続・aikoの何が小娘の心に刺さったか -aikoいろいろフレーズ傑作選-
aikoは人生な文章書く系&小説書くおたくのtamakiです。
noteでは主にaiko歌詞研究と称しaikoの歌詞の読解やら何やらを書いています。
いや~~~~~…。
夏、終わんねえなあ……(大の字)
私は夏服が好きなのでずっと着ていたいくらいだから別にいいんですが、いやよくねえよ、こんなに暑くしろとは言ってないんだよな……9月末くらいでやっと暑さ落ち着くって信じたいんですけどどうなんでしょうね……。
とかって下書きのWordに書いてたんですけど、9月24日の今、ようやくカッ!!!とした猛暑は収まりつつありますね。昼間は汗ばむけど夕方とか過ごしやすい気温になってる。朝は寒いくらい。
9月24日は私が初めてaikoのライブに行った日で、いろいろなコンテンツにある個人的な記念日の中では一番大切な日です。この日を基準にしてファン歴に年を加算することにしてるので、今年2024年でめでたく23周年です。
23年も何かを好きでいられてるって毎年思ってるけどすごいことだ。
まあもっと昔からaikoのこと好きな人は沢山いますしそういう人に比べたらぺーぺーなんですけど、これまでもこれからもaikoのことずっと好きだしずっとファンだし、私なりにいろいろ活動していきますので、aikoご本人は勿論のこと、フォロワーさん等々関係者のみなさん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
話を戻します。秋がようやく見えてくる頃になっても、まあまだ暑い。ギリ夏というか、やっと「残暑」って感じ?
まあ私にとって夏はaikoの季節なのでもう少し続いてもいいのかなと思います。最新アルバム「残心残暑」も出たしね。ほんとにやっと「残暑」が合う頃になったなぁ。大体一ヶ月遅れか?
残心残暑も発売一ヶ月過ぎたくらいに全曲感想マラソンやろかな~と思ってるんですがまだ聴き足りないかも知れない。自分の参加するLLR10の後くらいかもしんないです。いやそんな時間ないか…相思相愛読解まだ何にも、形すら出来てないし。頑張ります(よろよろ)
今回はタイトル通り、前回書いたnoteには載せきれなかった小娘時代の私に刺さったaikoの数々をご紹介していくnoteです。
前回は10曲書きましたが今回はそれほど多くはないと思います。小娘時代に限っているので……でも四十代が見えてきたいわゆるアラフォーの今でも自分は未熟な小娘だと思っとるけどね…
(書き終わっての追記)ごめん今回も10曲だったわガハハ。どうせそんな多くないし追加しちゃお♪ってやってたら10曲いってたわガハハ。
aikoの曲、メジャーなのは知ってるけどアルバムの曲とかカップリングとかはあんまり知らないとかって人がaikoのそれらの曲を聴くきっかけになってくれたら嬉しいです。
=前と同じだけどレギュレーション=
・自分にとって大切な曲や好きな曲とか、いろいろあるのですが、「このフレーズにびっくりしたな…」「このフレーズ衝撃的すぎた…」「このフレーズに震えた…」といった感動や衝撃が選曲基準です。普通に好きだな~と思う曲は沢山ありますが、残念ながら入らなかった曲が多数です。絞ってるからね。
・私視点での時系列で行きますので発売順とは限らないです。いいかげんで胡乱なnoteだからね、しょうがないね。
・分類としてはaiko雑文なのでそんなに真面目じゃないです。あと歌詞についてハイパー主観で適当に言うところもあるので絶対に信じないでください。
・中にはそんなにいいか?ってフレーズもあるかと思いますが私の感性はあなたの感性ではないのでご了承ください。……ていうか、は?aikoのフレーズは全部いいので出直してきてください(強気)(二回目)
本編前であれなんだけど前回のはこちらです。
ココア
