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いつかひまわりのあたし達 -aiko「ひまわりになったら」についての読解・解釈・考察と巨大な感情-(前編)

はじめにより前のはじめに

世界で一番大好きなひと、aikoの歌詞について色々考え個人サイトで発表する歌詞研究活動を、年に2回、夏(デビュー記念日)と秋(誕生日)に行っています。
本日9/24は私が初めてaikoのライブに行った、いわば個人的な記念日です。もう19年。結構な年数になります。
その記念日に何かしようと思い、歌詞研究をnoteに転載することになりました。
まあその一発目、曲への感情がクソデカすぎるものなんですけど……。

本記事は拙aikoファンサイト「愛子抄」に掲載された歌詞研究の転載です。
http://aikosyo.choumusubi.com/
長いので、前編と中編と後編に分けて転載します。
前編の今回は、歌詞本編には当たらない、序文や楽曲についての情報、aikoのインタビュー記事の引用やそれについての見解に留まります。
転載にあたり、noteで読みやすいように多少の修正や加筆を施しています。

aikoの歌詞研究において、私の基本的なスタンスとしては、「一応は文学を修めたaikoファンが、aikoの考えや歌詞制作の背景をインタビュー等から詳しく調べ、それを念頭に置いたうえで色々考えいく」という感じです。
まあ簡単に言うと、aikoファンなので、aikoの気持ちや想い、考え、制作の背景に何一つ当たらず、適当にあーだこーだ解釈していって、何かいい感じに頭良さそうなこと言う……のは非常にムシがスカンのです。
なので、よくわからない方でも「この曲はこういう曲で、こういう背景があって書かれたんだな」と読んでわかるよう、aikoの曲紹介も兼ねているところもあります。
この文章がきっかけでaikoを聴いたり、歌詞を読んでみようと思ってくだされば幸いです。
では、以下から転載です。

はじめに

「ひまわりになったら」はaikoのインディーズ時代、1998年4月21日に発売されたシングル「ハチミツ」のカップリングとして発表された。このハチミツカップリング版が初出であり、それから10年後、2008年3月12日に発売された23枚目のシングル「二人」のカップリングとしてセルフカバーバージョンが収録、発表された。
インディーズ時代からある曲としては非常に人気のある曲で、aikoのライブにひまわりの造花を持っていくというお約束(今もやってる人いるんかわからんが)もこの曲から生まれたものと推測される。ちょこっと調べてみると、デビュー前のaikoがFM大阪TOP40のパーソナリティーをしていた頃、持ち曲としてよくこの「ひまわりになったら」を流していたのも人気の所以として大きいのかも知れない。

もっと言うと、aikoがインディーズで活動するきっかけとなったMUSIC QUEST JAPAN FINALで優秀賞を取った際に歌唱したのがこの「ひまわりになったら」だったりする。なので、本当の意味での初出はこちらの方となる。
(ちなみにその前年、95年のTEEN'S MUSIC FESTIVALで歌われたのがaikoの最古曲である「アイツを振り向かせる方法」である。ここでは大賞を受賞している)
(初めて作った曲でこれである。才能どうなってるんだ……

全くこれだから才能のある奴は……。
春樹は……春樹は30代になってふと小説を書こうと思って書いたらそれが入賞してあれよこれよで世界的な作家になった……aikoは……aikoは19歳で初めて曲を作ってそれが入賞してなんやかんやあって日本を代表する歌手になった……クソッ!クソッ!これだから関西人は!!!(春樹は京都生まれ神戸育ち、aikoはご存じ大阪)

なおYouTubeで「ひまわりになったら」を検索するとその当時の(今となっては極秘)映像がアップされているので、若かりし頃のaikoを知りたい方は是非チェックしてもらいたい。

優秀賞を受賞したことから、まだまだ粗削りで、歌手として羽ばたきすらしていない、殻を破ったばかりの雛鳥だったaikoが作り上げた最初期の作品だったこの曲が、多くの人を唸らせる至高の作品として既に完成されていたことがわかるだろう。
それならば、aikoをまだ単なる、身近なラジオのパーソナリティとして親しんでいたリスナー達にとっても評判の高い、心を掴む曲になったのも頷ける。キャッチーなメロディ、明るくも切ない歌詞を歌う名もなき存在の彼女の歌声は、どれだけ沢山の人の心に響いたのだろう。今のaikoの地位と20年以上の歳月を思えばあまりにもエモの極地で、語彙力を投げ捨てた表現をついしてしまうくらい私は打ち震えてしまうのである。

