輝く未来へ向かう夜 -aiko「すべての夜」考察と読解-
2021年aiko歌詞研究・前期は「遊園地」と「すべての夜」の読解で、本稿では「すべての夜」について書いていきます。イントロダクションは「遊園地」読解のごあいさつをご覧ください。
はじめに
「すべての夜」は2003年に発売されたaiko4枚目のアルバム「暁のラブレター」9曲目に収録されている楽曲である。夜や明け方に制作された曲が多く、アルバムタイトルの「暁」(夜明け)にもそれが表されていて、ある意味では「夜」をテーマにしたアルバムとも言えるかも知れない。
確かに、何億光年向こうの星をモチーフにタイトルづけされた「アンドロメダ」に「天の川」、夜遅い時間の電話から始まる「白い服黒い服」、強がりを張る自分と心細い夜を歌う「風招き」、そして今回取り上げる、まさに「夜」と名付けられている「すべての夜」――と言ったように、「夜」を思わせる曲が多く存在している。そういえば俳優の時任三郎氏とaikoが共演したアルバムCMも確か夜が舞台だったような覚えがある。
なお、アルバムジャケットは霧が濃い遊園地での一枚であり、特に初回盤(上部画像参照)は、aikoのあらゆるジャケットの中で最も幻想的な一枚だと思っている。アルバムジャケットはどれも甲乙つけがたいが、私の青春の一枚(要するに高校生の頃に出たアルバムということ)であるのも加味して、いや~あかラブ(暁のラブレターの個人的略称。以降、時々こう書く)しか勝たんわ…という気持ちでいっぱいになってしまう。あかラブと夢道が私の最強の2枚です対戦よろしくお願いします。
夜から外れて蛇足が過ぎた。
さてaikoと言うと、そのライフスタイルは夜更かし好きであり――というか夜更かしのレベルを超えて、個人的にはもはや夜の生活をしている人そのものだと思っているのだが――朝になってようやく眠ると言うのがaikoという人の常であり(このことは楽曲「朝の鳥」でも表現されている)私達aikoファンにとってしてみれば常識でもあるわけだが、aikoが主に創作をし、生活もする「夜」を主題とした一曲であるこの「すべての夜」は、「風招き」と並び「暁のラブレター」を代表する、と言っても過言ではない、まさしく核となる一曲でもあり、私が暁のラブレターの中で最も愛する一曲である。音楽に詳しくないので何拍子なのかは定かではないが、三拍子をベースにしたリズムにストリングスや優しく牧歌的なキーボードの音色が、歌詞の優しさと包容力をより一層味わい深いものにしていると感じる次第である。
今の私達への歌
そんな「すべての夜」なのだが、実はつい最近私達の前で披露されたことがある。と言って、何もライブだとか歌番組で歌ったとか言う話ではない。
突然だが、私達は2021年夏の今、大きな夜の中にいる。2020年初頭から地球全体を脅かしているコロナ禍は未だ収まる気配に無く、無作為に度重なる宣言や政策に私達も飽き飽きし、娯楽や趣味を無遠慮に奪われ続け、ただただ精神の疲弊だけが続く毎日は、少しは改善されつつも、残念ながら今も変わらずである。この下書きを書いていた時点では、まさかまた緊急事態宣言が発令されるとは思ってもいなかった。オリンピックやるのに~。もはや緊急事態が我らの日常となってしまっている。
それでも2020年の春を振り返れば、あの頃はまだ全貌がわからず、ただ黙り込み、家に閉じこもるしか術のない日々であった。
それに比べれば、東京・大阪・北海道の公演延期を余儀なくされながらも、ようやく開催にこぎつけているLove Like Pop Vol.22が行われている2021年は随分進んだとも思える。(余談ながら、この箇所の下書きをしている日は、LLP22公演初日の前日に当たる。今のaikoの心境を思うとこちらが貰い泣きしてしまいそうである)
その2020年春はいわゆるステイホームな対策がしきりに叫ばれており、それは市井の人々のみならず、芸能に生きる人々もまたそうであった。――し、普通の社会人としての生活を送る一般市民よりも甚大な被害を受けていたのは、実際芸能界、エンタメの世界に関わる人々であったと思う――。
そんな文化人や芸能人の誰が発端になったかは調べていないため定かではないのだが、TwitterやInstagramなどのSNS上において“うたつなぎ”なるムーブメントがにわかに流行していたのを、読者の皆様は覚えているだろうか。在宅でそれぞれ歌を歌ったり演奏したり踊ったりと、窮屈な生活を強いられる私達に彼らが提供したそれらは自粛期間を象徴するエンターテイメントとなり、歌手、俳優、声優とあらゆる層に広がり、様々な形で波及していった。
そして日本を代表する歌手の一人であるaikoにもまた、その機会が手渡された。「どうしたって伝えられないから」発売時のインタビューを参照するに、彼女自身も精神がいい加減くさくさしていた頃だったはずだが、そんな中で彼女が選んだ一曲が、今回取り上げる「すべての夜」だったのだ。
