
見えざる陰茎 安倍晋三
安倍晋三とは何者であったか。
安倍晋三とは陰茎排斥社会の寵児である。貴方は彼の陰茎を見たことがあるか?私は無い。一部変態を除いた大衆は、贈収賄や選挙買収のような不祥事には全く鈍感であるが、性的スキャンダルには非常に敏感に反応する。玉○雄○郎、サドルぶっかけ、米○隆○、おちんちん高○……etc。性党を問わず様々な陰茎開示者達がいるが、彼らの多くは、その信用を大きく失った。現代社会は陰茎を許容するよう設計されていないのだ。
政治的スキャンダルと性的スキャンダル、この両者の間に存在する違い、それは「分かりやすさ」だ。政治的スキャンダルの持つ複雑さ、煩雑さというのは問題性を理解する上で非常に大きなノイズとなる。政治的スキャンダルは、それ自体が非常にキャッチーであるか、メディアが面白おかしく脚色しない限り大きな話題を呼ぶことは難しい。しかし、性的スキャンダルは別だ。陰茎は隠せない。陰茎はあまりに露骨すぎる。陰茎の放つ絶大な存在感は、彼が隠者であることを許さないのだ。日に日に、人間は複雑さへの堪え性を失っている。我々は、気軽に手軽に報酬系を刺激するコンテンツに慣れすぎた。しかし、そんな不感症な我々ですら陰茎の刺激には耐えられない。陰茎は一様にしてマジカルチンポなのだ。
安倍晋三は潔白な政治家であったろうか?そうとは言い難いだろう。だが性的には全く潔白だったのだ。私は一般的な人間と比して多くの安倍晋三画像を見てきたと自負しているが、彼の性欲を感じさせる画像は、精々おっぱいをガン見している画像程度である。彼の画像群は森羅万象と言って良いほどのシチュエーションを網羅しているにも関わらずだ。彼から陰茎を見出すより、駱駝が針の穴に通るほうが容易いだろう。
#ちんぽを見せろ安倍晋三
我々が彼の陰茎を見たがるのは単なる偶然か?トランプへの陰茎開示請求の猿真似に過ぎないのか?私はそう思わない。我々は陰茎を持ち生まれた。生まれた時から共にあったそれを何故、否定されなければならないのか。本能の解放は社会の崩壊を招来するからだと理解はできても、納得はできないでいる。そんなアンビバレントな感情と安倍晋三の特異な陰茎隠蔽体質こそが我々を陰茎開示請求へ誘ったのだ。性的に潔白であった安倍晋三の陰茎を開示することで、社会に多少なりとも陰茎を受け入れられる素地が有るのかを確認したいのだ。ひとえに自尊感情の回復のためなのだ。
私は夢を見た。往来の陽の下に一糸纏わぬ男がいる。日輪に照らされる陰嚢は月のようで。雲一つない青空を指す陰茎は、ありありとその存在を誇示しているに関わらず道行く人々は誰も気に留めずにいる。受け入れられるというのは、きっとそういうことなのだろう。