
優生思想と巨根至上主義──お前の陰茎は生き残れるか?
昨今、優生思想の隆盛を感じずにはいられない。「〇〇は人権が無い」「〇〇は殺処分しろ」と宣う者たちが居る。私はそのような者を目にする度、こう思うのである。
一億総巨根社会の到来は近いと。
優生思想とは平たく言えば「優良」な性質を人工的に選抜・促進することにより人類を「改良」せんとする思想である。普段から下ネタ満載の私には重いテーマだが陰茎を奮い立たせ書いたので一読いただけるとありがたい。
突然だが読者諸茎らはブロイラーをご存知だろう。あのニワトリである。ブロイラーは生育・生存に置いて種々の問題を抱えている。「肥育が迅速」という人間にとって「優良」な性質を選抜し品種改良した結果、急激な成長により歩行障害を伴う個体が多発する事となった。ブロイラーはその性質をもって人間の飼育下で繁栄しているが、現状の性質を保ったまま野生下で繁栄することは難しいだろう。「優良」とされる性質は限定的で恣意的だ。一時代、一地域、一社会において優れているとされる性質に過ぎない。私が独裁者となった暁には、男根崇拝者でない者は劣悪と見做し、徹底的に弾圧する所存である。我が国は男根崇拝者で溢れ無事滅亡することだろう。
「優良」自体が曖昧な物ではあるが、優劣とは常に相対的なものだ。そのため選抜を繰り返せば、優劣の基準は変動し選抜がまた繰り返される循環に陥る。勃起時の平均サイズが30cmの状況において20cmは短小だ。巨根を優良と見做した優生思想の辿る道は、それによる不利益が誰の目から見ても明らかになるまで延々と陰茎が増大され続けるというものだ。全ての人間を同一の遺伝子・環境で管理することで「理想的な人間」にデザインし、極めて低い遺伝的多様性による遺伝子疾患・感染症等のリスクを技術力をもって回避可能ならば優劣そのものと訣別できるかもしれない。しかし、それ程の技術力がある状況ならば個体間の優劣はあまり重要視されないのではないだろうか。
社会に優生思想が蔓延したとて、ナチスのT4作戦やかつての優生保護法のような政策が現代日本で行われるとは考えにくい。だが強権的で外聞の悪い政策を打つまでもなく、国家によるプロパガンダあるいは国家権力によらずとも一定の影響力を持つ者達による扇動を基に、ある特定の性質を劣悪であるとする社会的風潮を造成することで、その性質を持つ者を社会的に不利な状況に追いやる、その者を配偶者として選択することを忌避させる。また、その風潮により冷遇された者に自身の性質が子供へ引き継がれることを恐れさせ、著しく生殖に不利にさせることが可能だ。社会に巨根至上主義を蔓延させた場合、陰茎が巨大すぎて勃起する度に低血圧で失神するオモシロ生物が量産されかねない。一億総巨根社会の到来である。もっとも「我々から見た巨根」であり、全員が「その社会における巨根」になることは叶わない。
前述した通り優生思想は遺伝子を「改良」せんとするものだが、人間は何世代にも渡る淘汰と交配を経て遺伝子を進化させるだけでなく、文化や技術を進化・発展させることでも適応可能なのだ。火を起こし衣類を住家を作り、その技術を発展させてきたように人間とは創造的な生物なのだ。
一億総巨根社会など当然ジョークであるし、短小を馬鹿にしても本気で憎悪する者は少ないだろう。しかし始めは軽い冗談や悪口であっても、多数の人間の間で共鳴するうちに憎悪が増幅され大きな力を持ってしまうことも珍しくない。「チー牛」もその一つだ。私の下らない冗談が実現しないことを願う。未来人類の手に握られるものが巨根か、それともより良い未来であるか──すべては、我々の選択にかかっている。