ここでaikoが添えている文に関しては後々触れることとしよう。
ただ。ただ、2020年5月14日(奇しくも、緊急事態宣言が出ていなければ、LLP22初日となる八王子公演が開催されていたはずの日付である)に「こういった文脈」で歌われたことで生じた新たな意味――コロナ禍という“夜”にある私達へのメッセージ――を「すべての夜」読解に組み込むことは、2003年の発表時に基づいた「すべての夜」のオリジナリティをやや侵害するものであるようにも思う。
それにしてもこうやって後年に、最初は想定していなかった意味が付されていくのは、生きている芸術である音楽ならではと言う感じもするが(去年書いた「ひまわりになったら」もそうであった)私も何だかんだで後々触れるので全く無視する、除外するというわけではないが、フレーバーテキストやエピソードの一つとしてほんの少し触れる程度に留めた方が、読解を主題とするテキストとしては適切である、と感じる次第である。
……とか書きながら一応「はじめに」の範疇であるはずなのにこの時点で既にべらぼうに書いてしまっている私が言えた話では全くないのだが、まあこのことを以てしてどうのこうの~と語るのは私の理想とする歌詞研究にはちょっとそぐわないかな~、という話である。これを以て、いい加減冗長になり過ぎた「はじめに」を終えようと思う。
未曾有の危機の中にある私達に差し出した一曲である「すべての夜」には、はたしてaikoのどのような意図が込められているのだろうか。
aikobonライナーノーツより
あかラブ発売当時は高校生でおこづかいに余裕がなく、また、将来こんな書き物をしているなんて予想もしていなかったため、aikoのインタビューが載っている音楽雑誌やファッション誌を買い集めることが出来なかった。したがって、当たれる資料が極端に少ない。
だが「すべての夜」はありがたいことにaikobonライナーノーツが非常に優秀だったため、主にそちらから探っていこうと思う。
ここでaikoが語っている「ひとりになるとすごく寂しくて怖」い、「どうしようひとりぼっちかも」と言った、そういう夜ならではの心細さが表れている作品は、あかラブの中で言えばやはり「風招き」が担っているのだろうし、別の楽曲で言えば、aiko楽曲の中で最も内省的、さながらエッセイのような作品で、「小さい頃はこの世界に生きているのはあたしだけなのかもと」と言うどこか衝撃的なフレーズからもわかる通り、「ラジオ」が一番に挙げられるだろう。
だがaikoは、私達aikoファンがよく知る通り夜に生きる人である。夜に生きている彼女が夜のいいところを知らないわけがない。
――のだが、その前に確認しておきたいことは、aikoが夜更かしを良くしていると言うことは、すなわち、それだけ何百と言う夜を一人で越えてきた、と言うことである。その中には当然楽しいとか創作捗るとか、面白いもの見つけてずっと笑ってた……と言ったような明るい夜ばかりではなく、当然「怖い」「辛い」と言った夜もあるし、そうでなければ「風招き」や「ラジオ」のような曲は作れていなかっただろう。aikoもまた、「寂しい」「怖い」「ひとりぼっち」と言う発言をする程度には、夜の負の面を真正面から受け止めていた夜があったのだ。
だからこそ、Twitterで動画を公開した時も「夜ひとりでいると辛くてあかんところまで行ったりする」と言えるし、その辛さを労わり慰める優しさも伝えられる人になったのである。
aikoは語る。夜のいいところもあると。そして「それを好きな人と共有できたらどんだけ楽しいやろ」とも言うし、この曲はそういうねらいが込められている曲であるとも、ここで明らかにしている。「風招き」が夜の負の面とするならば、この「すべての夜」は夜の正の面を代表する曲なのだ。夜を肯定する曲、言うなれば“孤独”を肯定する曲とも言えるのかも知れない。
夜は楽しいだけではない。しかし、「楽しい」「素敵」も確かにある。そのことが最大限に表されているのがこの曲なのではないだろうか。
夜のいいところ
では、aikoの言う「夜のいいところ」とは一体何なのか、どういうものなのだろうか。ここでaikoはその具体例を挙げていない。正直ここから先のくだりは歌詞の読解からは少し遠ざかる、言うなればより道になってしまうのだが、この「夜のいいところ」を考察しある程度明らかにすることが、この歌詞の読解には必要な気がしてならない。というわけで、しばしこの考察に筆を割こうと思う。
……と言いつつ、実を言うとこのライナーノーツの少し先に「いいところ」のほぼ答えのようなものがあるのだが、その先を見ていく前に、わずかに所有していた発売時のインタビュー資料に触れてみたい。
学生時代、おそらくは友人達と夜に楽しく遊んでいた思い出が、aikoにとっての夜の意味を定義づけているところは注目すべきポイントである。