今から23年前、自分にとって初となるaikoのライブLove Like PopVol.6 金沢公演を経てめでたくaikoファンとして本格覚醒した私。
そこからずっとaikoのことを考えて落書きしたり文章を書いたりヌルコムを聴いたり自分も作詞作曲したり、部屋にエレクトーンがあるのでコードだけでaikoを弾き語りしたりと、今から見ても人生で一番aikoが好きだった時期を過ごしていました。
念のため言っておきますけど今もちゃんとaiko好きですが、ハマりたてのあの頃って格別のものがありますよね。
そんなaikoファンなりたて!な頃の最初に出たシングルが「おやすみなさい」で──実を言うとこれがきっかけで(今となっては到底考えられないのだが)aikoファンを辞めかけた事件もあったのですが、それは今回の趣旨とは関係ないので、以前そのことについて書いたブログ記事を引用するのみにしておきます。
「aikoのことを嫌いになろうとした頃のはなし」というタイトルです。
この出来事にも関連するけど、どちらかというとおやすみなさいの三曲では「陽と陰」の方が私の人生における関りは深いのだけど、今回の趣旨で選ぶなら個人的に大きく揺るがされたのは「ココア」だったのですよ。
当時私はaikoと太一くんの交際を推しまくってたので(太一くんとのことがなかったらそもそもaiko聴いてないまである)こんなフレーズ出された日にゃ、aikoさん!?!? ってなるわ。なる。いや、歌詞とプライベート結び付けるなよって今だと思うんですがね……。その時の私にとってはドキドキだったので、めっちゃ心配しました。どこから目線なんだ。
aiko的にも結構挑戦となったフレーズだったようで、「ココア」についての言及は時々見られます。「aikoの詩。」カップリング集にも入ってるしね。
浮気とか不倫というよりは何らかの「禁断の恋」を匂わせるフレーズ。
aikoの交際事情を抜きにしても、小娘の私はひどくドキッとしました。
あなたと握手
当時も小説を書いていた私ですが(といってもこの頃の小説なんて、ま~人に見せられるようなもんじゃないのですが)趣味にしていた作詞作曲はやめてしまいました。詩というジャンルにおいて、aikoの表現にはどうあっても追いつけないと感じたからです。詩の世界にaikoがいる限り、私は自分の納得出来る詩を書くことは出来ない。そう思ったんですね。
小説に専念するようになって、その頃に比べれば多少小説が書けるようになった今も、aikoの表現にはどう逆立ちしても勝てない。aiko本人は何かを特別に勉強していたり本を何冊も読んでいたり深い教養があるわけでもないのにこうなので、これは本当に、aiko本人の元からの素質によるもので、要するに天才というわけです。めちゃくちゃ悔しいけどそういうことです。
特に頭を抱えたので覚えているのが「あなたと握手」のこの一節。
勝てねえわ!!!!この表現!!!!と本当に心から唸って頭を抱えたものです。「両手の三角」という表現、私には絶対に出せないものでした……およよん。
他にも「あなたと握手」での表現はこちらも本当に秀逸だなあと思っていて、「おやすみなさい」のCD売上の実績(オリコン二位)に続いて表現力でもaikoにしばかれて叩かれて、私の安い自尊心のようなものはボコボコにされたのでした。え~んえ~ん。
「絡まる糸」──現代を生きる私達が気に悩むことの多い人間関係のことでしょうね。「吹き付ける雨」も生きていく上での様々な困難の比喩です。
前者の「絡まる糸」という表現に私はとにかく深く唸らされました。先の「両手の三角」と同じく、私では絶対に出来ない表現でした。
「あなたと握手」、歌詞は前向きだし曲調も最高だし、初回盤ジャケ写も良くカラートレイの色も良く、カップリングの二曲もタイプの違う曲で素晴らしい一枚だと思ってます。
てか最近ライブで全然聴いてないな!? aikoさんそろそろこの時期の曲発掘してくれません!?