ひまわりになったらと私

少しばかり私の「ひまわりになったら」愛について記しておきたい。

私が初めてこの曲を聴いたのは高校に入って最初の夏休み、それも始まったばかりの頃だった。
ちょうどその頃、aikoのファンクラブ・BABY PEENATSでのインディーズ版CDの通販が終了になった時期でもあり、高校生の僅かなお小遣いを使って今となっては激レア中の激レア盤となってしまった「astral box」と「ハチミツ」を購入したのである。ちなみに「GIRLIE」はこの前年くらいに買っていて、この二枚はまさに駆け込みで購入したものだ。
届いたのが夏休みに入ったばかりの七月下旬、だっただろうか。「astral box」の収録曲にも色々衝撃を受けたらしいのだが、それを上回る衝撃が「ひまわりになったら」だった。
なにせ、聴き終わって――どころか聴いてる最中にボロ泣きしていた。これはマジだ。曲を聴いて即泣いたという経験はおそらくこの「ひまわりになったら」が初めてだろう。情緒不安定甚だし過ぎる。聴いていたのが家でよかった。

ここで背景を記しておくと、この当時、私はとある相手に叶わない片想いをしていた頃で、どうあってもその恋愛はハッピーエンドにはいかないであろうことが夏の時点で容易に予想出来ていた。実際その通りになって、いやむしろ相当タチの悪いバッドエンドを迎えてしまって、その相手とは今に至るまできちんと再会を果たしていなかったりする。
だから、この曲で歌われるあたしとあの子の恋愛が自分の恋愛にダブってしまって、明るくも切ない終わり方に、私は未来の自分が別れに際し流すであろう涙を前借りでもするようにわんわん泣き叫んだのである。

が! が、これはそれほど重要ではない情報であって、多少そういうところはあったにしろ、自分をダブらせて泣いたのが100パーセントかと言うと実際そうとも言い切れなかったりする。
私はどこか、この曲に描かれた「あたし」と「あの子」の物語があまりに切なすぎるから泣いた、と言うことが、おそらく20、いや40パーセントくらいは含まれていた……と思うのだ。
勿論これは今の、「とにかく「ひまわりになったら」が好き過ぎるオタク」になってしまった自分による裁量ではあるのだが、自分のことばかりではなかったはずだ。自分のことを一旦置いてしまうくらい、この「ひまわりになったら」で描かれるストーリーは切なくも健気で明るくて……それが故にまた切なく、悲しいのだ。リスナーである私はただ聴くだけしか出来ない。この二人の物語に対して何も出来ないのも、また悲しい。そういった気持ちが響き合って、感性がやたらと過敏であった思春期の私は涙してしまったのだ。

……と書くとやっぱりなんだか出来過ぎた話になってきた気がするが、先に進もう。
私の片想いが痛々しく散ってはや幾星霜。自分の恋愛と紐づけた「ひまわりになったら」の思い出もとっくのとうに色褪せてしまった30代の今――いつのまにやら私はこの「ひまわりになったら」に本気オタク、みたいなことになってしまっていて、いっそ信仰や崇拝と言えるくらいの謎の熱意を懲り固めてしまっていた。どうして……。
私が最初に聴いた「花火」や一番大切な曲である「スター」、その他様々な名曲や思い入れのある曲を差し置いて、何はなくともただひたすらに闇雲に人に真っ先に勧めてしまいたくなるのがこの「ひまわりになったら」である。
私のTwitterのツイログで「ひまわりになったら」で検索すると数々のおぞましい「ひまわりになったら」に関しての迷言、珍発言、様々な幻覚、お気持ち、暴論、怪文書等々がむちゃくちゃにヒットする。マジで「ひまわりになったら」にどうかされちゃったオタクの私しか出てこない……よっしゃいっちょ見たろうやないかいと言う稀有な方がもしいらっしゃれば検索してみてほしい。お気に入りを貼る。

それと、これはこの段落で早々のうちに書いておくべき非常にどうでもいい脱線なのだが、何故か私は「ひまわりになったらは百合で読んでほしいんじゃあ!」と言うことをしきりに言っている。
いつかは忘れたが、ネットのどこかで「aikoのひまわりになったらは百合」と言う言説を見てしまったのがきっかけだ。私はこのどこの誰が放ったかわからない言説に少なくとも10年以上は狂われっぱなしなのだ。
――百合、とは大雑把に言うと女の子同士の恋愛のことで、私自身は(これは嘘偽りなくマジで言っているのだが)百合文化や歴史、そもそも百合と言う概念については実は全く詳しくない(マジです)

けれども確かに、どこをどう、とはこの段階では言えないのだが、「ひまわりになったら」はあまり男女間の恋愛っぽくない雰囲気がある。二人称が一貫して「あの子」と言う性別を特定していないものだし、「ただの友達だったあの頃」「Loveなfriend」と言う書き方もそれに絡めるともしや? と思いたくなる。
それにこれはあまりに感覚的な書き方となってしまう、単なる私の感想なのだけれど、瑞々しく、まだ若々しいaikoの歌声が生み出す明るさと切なさは、同性同士であることも理由になって恋愛を終わらせてしまったような苦々しさを感じさせてしまうのである。(なお私自身もaiko自身も同性愛を否定しているわけではない)
――もういっそ文章力も外聞も投げ捨てて書くなら、とにかく男女よりも同性同士、とりわけ年若い少女同士として読んだ方がこの曲、もうむちゃくちゃ切ないんじゃないか……!? と私が強く強く思うだけなのである。マジで。何ならこのテーマだけでもう一本何かしら文章、いやいっそ小説が書けそうなのだが、さすがにそれはここでやっている場合ではないので、さっさと次に進もう。