楽しい思い出が息づいているから、aikoの歌う夜の闇はそれほど深刻に人を苛まないのかも知れない。そういう意味でもaikoは基本的に明るさ(ポジティブ)に根差している人間なのだと思う。aikoは正しく光を選び取れる人間で、その光の方向へ正しく歩を進めようとする。
そうやって夜を肯定的に捉え、尊重するaikoは夜に創作活動を行う。おそらくは(普段の生活から考えても)aikoの精神が最も活発になる時間帯が夜なのだと思う。時に大切な人達と楽しい時間を過ごし、時に自分一人で歌詞を書き、曲を弾く。そのどちらもaikoの中ではきっと同じくらい確かであって、故に「aikoにとって夜はすごい大事」とまで言い切ってしまえるのだ。
誰かと共に過ごした時間である夜は楽しくもあり、けれども同時に、多くの人にとってそうであるように「内省的な時間」でもある。つまり孤独な、自分一人の時間だ。
孤独、孤独、とは言うものの、その実態は何かと言うと、これは人によっていろいろ解釈があるだろうけれど、この稿で私は「己との対話の時間」だとしてみたい。
ところで、aikoの中高生時代の家庭事情については、aikoファンならばある程度は知っているかと思うが、親戚宅に厄介になっていた彼女は、夜は一人部屋にこもりながらラジオを聴いていた……という、一般的に共有されている明るいaiko像からは大分意外な思春期を過ごしていたのは、aiko本人が度々語っていることであるし、既に何度も挙げているが楽曲「ラジオ」にも表されている通りである(それにしても本当に、「ラジオ」ってめちゃくちゃ内省的な、どディープな曲なので、この曲だけがサブスク解禁されていないのもめちゃくちゃ意味深なところあるな……と感じる次第)
aikoはその、一人にならざるを得なかった中高生の夜の時間に、一体どれだけ自己と対話してきたのだろうか。ひょっとすると、aikoの創作の大きな源になっているのは少女の頃の、この孤独な夜の時間だったのではないか。そう思ったりもする次第である。
もう一つ所有していたインタビューも一応引用しておこう。
これは夜について、と言うよりも「暁のラブレター」全体を俯瞰しての発言であるが、aikoは夜に書いた手紙について「すごく大事な本心が出ている」と感じている。
手紙は自分の中の言いたいことや伝えたいことを書くものだが、それが夜になると、昼間には見えてこない部分まで見えてしまう。別にaikoに限らず、夜の手紙やメール、今で言うとTwitterのツイートで随分と赤裸々なことや重苦しいことを書いてしまって、ああ何書いてんだろ、と思ったり……と言った経験は読者の皆様にも少なからず記憶にあると思う。それもまた、自分一人の時間、つまり“孤独”――自分との対話、内省が導き出した、自分の内なる声なのではないだろうか。
要するに夜とはそういう、「見えてこなかったものが見える時間」ということだ。本筋からはズレるが、幽霊だとかお化けだとか妖怪だとかも、昼間と言うよりは夜中に出るのが定番だ。幽霊でなくても、もっと身近な例で言うなら星や月といった夜空を彩る天体もまた、夜にならないとはっきりとした姿を確認することは出来ない。自分の中にあるものや言葉も同じと言うことだ。
もっとわかりやすく言うなら、“自分を見つめることが出来る時間”であり、おそらくはaikoはこれを「夜のいいところ」の一つと考えているのだと思われる。
自分にとっては大事なもの
それではaikobonライナーノーツに戻って、aikoがその先で何を言ったのかを見てみよう。
今この世界におんのはaikoだけなんちゃうかな、なんて、それはもうほとんど「ラジオ」なのよaikoさん……と言いたくなるレベルに、またしても「ラジオ」の一節を感じさせる、どころかほぼ同一の文章が出てきているが(てか、ラジオが世に出る6年前の本なんですけどaikobonは…)それほどまでに他を寄せ付けぬ、息が詰まるくらいに静かな、頼れるものは自分のこの身だけの時間で、aikoは何をどう感じたのか。
正直、このくだりは曲の解説や感想を超えて、人生において大事なことを語っているようにも読める。それくらい私には、質量のある意味を以てして受け止められた。それくらい“深い”くだりである。
みんなが見てないとき――自分独りでいる時、aikoが“見ているもの”をaiko自身「すごく大事」と言い、そして「これからも(夜に)曲を書いていく」と言っていたことを踏まえると、aikoがこの時間に見ていたものとは――それは私達に届けられている、aiko自身から生まれ出でた曲、もっと細かく言えば歌詞と言う文学作品、その原型であることは、もはや自明であろう。aikoはこういった、自分から生まれ出でるものも、それを捉えることも、きっと「夜のいいところ」に数えている。
そしてaikoはそれを「好きな人にはちゃんと言いたい」と思っているのだ。自分が何を見ていたのかという「大事なもの」それ自体の話でもいいし、そういった、自分にとっては大事なものである何かを、ただ見つめるという行為そのものが「大事なものなんだよ」と言うこともまた伝えたい、ということだ。