ひまわりになったら
でたわね。どこかで必ずひまわりになったらの話をしないと気が済まない、ひまわりになったらにかれこれ20年以上狂わされているオタクですこんにちは。
aikoの古典作品にして最高傑作のひとつでもあり、aikoの全てがあると言っても過言ではない。とにもかくにも、この曲なくしてaikoは語れないと私が強く思っている一曲ですが、そんくらい思うならそれなりに刺されているのも当然ですね。
aikoのファンクラブ・BABY PEENATSでの通販で、もうインディーズのCD買えなくなるよ~というお知らせを見てからすぐに購入した、2003年の夏のこと。小娘は高校に進学した頃でもあり、詳細は伏せますが到底叶わない片想いをしている頃でもありました。
「ひまわりになったら」は脈のない片想いをするそんな小娘にドドドドド直撃してしまう、ある恋の終わりとその後を爽やかに切なく、けれども鮮やかなまでに前向きに描いた一曲です。
ただの友達だった「あの子」とあたしがFriendからLoveへと書き換わった仲となるのですが、お互いに大切な存在でありながらも、二人は別れを選ばなければならなかった。
しかし、離れ離れになっても、二人はLoveなFriendであることは変わりない。あなたはいつまでもあたしのひまわりで、そしてあたしも、あなたにとってのひまわりでいつまでも在り続けよう。爽やかな夏空の下で、そう誓う一曲です。
なお「爽やかな夏空の下で」は私の脚色です。幻覚を見ている。
そんな「ひまわりになったら」で刺さって抜けないフレーズが下記になります。
こちらの一節が本当に狂おしいほど好きで、下手したらaikoのフレーズで一番好きとまで言い出すかも知れません。これで21年狂ってるから間違いねえよ! だってひまわりになったらの真のサビここだもん!(真顔)
少なくとも自分の書く小説(長編)で必ず一回はこの言い回しを元にした文章を出すくらいには狂っています。
いや!?挟めそうだなって思うところがあったら挟むので、これ入れる為に無理やり何かするとかはないけど……ないけど挟める隙間を見つけ出そうと血眼になる時はあるよ…(どうしようもねえなこいつ)
恋愛のれの字もなかった、ただの友達だったあの頃。下手に恋愛関係になってそれが破綻したら、もう「ただの友達」にすら戻れなくなる。
「あの頃」を回想するあたしは、残念ながらそうなってしまった状況にいます。友達以外の何物でもなかったあの頃は、「あの子」と離れてしまった今となってはどんな宝よりも価値のある日々であり、ここにいない「あの子」の面影を探す今の虚しい日々よりも、それはもうずっとハナマルなのでしょう。
もう戻らない、掛け替えのない日々を羨みひたすら眩しく見る気持ちと、どこか強がっている様子も伺えるこの段落。
当時の自分の状況を重ねたところも大きかったですが、明るく澄んだメロディに乗せられるにはあまりある爽やかな切なさに二十年以上心を掴まされ、それらしい文章が差し込める隙を見つけては、自分の小説でもこのフレーズの遺伝子を忍ばせた文章を書く私です。
ところで5億年ぶりくらいにインディーズ版の歌詞カードみたんですけど、「あげよう」じゃなくて「あげよ」になってるんですね。「二人」のカップリングとして出す際にaikoが直したのかも知れないですね。
非常に細かいところですけどちょっとニュアンスが違ってくる気がします。やっぱりインディーズ版の方がいい意味での子供っぽさを感じますね。
ところで私は「ひまわりになったら」の読解を(ある意味当然?)書いたことがあるのですが、それはこのnoteで最初に出したaiko関係の記事だったりします(ただし自サイトからの転載というていです)
宣伝は基本なのでリンク貼っておきます。この頃はまだ一つにギュッ!としなかったので三つに分けてるので、入口の記事を。
興味のある方は是非よろしくお願いします。
えりあし
aikoバラード部門において(あくまで個人的な印象ですが)長きに渡り強い支持を誇るえりあし。今回挙げるのはラストのフレーズですが、趣旨と反しちゃうんですけど歌詞……というよりは「曲の展開」に刺された感じです。これまでのaikoにはあまりなかった(と記憶している)展開だったので。あと微妙なニュアンスですが刺されたというよりは殴られたと言う方が的確。
曲の展開に刺された感じ、と書いたのでちょっと解説すると、ここで転調?か何かしてるんですよね。(「か何かしてる」っていうフワッとした書き方でわかる通り私は音楽に関してはマジで何も知識ないです)
サビとは違うメロディーなので大サビって言うのとは多分違うんだと思うんですけど、メロディー違うけど要はCメロがそのまんま大サビになってる、曲としてはグランドフィナーレを迎えてるのが、これまでのaikoの曲ではあまり聴いたことのない構成だったので、とても印象に残りました。間奏もなんか壮大だし。
あと、あくまで仮定の話ではあるのですが、曲の中で明確な数字を出して未来を語るのが個人的には新鮮でした。
曲の展開と構成に纏われたグランドフィナーレ感と、5年という長い間ずっと想い続けている、ずっと忘れてはいない気持ちの強さ、そして5年後にそうしたいという未来への確かな希望と前向きさは鮮やかに当時の自分の胸を打ちました。
あとそれから、めちゃくちゃどうでもいいことなんですけど、私はこの曲のタイトルで初めて「襟足」という部位(部位?)の存在を知りました。存在というか名称?
