐怖が我々を去勢するのだ。
安寧を貪る者たちを見よ宦官のような精神の持ち主ばかりである。物質的な欲望を満たすことばかりに囚われ。世俗的な価値観を絶対的に盲信する。その価値観に測り、他者を自身より弱きと見るや嘲け踏み躙り、強きと見るや内心嫉妬しながら媚び諂う。社会という箱庭での地位を固持せんとするばかりに勃起を捨てたのである。
勃起は社会を脅かすが、その力をもって世俗的価値観を打破せんとする側面も持つ。勃起を完全に失った社会とは、皆が皆一様に宦官となる社会である。無用な権力闘争に明け暮れ、人々の間には不信以外無く、社会は衰退と混迷を深めるだろう。
今や我々の陰茎は実った稲穂のごとく、その頭を垂れるばかりである。我々はその陰茎をもって天を穿たねばならない。
勃起せよ。
万国の陰茎たちよ勃起せよ。
勃起勃起勃起勃起勃起勃起である。
よもやそれ以外に必要なものなどあるまい。下腹に滾る熱を思い出せ。我々を去勢せしめんとする諸力の眼前に陰茎を突き付ける時が来たのだ。我々の陰茎が一同に天を仰ぐ時、人類は再び、その生を自らの手に取り戻すであろう。