それは紛れもなく自己肯定でもあるし、同時に他己肯定でもある、と私は思っている。これはaikoに限った話ではないと思うからだ。aikoならば、誰よりも夜に生きるあの人ならば、他者にとっても同じように感じるだろうし、だからこそ多くの人を励ましてこれたのだ。
「それがこの曲には入ってるかなって思いますね」と言う通り、「すべての夜」には「その人の見つめる何か」――言い換えるのならば、「その人の中に眠る何か」の素晴らしさと尊さ、そのことを誰かと共有する喜びを歌っているのだろう。それこそが歌詞の「素晴らしく夜は輝くのよ あなたの両手にある未来を」が示しているものの一つであると、私は感じるのである。
もしもし見知らぬわたしの友だち
もうここで「夜のいいところ」については終わってもいいのだが、もう少しだけより道をしたい。
今度はもっと単純な話である。夜のエンターテイメント……もっと言うと“深夜”のもの、というと、やはり「ラジオ」ではなかろうか。
そもそもaikoは歌手としてデビューする前は、FM大阪の深夜ラジオ・COUNT DOWN KANSAI TOP40のラジオDJとして活躍していたし、aikoとラジオの繋がりは歌手業と同じくらいに深く愛しいものであると言っても過言ではない。
既に何度も挙げている「ラジオ」や、そのaikoの古巣である大阪のラジオ局FM802のキャンペーンソングとなった「メロンソーダ」からわかる通り、とてもではないが一口では語れないものがある(ずっとFM大阪って書いてましたけどすいませんずっと間違えてました…🙄)
しかも「メロンソーダ」に関しては、ラジオのキャンペーンソングを提供するということが、青春時代をラジオと共に過ごしたaikoにとってはあまりにも大役過ぎる為に、制作に一年を要した……という逸話まである(ちなみにその時に曲先で作られたのが「ドライブモード」という余談)
家では孤独だった思春期の頃の彼女を励まし、デビュー前のaikoの力となり、そして今もなおラジオと言う文化を愛し、新曲やアルバムのキャンペーンではそれこそFM大阪を始め、全国主要都市のラジオ局に赴いたりリモート出演したりと、その出演数は非常に多い。新曲の初解禁についてもそうだ。ここ最近の曲――「青空」「ハニーメモリー」「磁石」「メロンソーダ」と、その名誉はほぼ大阪のラジオ局FM802が独占しているとも言ってもいい。それから、公共の電波にこそ乗ってはいないが、team aikoにて隔週配信の「あじがとレディオ」の更新日時も“深夜”24時にこだわっているのは、aikoがラジオを「夜の楽しみ」――すなわち「夜のいいところ」として見ているから、と言えるのではないだろうか。
今でこそRadikoプレミアム(月額385円という破格の値段である)のエリアフリー・タイムフリーで全国津々浦々のラジオ番組が楽しめる、非常にいい世の中になったが、私がaikoにハマった2000年代は勿論、aikoが深夜ラジオを楽しんでいた80~90年代というと、すべてオンタイムでしか聴くすべはなかった。
けれども真夜中、皆が寝静まる頃、日付が変わった頃、あるいはそれよりももっと深い時間――電波の向こう側で楽しくお喋りをする人達がいて、ハガキ職人やよくお便りを読まれる常連さんがいて、くだらないネタや天才的なネタでアホほど笑ったり、お悩み相談や恋愛相談に耳を傾けて色々考えたり共感したり、そんな風に夜の深い時間を過ごしていた。
考えてみれば、そういった人達のお蔭で私達は全国の見知らぬ人達と繋がることが出来、一種の“友達”にもなっていたように思う。
時代が進みSNSが発達した現代だが、ラジオとSNSは非常に相性が良く、昔は見えにくかったそのラジオのリスナー同士の繋がりがようやく可視化されたように思える。番組のハッシュタグを開けば、ラジオをリアルタイムで聴いている人も、タイムフリーやアーカイブで聴いている人も沢山見つかる。“ふつおた”やネタを読まれたリスナーさんのアカウントも見つかることだろう。
聞いた話だが、コロナ禍におけるエンターテイメントの一つとしてラジオが再評価され、Radikoプレミアムの契約数が増えたそうだ。正直色々不満な点も多いが、Amazonプライム月額料金よりも安価で全国のラジオ放送が聴けるのはハチャメチャにとんでもないサービスなので読者の方々も是非考えてみて欲しい(急に回し者みたいになる筆者)
閑話休題。それこそ「ラジオ」で「違うよとノイズまじりに叱られた」と歌われているように、ラジオのお蔭で、夜は「一人だけど一人じゃない」と、そう思えるような時間だったのだろう。
またあの楽しい夜を
もう一つ、手短により道をしたい。
aikoが夜について話すインタビューでの発言を踏まえると、昼間は仕事や学校の時間で、いわば不自由な時間だ。そこから解放された自由な時間の夜だからこそ友達や親しい人達とご飯に行ったり呑みに行ったり遊びに行ったり……そういった心休まる時間でもあるはずだ。