一見すると曲のタイトルとしてはかなりヘンテコですよね(あくまで私にはヘンテコに見える)ひらがな表記だし。そういう意味でもやっぱりインパクトのある曲でした。
それからこれもめちゃくちゃどうでもいいことなんですけど、発売当時とそれからしばらくの間この曲でマジで一生分泣いたので、もう「えりあし」を聴いても泣かない体になりました。別に褒められた話ではない。
彼の落書き
我が最推しアルバムの一枚である「暁のラブレター」(※青春時代に出たアルバムは無条件でバフがかかる)その二曲目であり、いわゆるリード曲と呼ばれるのがこちらの一曲。
シンプルな歌詞のみで構成された一曲目を飾る「熱」もそれまでのaikoにはなかったもので特別目を引きましたが、熱からのシームレスな演奏によって二曲目、「彼の落書き」本編に接続されるという展開もこれまでのaikoにはなかった新鮮な手法でした。
楽曲的にも目新しかったので、そこでもバチコーン( ‘д‘⊂彡☆))Д´) と叩かれたわけですが(刺されたの趣旨から変わってきているような気がする)この曲のこのフレーズは、これもまたその当時の私には発想が出来ないものでした。
ていうか今も発想出来ないと思う。aikoという人を知らなければ永遠に頭に登ることもなかっただろうなと思います。
いや本当に目からうろこ飛び出る。21年経った今でも、本当にこれ私の頭からは…出ないな…出せないな…と思います。始まり「しか」って。そこだけに限定するっていう発想がね、本当に。
このバチコーン( ‘д‘⊂彡☆))Д´)と叩かれた衝撃がデカすぎてあんまり他のこと考えられないんですけど、これって要は“永遠”の表現なわけですが、それを表現するのに「知る」という動詞をチョイスしたのもなんかすごくいいなと思います。
本当にさっきからこれしか言ってないですが、つくづくaikoは目の付け所が常人とは違うなと感じます。
花風
まあぶっちゃけ今もなんですけど、周りに気軽にaikoの話出来る人なんていなかったわけです(友達は私がaikoファンだとは当然知ってはいますが、同じくらいの熱量のファンはいなかった)
二十年くらい前ですから大体平成中期、ガラケーはあるんですが、ケータイ向けサイトを見るくらいは出来ても今みたいなSNSがあったわけでもなし(ギリmixiが生まれる頃か…)(どんどん歳がバレていきますね!)というかそもそも社交性なんてゼロですから、そういう友達なんて出来るわけもなしだったわけです。
そんな中でも当時aiko好きな人とメル友になっていた時期があります。今ここで挙げる「花風」のリリースよりは後だったかも知れませんが、大体その頃かなと思います。男性の方でした。
(日常的にやりとりしてる方でaikoの話も出来るB氏も男性ですが)(「も」出来るっていうかそもそもB氏とはaikoファンでの繋がりでは…?)
「花風」はタイトルも曲調も当時から今に至るまで大好きな一曲ですが、下記のフレーズについて、そのメル友だった方からこう指摘されたことがあります。
このフレーズについて彼は「雨が止んで晴れるということは当たり前のこと。あたしは生まれ変わってもあなたと出逢えることを当たり前のように思っている」と語っていました。
その発想が私にはこれまたなかったものですので、非常に衝撃を受けたのをありありと覚えています。これをさらっと書いているaikoは凄まじい。そう強く感じ、それ以降「花風」のこのフレーズは特に偉大だと感じています。
しかしよくよく考えてみると、それはその方の読み方及び解釈であって、作者であるaikoにどれくらいその意図があったかはわかりません。
ですがとにかく感銘を受けました。表現自体は正直凡庸だと思うので、aikoに刺されたというよりはその方の読みに刺された、というのが正しいのかなと思います。
私も、沢山の人の印象に残る読解を書き残せればいいなと願っております。これからも執筆頑張ろ~!