コロナ禍における今は、そんなことがもう何百年も前の昔であったような、あるいはいっそ現実ではなく幻想であったかのように思える状況にはあるが、もう少し先の未来でまた、こういった夜ならではの交流が多くの人達の元に訪れればいい。そう思う次第である。
ささやかな灯に変わる
ラジオや、親しい人達との楽しい時間。夜は本来なら温かな時間であるのだ。だからこそ、不意に一人になり、その時間が長くなればなるほど寂しくて辛くて、心細くなってしまうのは致し方ない。
一人でいると、辛いことを考える。先のことに不安になる。心細くも、苦しくもなる。だがそういった時間も、長い目で見ればのちのちの為になると言うか、一概に悪しきものではないのだと感じる。そういった時間を過ごしたか否かで、人間の豊かさに大きく違いは表れてくるだろう。
孤独も寂しさも、はかりしれない不安も、出口の見つからない自問自答も、夜が齎すものだ。それを知っているからこそ、人は人の寂しさと孤独に寄り添うことが出来る。aikoがそうだから、彼女は多くの人の寂しさと孤独を労わることが出来るのだ。
aikoではない人の歌詞を引用したいのだが、私がaikoに次いで好きと語る歌手・谷山浩子の一番好きな曲に「ひとりでお帰り」と言う名曲がある。
かつて「ラジオ」と並べ“なんちゃって比較文学”と称し歌詞解釈を書いたこともあるくらいにはお気に入りの曲で、辛いことがあった時、そこから立ち直る時はaikoよりもむしろこの曲を聴いている。
谷山浩子の曲はaikoほどのアッパーさはないが、しっとりとしていて穏やかで、それ故に心に優しく寄り添ってくれる曲達ばかりだ(まあ、見た目の面白さや奇抜さで目を引くので「まもるくん」や「かおのえき」、怖さの点から「骨の駅」、人類滅亡と言う度肝を抜くテーマに惹かれる「穀物の雨が降る」といった、いわゆる「黒曲」がどうしてもネットでは人気だったりするが……みんなのうたで放送された、ファンシーな世界観が可愛い「花さかニャンコ」も、よくよく考えればややホラー)
話が逸れた。谷山は「ひとりでお帰り」で「きみの今のその淋しさが 遠い街の見知らぬ人の 孤独な夜を照らす ささやかな灯に変わるだろう」と綴っているのだが、少女時代、そして大人になってからのaikoもまさにこうだったのだと思う。あの頃の寂しさや、自分の感じた孤独を誰よりも知っているからこそ優しくなれるし、夜の本質も見出すことが出来たのだろう。
これらを踏まえて、いよいよ歌詞を読んでいきたい。
愛あるゆえに
オルガンに似たキーボードの音の重なりから入る曲の始まりは、まるで表紙の重たい本を開き、ページを一枚ずつ丁寧に優しく繰っていくようである。Aメロの歌詞も優しくひそやかに、すぐ傍で誰かが呟くように聞こえてくる。
まずそもそもの問題提起が冒頭に掲げられる。「辛く悲しいの?」と疑問符が置かれ、そうではないよ、ということがこれ以降描かれていく。辛く悲しいだけではない、aikoが言っていたような「夜のいいところ」を、あなたに教えようとしていくのだ。
そう考え順調に読み進めていこうとしたのだが、次のフレーズに私は早くも首を傾げてしまった。
ここにそっと置かれている「愛ある故に」とは一体どういうことなのか。何の愛……? どゆことaikoさん……となってしまって、冒頭から派手に躓いてしまった。一体何が愛ある故になのか。そもそも何に対しての愛なのか。
前項で私は、夜は内省的な時間であると書いたし、夜に呑み込まれているのがあなた自身であることを考えると、つまりは“自分への愛”のようなものを言っているのだろうか。内省とは自分を見つめることで、突き詰めていけば自己愛を生じるものとしよう。自己愛は母性のようなもので、さながら母が子を守るように、やがては自分を守るように働くことだろう。
となると、この先の未来には、踏み出したら今の状態よりももっと怖いことが、嫌なことが待っているかも知れない。それらはおしなべて、自分を著しく傷つけるおそれのあるものかも知れない。
そう考えると、足が竦む気持ちにもなる。それならば、どこにも進めないまま、夜と言う安全なお城の中に留まっている方がいい。どこにも出て行かないなら、進まないなら、とりあえずは傷付けられる恐れはない。出て「これ」ない(can't)というか、むしろ能動的な出て「いか」ない(don't)ニュアンスの方が込められている……のかも知れないが、これはあくまで私の解釈のさじ加減であり、おそらく読む人ごとに受け取り方は変わってくるだろう。
あたしだって強くはない
ともかく、ここでの夜はあなたを捕え、あなたの進歩を脅かすものとして一旦捉えられているが、冒頭に示された疑問の通り、そうではないということを言いたいのがこの「すべての夜」だ。続いての歌詞を見ていこう。
そう、ここで「ついこないだまでのあたしみたい」と歌われるように、「すべての夜」における「あたし」は決して完璧な人ではないし、あなたより先を行く大人でもない。「ついこないだまで」、あたしもまた「あなた」のようだったと認めている。あたしも同じくあなたのような「辛く悲しい」夜を経験し、夜は「辛く悲しい」ものだと一辺倒に思っていたのである。あたしは決して強い存在ではなく、私達と同じちっぽけな人間だったと言うことだ。
けれどもその囚われの夜から、彼女は脱することが出来た――というよりも夜の認識を改めることが出来た。おそらく、あたしが経験して得られた夜の善なる部分を、あなたにこれから優しく教えようとしてくれる。まるで夜の散歩にでも誘うように、曲はサビへと向かっていく。もうここでのあたしは、ほぼほぼaikoと同一と言ってもいいかも知れない。それくらい私には重なって聴こえてくる箇所である。
輝く夜とあなたの未来
静かに黙って息を止めて、のくだりは、息をひそめて星空を見上げているイメージが浮かぶのでとても好きな箇所である。「素晴らしく夜は輝く」という言葉はこの曲を象徴するフレーズだとも思っているが、ここでは単に星空や月や街灯りのこと言っているわけでは、当然ない。
一体何をして素晴らしい輝きと言っているのか。それは、夜の中であなたが見つけるものや感じたこと、考えたことなど……色々なものを指して「輝き」と、あたしは称賛している。
漠然としていて何の面白みもないと思われそうなことでも、それは“輝き”と称される財産になっていく。aikoがライナーノーツで記していた「大事なもの」のこととほとんど一致するものだ。その小さな輝きが積み重なってやがて実を結んだ時、未来においてそれは燦然と輝くものとなり、それこそ夜を照らすくらいの美しいものとなることだろう。
そしてこの「夜は輝く」のすぐあとに「未来」が続くことには意識的なものがあったと思いたい。考えてみれば、夜とは昼よりも明確に未来へ向かうものである。日付が変わるのは深夜零時だし、はじまりの象徴たる朝へ繋がるのも夜だ。「日本の夜明けぜよ」なんて言われるように、夜の先には未来がある。そういえばアルバムタイトルにある「暁」も夜明けのことであり、すなわちほんの少し先にある未来を指していると言えよう。
故に、「未来」という言葉が出てきたことからも明白であるのだが、この曲は「未来」へ向かう曲なのである。「輝く夜」と「あなたの未来」が同じサビで歌われることで、ほぼ同一の重さを有していることが表され、この夜の先に待つ遥かな未来もまた同じように輝かしいものであると示唆している。だからこそ、夜から身を守り、閉じこもろうとする、先に進むことを拒もうとするあなたを、あたしは連れ出してくれたのだ。
素敵なキセキ
二番にいこう。Aメロ前半では、サビで登場させた「未来」を意識させるようなフレーズが自然と続いていく。
「知らない事」、これも未来の表現の一つだ。未来とは言ってみれば“知らないこと”の塊であり、もし誰かのことを“知りたい”と思ったのなら、それはその人との未来を生きたい、すなわち恋愛したい、ということでもあろう。
正直この私の読解は歌詞および本稿とはあまり関係ないのだが、aikoは恋愛の歌を書く人なので、少し恋愛を意識させて書かせてもらった。そう、「すべての夜」には男女の恋愛要素はほぼないが、対象の広い「人間愛」が込められていると思う。
aikoは恋愛の曲しか書かない、歌わない、なんていう一般ピーポーの持つ見解はそもそも間違いで、全く20年前から知識のアップデートがなされていないと、いちaikoおたくとしてはプンスコするのだが(オタクなので)どの曲も「愛」が込められているとは思うので、そういう意味でaikoは「愛」の曲を歌っているな、と感じる次第である。
話が脱線したので戻す。「新しい奇跡に涙を流そう」にある“新しい奇跡”という表現も好きで、知らないことの中には恐ろしいことや大変なことだけでなく(それこそ今を脅かすコロナ禍なんて誰も予想し得なかっただろう。疫病で翻弄されるなんてことは世界史の中だけの話だと思っていた)それ以上に素晴らしいこと、心躍るもの、あふれる夢がいっぱいで、叶える夢がいっぱいで、楽しみと喜びと言った素敵なこと――そう“素敵なキセキ”も、未来の中にはうんと沢山あるはずだ。これも秀逸な未来の表現であると思う。
光と闇のからまりあい あるいは対称性原理
続くフレーズもまた、未来で待つ何かを予感させる。
冷たい水――眉間の奥、ともあるし、あなたが心の奥に抱えている涙のことを指しているのだろうか。“冷たい”と形容するならば、涙だけにとどまらない“負の感情”の意味合いもあるのかも知れない。
対して「あたしの熱」だが、これはそのまま、文字通り“情熱”であり、それに留まらない、負の感情と対になる“正の感情”と言えよう。
あたしはそれを「うまくまぜよう」と歌うのだが、ここで私はぴんと閃いたのだが、これはそのまま、aikoの曲作りのことでもあるのではないだろうか?