今でもその方はaikoのこと好きだろうか、と時々思います。
もしかして自分のことでは? とお心当たりのある人いましたら、そっとメールなどでご連絡ください。いえ、連絡してくれたところで特に何があるわけでもないんですけど…。
ところで「花風」は今年こういうnoteを書いたのですが、このnoteを書いたことで、二番サビの「あなたがこの空の下くれた七色の 世界を守り通すよ 臆病なあたしの胸で」が、私の中ではまた違った意味を持ち始めました。
是非「花風」という言葉の出典である「枕草子」、作者の清少納言と中宮定子の関係についても知っていってくれると嬉しいです。
より道
これはサブスクが全盛となっている今もそうなのですが、カップリング曲というものは基本CDが発売しないと聴けないわけで、前もって聴いていることの多い表題曲より刺される可能性も高く持っているような気がします。
高校時代に出たシングルのカップリングのうち、一番衝撃を受けたフレーズは何だったかな~と振り返ってみると、あ~~~……「より道」、だなあ、と当時の衝撃を思い出しながら深く溜息をつきました。
胸のときめきや甘いドキドキだけではない、むしろ恋そのもの、恋の正体とも言える「想う苦しみ」も、その恋を失うことに比べてしまえば些細なもの……どころではなく「幸せなより道」と言えてしまうのがとんでもない感性だな…と感じましたし、恐れ入りました。「など」って言っちゃえるのもすごいよね。
で。実は今年ある小説のプロットを書いていたら、あまりにもこのフレーズが当てはまってしまう箇所にぶち当たったんですよ。
あることがあって女の子がすごく苦しい気持ちをそれこそ初めてってレベルで抱くんですけど、でも、彼との関係がなくなったりすることに比べれば、全然どうでもいい。こんなのちっとも平気、って思う、そんな箇所なんですけど……。
その時、「より道」が世に出てから二十年近く経つ今年になって初めて、「あーーーー!?!??? より道のあのフレーズってこういう時の感情だったんだな~~~~?!?!??!?!」って初めて「気付き」を得ました。今!?!??! 何歳やお前 アラフォー近いんやろ…
ちなみにその小説はまだ書けてません(…)書き出してもない。今年中には書きたい。いつも通り自カプです。
本当に、その時めちゃくちゃ「より道」のここのフレーズがビタッとハマったんですよ。なので確実に小説中にもそれっぽい文章が現れると思います。
星のない世界
常々「ひまわりになったら」に狂いまくってるので、当然「ひまわりになったら」がコイツは一番好きなんだろうなと思うかも知れないんですけど、実はそうではなく、一番は「スター」で、二番目がこの「星のない世界」です。三番目が「ひまわりになったら」なんですね。この三曲は不動の御三家です。三番手がなんか三番手とは思えない狂い方をしているのはさておき…
「星のない世界」は恋愛小説を書く作家としての自分が一番に選んでいる曲なのですが、この曲のような恋愛が、関係が描ければベストだなあとよく思っています。
要は理想の恋愛、というか恋における心情を描いた一曲なんですね。まあこの曲がリリースされた頃に読んでいた恋愛小説の男女カプがめっちゃ好きだったって言うのも大分あるんですが。
ここは歌詞を文字や活字で見るよりも曲本編を聴いて欲しいです。落ちサビなんですけど、本当にすごく孤独で寂しい感じで歌っているんですよね。落ちサビだから周りの音も静かだし。だから、彼女は嘘偽りなく孤独だったのだと思わせられます。「あたし」だけでなく、歌詞を通して浮かび上がってくる作者aikoもそうです。
それに何より「本当の恋」という表現が、ね…!「やっと溢れ出した涙」というのも、真に心から湧き上がってきた強い感情を感じさせてすごく好きです。とても切なく聴こえるところですが、それ故にまさしく、狂おしいまでに激しい情熱ですよね。
あとこれは歌詞に関係ないですが、この落ちサビに至るまでの間奏も素晴らしくて、私はここの間奏を聴くたびいつも「今すぐ星のない世界に星雲賞を授与しろ~~~!!!」と思ってしまいます。
なんで星雲賞。「想いが動いてゆく音を駆け抜ける時の中で聞いた」というフレーズが、なんか走りながらタイムリープを始めていくように聴こえるからですね。SFです。
そう、「想いが動いてゆく音」と「駆け抜ける時の中」という表現もすごく好きなんですよねここ。特に「想いの動いてゆく音」がす~ごく好きで、よく自分の小説でも使います。ひょっとするとこの曲で一番刺さってるフレーズかも知れないです。