負の感情や、寂しく切ない、救いようのない辛い想いを、aikoは私達では到底思い計れないほど、とてつもなくはるかに深く感じている人だ。でもaikoは、私達が知っているように、やはりとてつもなく“前向きに生きていこうとすること”にひどく貪欲な人でもあり、どんな過酷な状況や苦境にあろうとも、転んだからといってただでは起き上がるまいとする、そんな泥臭さを持つ人である。
そして、これはあくまでaiko大好きな私が捉えるものなので大分盛って計算しているだが、その前向きさの方がネガティブさを凌駕している人でもあると、長年aikoを見ていてそう感じるわけである。
かと言ってネガティブで暗い気持ちは決して捨て置かない。それこそがaikoの曲の本当の種であるし、そこから立ち直るような気持ちや、感じた全て、想いの全てをありのまま肯定する気持ちで、己の負の感情と正の感情を深く混ぜ合わせ、そうして昇華した結果、aikoの作品は生まれていくのである。これもまさに直前に歌われている“新しい奇跡”であるし、aikoの曲だけではなく、ありとあらゆる芸術にも言えることなのかも知れない。
あなたの気持ちとあたしの気持ちを結び合わせた先に、あなたを慰めるものや、励ますものや、肯定するものが生まれる。そこに息苦しい否定はない。夜への怖さも、自分への失望も、とにかく色々な苦しみや切なさがひっくるめて、何かが生まれていく。
こんな深い優しさと励ましに、あなただけでない聴く側の私達も包まれる。あたしがこんな風に導けるのも、あたしが夜を越えて何かを見出したからこそである。
この二番Aメロはaikoの創作の神秘も息づいているようで、非常に素晴らしいくだりであるとつくづく感じる次第である。そういう意味でも「すべての夜」はやはり名曲中の名曲と称賛せざるを得ない。
あなたが生きているのは
二番Bを見ていこう。ここからが「すべての夜」で一番好きなところかも知れない。
人間を一番捕えてしまうもの……いや字面を考えて、人間が一番囚われてしまうものとは、究極これ、ここまで歌われてきた未来とはまさに対照的な「過去」なのだと思う。
それは栄光でもあるし、繁栄でもあるし、罪とか過ちだったりもする。心をざわつかせる不確定な未来よりも、ただ在るだけで何も変わらない安心を齎してくれる過去は、「こちらに留まっていた方が居心地がいいよ」と巧妙に誘ってくるのである。
言葉からしても、ここは一番サビで登場し二番Aで歌われた「未来」と対となる箇所でもあると思う。サビが明確に未来へ“進む”ものであったのに対し、ここで手招いている過去は人を留まらせる、あるいはもっと残酷な言い方をすれば“後退”させるものだ。
でも勿論、思い出や昔あったことの全てが悪いものではない。否定されるべきものでもない。そんなのは百も承知なわけだけれど、過去に限らずどんなものであれ、進歩を阻むもの、つまり未来を拒絶するものであってはいけない。
アイドルマスターSideMの楽曲「Reason!!」での印象的な歌詞であり、6月10日朝日新聞の全面広告にも引用されていた「過去が未来を輝かせてく」にあるように、未来へ進む後押しをするものであったり、今と未来のその人を勇気づけるものであって欲しいのだ。
とは言え、過去そのものが意志を持っているわけではない。「ただ在るだけ」と書いたように、過去はあくまで過去として存在しているだけだ。それを「居心地がいい」とか思ったり囚われてしまうのは、そう決めてしまうのは自分だ。少しでもその人に何か後ろ暗いところがあれば、結局夜――というか自分の作り出した牢獄に囚われることになって、結局どこにも行けないままになる。
そうなる前に、あたしはこう歌うわけだ。「だけどあたしは今のあなたといたい」と、揺さぶりをかけてくる。あなたが生きているのは「今」であり、求めたいのも「今」を生きるあなただと、そう強く訴えてくる。
個人的には、aikoの最大の魅力の一つがここにある、と言ってもいい。
aikoの中で一番価値がある、というよりは、一番重きをおいているのは“今”なのだ。彼女のこの刹那主義は冗談でもオタク特有の大袈裟な表現でもなく多くの人の命と魂を救っていると感じる。
「今」のこの時間のあなたが大切だ。今ここにいるあなた達が愛しい。今しか集まれない二度とはない奇跡がなんと素晴らしいか――彼女の生きる目的と言ってもいいライブの中、そう訴えかけるaikoに私達はどれだけ励まされてきただろう。どれだけ心をわしづかみにされてきただろう。
今この時間のあなたが大切だ。そんな彼女の切なる想いがこのフレーズにはこめられている。「今」のあなたとご指名されたなら、過去の中に埋没している場合ではない。今の状況がどんなに惨めでも、哀れでも、そんな自分でも肯定してくれる人の温かさと強さの前に、過ぎ去ってしまったものの全ては到底敵わないのである。
最後はひとり
今のあなたを強く抱きしめ肯定したあたしが続いて歌うものは何なのか。
直前で「今のあなたといたい」と歌ってはいたが、おそらくこの時点では「あなた」は、さながらカムパネルラを突然失ってしまったジョバンニの如く、一人で佇んでいるように思われる。
ともかく、「暗闇」とあるように、産道を一人で渡っているイメージと言うか、ここでは一人でいることで何かを見つけようとしている、目を凝らして見つめている、そんな姿を読んでみたい。
いわばここではもう一度、あなたは夜の中の孤独と言う、誰しもに等しく訪れている夜の中に帰ってきているのだ。ずっとあたしと共にいては結局夜の本質は見えてこないし、結局のところ人間というものは最後は一人になってしまうのだ(そう、名曲「あなたを連れて」で「最後は一人なんだ」と歌われているように)
あなただけの特別な
ではそうして一人になったあなたには何が見えてくるのか、と言ったところなのだが、歌詞に書かれたのはこんなことである。