「想いの動いてゆく音」。本当に体というか心の中で激動が起こっている、歴史に残りそうな、そんな印象です。……歴史って今書いたけど多分NHKの往年の名番組「その時歴史が動いた」を思い出してるんだと思う。
Aメロの「初めて逢った日にもう一度逢いに行って そしてまた同じ様に ぎこちなく合った目の奥にいるあたしを愛してほしい」も好きです。もうマジで全部好きだな。さすが二番目に好きな曲なだけある。
あとそれから私は「髪」の表現全般が好きというか要は髪フェチなんですけど、歌い出しの「あたしの髪が伸びて驚く程久しぶりになってしまわぬ様に」という表現もまさにTHE aikoと言っていいまであるな…とか思ったりします。
aikoは自身の髪が伸びるのが早いからか、結構髪についての表現や言及が多いような気がします(あくまで個人的な印象です)
いろいろ好きポイント書きましたが、この曲はどんな偉大な作家の書く恋愛小説より私に刺さって抜けてないです。最初にも書きましたが「星のない世界」のような恋愛が作家としての理想の形です。私が書く恋愛はいつもどこか「星のない世界」を意識しているかも知れません。
milk
aiko初のオリコンシングルチャート一位の曲です。前もどっかのnoteで書いたんですけど、CDの売上が意味をなさなくなる直前くらいの時代にギリギリシングル一位を取れてよかったなあと思います。
例えで言うと、アイドルマスターシンデレラガールズの高垣楓さんがやっと総選挙で一位になった感じ。伝わるのかこれ(わからなかったらググってください)
そんな記念すべき曲のmilkでも最後のフレーズにいたく感銘を受けており、これもよく小説で似たような言い回しを書いてしまいます。
オタクは多世界解釈が好きなのでパラレルワールドとか違う世界線とかそういう作品に弱いわけで、小娘時代はそのような作品にいろいろ触れてきた私ですが、milkのこの「もっと心躍る世界が すぐ隣にあったとしても」はまさに多世界解釈の表現ですよね。
でもあたしは「乱れたあなたの髪に触れられるこの世界がいい」と今現在のこの世界を肯定するわけです。こんなん刺さらないわけがないです。
あなたがいるこの世界以外考えられない。あなたがいるこの世界より素晴らしいものはない。だからこの世界がいい、たとえどんなに苦しくてもこの世界で生きていく。
この上ない現在肯定だと思いますし、「今」ここにあるあなたの「肉体」の一部である「髪」に「触れる」ことをその理由としている──「今」という時間、相手の「体」というフィジカルな要素、そして五感において「触覚」を強く尊重するaikoらしさに満ち満ちたフレーズだなあと思います。
戻れない明日
戻「ら」ないじゃなくて戻「れ」ないなんだ。と発表当時は思ってたなあということをふと思い出しました。小娘時代はまだまだ続くのですが、区切りとなる頃が近付いてきたので「戻れない明日」で〆とします。
今年2024年のaikoを代表することとなった名曲「相思相愛」ですが、最初に聴いた時は、きっとジャン花各位は「戻れない明日」のサビを思い出してたんじゃないかなあと思います。私はそうだった。
aikoの中にある「自分はその人ではないから、その人のことを本当に、真の意味で完全に理解することは出来ない」という考えは今でこそ普通に受け取れますが、思い返してみるとこの「戻れない明日」で初めてその考え方が出てきたような気がします。
いや……他の曲とか、他のところでも言ってたと思うんですけど、覚えてない。記憶力が単純に紙。書いたこともすぐ忘れるからね。もう去年の読解何書いたか覚えてない……。
小娘とは言えいろんな作品を見たり読んだりしているわけですから、この頃の私にもこの考えは備わっていたとは思うんですけど、私にはいつまでもずっとaikoが親鳥なので、aikoが曲を通して言ってくれたからこそ初めて実感出来たように思うんですよね。
思い返してみても個人的にはとても画期的な、私にはなかった視点でした。そりゃ刺さるね。
「あなたを連れて」の読解でも似たようなことを少し書きましたが、この基本的な考えが根底にあるからこそ「ストロー」や「だから」そして「相思相愛」が生まれたと思うと、そういう流れの「祖」であることを感じます。
ところで、「相思相愛」ではラジオ等のコメントで「その人になることは出来ないので、その人のことを完全にわかることは出来ない、両想いであって想い合っていてもそのことが切ない。でもそう思ってしまうくらい、その人のことが好き」といった旨を話しているのですが(※スーパーいいかげん要約なので詳しくは拙記事「相思相愛の証言」を読んでください)
すなわちaikoは「相思相愛」においては、そのどうあっても相手を完全には理解し得ないという、抗えない絶対的な「切なさ」を、曲の持つテーマのメインに、言ってみれば一番上のレイヤーに置いているのだと個人的には思っています。
では同じ「自分は相手ではない」を材料にしているこの「戻れない明日」ではどうなのかと言うと、その「切なさ」への言及よりも、相手とは違う人間だからこそ、相手が悲しくある時は少しでもそばにいて笑っていられる存在であろう、時に相手を叱咤し激励出来る、共に歩める存在であろう、ということに重きを置いているように思います。
と言っても雑に読んだ上で書いたものなのであんまり信じないでください。
もう14年前になる曲ですが、こうやって似た材料のものを比較してみると以前よりaikoの歌詞に深みが出てきたな…と感じます。あくまで私はそう感じます(念のため書いておくと比較しているからって戻れない明日のsageではないです)
おわりのあいさつ(これからも刺してください)
小娘時代はまだまだ続くんですが ていうか四十代見えててもまだ自分は小娘や……と自分の未熟さや幼稚さにほとほと呆れるし、aikoとの歳の差は一生埋まらないのでaikoからして見てもずっと小娘なのですが、それはつまり、これからもずっとaikoのフレーズに刺さり続ける、ということです。
言うまでもなく刺さり続けたいです。前回と今回、そしてこれに載せられなかった曲にだっていろいろ刺されていますし、刺さって抜けないからこそaikoをずっと慕い続けているし、その表現力を羨み妬みやっかんでいるし、作家としてフレーズの表現を作中で真似しているし……
そんな私なので、これからもずっと刺さっていくのです。
ずっと感動し驚愕し続けたいと思うし、aikoはきっとそれを成し遂げてくれると思います。
ずっとaikoが刺さり続ける私でありたいと思います。
ということで、aikoいろいろフレーズ選の続編でした。この辺で失礼いたします。
aikoの何の曲のフレーズが刺さったのか!殴られたのか!突き落とされたのか!(傷害事件か?)(オタクは大袈裟な表現が好き)
それは人によって千変万化十人十色なので、自分にとってはどの曲だっただろうと振り返ってみるときっと楽しいと思います。LLR10もまもなく始まりますので、予習がてら聴き直してみるといいですね。
えっ!? 私の参加するロックもうあと一ヶ月くらい!?!?(10月の名古屋DAY2だよ)(同日の方いましたらよろしくお願いします👋)
やばい……何も聴いてない……。
何もわからん……残心残暑以外な~んもわからん……。特に最近のカップリング曲の記憶がない……。これはネタじゃなくてわりとガチで言ってるので相当に深刻。本当にaikoファンなの……????
始めるか、人生n度目のaiko全曲マラソンを……!
ん?あれ?(予告?)
あっ!待って……!?
あ~~~~~~やっちまった……「朝の鳥」の「死ぬのはやめようと」もめっちゃ刺さってたやん……な~~にやってんだ~~~~。
でももう時間ないし10曲でキリいいし、「朝の鳥」は読解書いたし、そっちへのリンク貼っとくので割愛ってことにしとこ……。
ということでよかったら「朝の鳥」についてよろしくお願いします↓ 冒頭の方で刺さった話してます。
え~~~でも~~~~……これでお茶を濁すのなんかヤだ~~~。。。
それと……私は……運命の話がしたい………………。ひまわりになったら並みに狂ってるんじゃないか運命に。
運命以外にもさ~~ラジオとか~~他のもうちょっと最近の曲についても~~……書きたいな~~~…………。
ほらさ~~~思い出しちゃったけどさ~~!!!ずっとだってあるじゃんね~~~。おめ~ずっとのサビ石碑になるって言ったじゃんよ~~~~!
ってことでいつになるかわからないけど……続く、かも!です!かもだよ。いやでも「ずっと」の話しないのは解釈違いだわ自分に。自分への解釈違い。自分への解釈違いとは?
その時もまたお付き合いいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
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