そう、あなたには「二人だけの世界」「二人だけの印」と見出すことが出来るのだ。これこそaikoがライナーノーツで言っていた「私が」「見てる」「大事なもの」と合致するものではないか。
さらに注目すべきなのは「あなた“だけ”」とあるように、あたしが見ているものとあなたが見ているものはいい意味で違っているのだ。それはあたしには持ちえない、あなただけの特別な何かなのだ。
aikoの言っていた「自分にとっての大事なもの」は自分が、あなた自身が見つけ出さないといけない。そのためにはやはり、「どんなに淋しくても」一人でいることが重要になってくるのだ。悲しさや苦しさ、どうしようもない落ち込みも全ていっしょくたにして世界と向き合った時に見えてきたものが、それがどんなに大したことがないものだとしても、この先の未来を導き、豊かにするものかも知れない――いや、きっとそうなのだから。
この二番サビに「すべての夜」の真髄が込められていると言ってもいいだろう。まさにaikoが「それがこの曲には入っていると思う」と言っていた通りである。
素晴らしく世界は輝く
大サビは一番Aメロのリフレインであるが、二番までを通して再び読んでみると、一番の時点では見えてこなかったものが見えることだろう。
二番サビであなたはきっと、あなただけにしかわからない、見つけられないものを見つけ出した。それを手にしたからこそ「素晴らしく夜は輝くのよ」の歌詞が一番サビを聴いていた時よりもぐっと違って聴こえてくることだろう。
もっともっと夜が、いや夜だけではない世界が輝いて見える。それは今だけではなく、この夜を越えた先にある、あなたが両手で計った未来――つまり、自分の手で掬い取り、歩んでいく未来もまた、同じように輝いているということである。
すべての夜。この曲は、自分の夜に広がっていくネガティブな感情や居心地のいい過去に囚われることなく、孤独な自分自身を見つめ、歩き出し、大切なものを見出せたあなたへの祝福の歌であり、あなたのこれからの輝かしい未来を応援する歌とも言えよう。
おわりに
すべての夜は確かに「夜」の歌なのだけど、夜を越えた先にある未来を歌った曲でもあるのだなと、読んでみて改めて感じたし、aikoの歌詞作り上、後から書く二番以降の歌詞により意味深長なことが書かれるのはどの曲もそうなのだが、この「すべての夜」の二番はその傾向が特に強く感じた。
彼女の曲作りのことや、夜と言う時間の中、自分一人でいる時に見ているもの、見つけられるもの――もっと大袈裟に言うと、aikoという作家の深奥をちょっと覗き見出来てしまう、触れてしまえる箇所のようになっていると感じた次第である。
夜は決して悪しきものではなく、夜にこそ未来に繋がるものがあるのではないか。そういえば江戸川乱歩が「うつしよは夢、よるの夢こそまこと」と書いていたのを今唐突に思い出したが、大多数の人間が働き生活を営む昼間には見えてこないものや何かを誘う雰囲気がやはり夜にはあるし、そこで見えてくるものが非常に大切なものである――ということなのかも知れない(乱歩については全くの素人なので適当なこと言ってしまい申し訳ない)
夜の中で見つけられた大事なものが未来への欠片であり、自分を導くものではないかと、そう思う。私も執筆や小説のプロットは(平日の日中仕事をしているからというのもあるが)夜に書くことが多い。
そして――最初の方に触れた話に戻るのだが、今私達のいる世界全体を覆うコロナ禍と言う大きな夜、この中で過ごして感じたこともまた、長い目で見たら必要になってくるのでは、と、そう感じる。読解中にも触れたが、すべての夜の出典となったアルバムタイトルの“暁”が「夜明け」であることが、改めて深く感じられている。
すべての夜。夜の中で沢山の曲を創り、また夜の中で生き、楽しみ、遊ぶaikoだからこそ書けた曲であり、歌える曲であった。二十年近く大好きなこの曲をこの度しっかり読むことが出来て、私としても非常に満足している。
読解を通して私自身も励まされた気もするので、本稿を読んだ方もそう感じていただければ幸いであるし、是非お近くのサブスクリプションサービス等で本曲を通しで聴いていただければなおのこと幸いである。曲を買うにとどまらず「暁のラブレタ―」を購入いただければもっともっと幸いである。筆者の青春時代に出たアルバムなので評価にかなりのバフがかかっているところはあるが、「すべての夜」以外にも名曲づくしな文句なしの名盤だ。きっとご満足いただけることだろう。
この部分の下書きを書いているのは2021年の6月12日。今週はついにaikoが有観客ライブを、実に一年四ヶ月ぶりに開催出来た記念すべき一週であった。声が出せないなど制限のある中で、aikoがずっと追い求め、大切にし続けてきた幸せをようやく再び手にすることが出来たことに、私も心から幸せな気持ちになった。aikoの幸せが私の幸せだと、改めて感じられた。
金沢公演のBP先行抽選は下書きの時点ではまだ始まっていないが、安易に県境を越える移動が出来ない今、何としてでも地元開催のライブはご用意されたいところである(いやマジで北陸以外の人は応募してこないで欲しいマジで)(血眼)(命かかってんですよマジで)当たるかどうか、お祈りするしかない夜がしばらく続くだろうけれど、そのやきもきする夜もまた私にとって必要な時間になることだろう。
……で。ご報告。
金沢公演!!!ご用意されました!!!!!!!!ヤッタ~~~ッ😂😂😂😂😂!!!!!これで向こう300年は生きていけます!!!!
aikoがゲストボーカルとして参加した東京スカパラダイスオーケストラの「Good Mornig~ブルーデイジー」の歌詞にもある通り、朝の来ない夜はない。その朝が曇りでも雨でも、夜は必ず未来へ通じている。
沢山の夜を越えて、今よりももっともっと光の満ちた未来でaikoと再び会えるように、笑い合えるように祈りながら、本稿を終えることとする。
(了)
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