ものも食べられないほどの

aikoはこの名曲「ひまわりになったら」をどのように作り上げたのだろうか。しかし何分初出がメジャーデビュー前であるため、当時のaikoの言に当たるのはほぼ不可能だ。そこで今回は「二人」で再収録された際のインタビューを当たることとする。
オリコンスタイルで、aikoはこんなことを述べている。

「作ったときは、すごい切なかったんですよ。好きな気持ちを抑えようと思って作った曲やから。今は楽しかった思い出として残ってんねんけど、その当時は、すごい辛かった。もう戻ることはムリってわかってるから、一生懸命、好きって気持ちを違う感情に変えようとしてた。まだ好きで、切ないけど、絶対に前みたいな二人には戻れないんだって」

作った時すごく切なかった、辛かったと言うことは、ひょっとすると実際の失恋を引きずっていたのかも知れない。駆け出しも駆け出しの頃なので、今とは違ってaikoの実体験から膨らませて作っていたのでは、と言う推測はそれほど行き過ぎたものではないと思う。
それにしても「好きな気持ちを抑えようと思って作った曲」と言う暴露、この時点で既にもう辛さMAXである。「ひまわりになったら」全体から感じられる、好きであることを諦めきれないやるせなさはここから発せられているのであろう。

「もう戻ることはムリってわかってるから」「絶対に前みたいな二人には戻れないんだって」とaikoが言うのだから、曲中の二人も前のような関係には――ただの友達にも、恋人同士にも――戻れないと言うことだろう。「一生懸命、好きって気持ちを違う感情に変えようとしてた」と言うaikoの吐露には、読むだけで辛かった日々のことがひしひしと伝わってくる。

と同時に、それをからっと爽やかな曲調で歌えると言うことの凄まじさにも唸るものがあって、aiko恐るべしと思わざるを得ない。
「辛い内容こそ明るい曲調で」とはaikoの作風の一つであるが、原点とも言えるこの曲からして既にそうだったのだから、作風と言うよりももっと生々しい、aiko自身の性格と言ってしまってもいいのかも知れない。
インタビュアーも当時の彼女を慮って「すごい頑張って乗り越えようとしてる曲で…」と話す。aikoはこう返す。

「ん、がんばった(笑)!冷凍ミカンとヨーグルトと水しか喉も通らなかったけど(笑) 作ってから13年経ってる曲なんですけど(作者註:aiko20歳の頃で、1995年)聴くと当時のことを思い出しますね」

笑いごとにしているが正直シャレにならない。食欲を根こそぎ奪うほどの失恋……いや失恋はいつでも誰に対してもそれくらいのものなのだろうが、改めて「ひまわりになったら」のベースになっている恋が、どれだけaikoにとって深く大切なものだったかが偲ばれるところである。

太陽なんかじゃない

曲のタイトルとモチーフになっているひまわりについて、インタビュアーは「ひまわりって明るいイメージを抱かせそうですけど、この曲では切なさのモチーフになっていますね」と訊く。それを受けて、aikoはひまわりについて次のような解釈を話している。
この内容も、これぞaiko、と言えるような解釈で、私はこのaikoのひまわり観の所為で「ひまわり=元気」のイメージが、実をいうとあまり抱けなかったりする。おのれaiko。

「ひまわりって、実はすごい弱い植物で、切っちゃうとすぐ枯れるし、花が重たい分、太陽が沈むとすぐにシュンってなっちゃうんです。で、太陽が出てくると、また元気になんねんけど、それを繰り返して夏の終わりに枯れるという。だから、私の中では、ひまわり=元気ってイメージはないんですね」
「好きな人を一生懸命探してその方向を向いて、咲いているイメージ。その人=太陽がいないと生きていけない植物っていう。その人にとってかけがえのない太陽にもなりたいっていう感じで、タイトルにひまわりってつけました」

ここで話すひまわりのネガティブなイメージこそ、「ひまわりになったら」の「あたし」であろう。おそらく一般的に広まっているひまわりのポジティブなイメージが投影されるのが「あの子」であり、この曲であたしが目指す「ひまわり」でもある。
「その人にとってかけがえのない太陽にもなりたい」からタイトルにひまわりを入れた、と言う理由はなかなかに大きい。「あたしはいつまでもあの子のひまわり」と歌ってはいるが、「あたし」はまだ明るい意味での「ひまわり」になり切れていない故のタイトルでもあるのだろう。

十年経っても

もう一つ別のインタビューも見てみよう。切り抜き所持のため雑誌名は不明だが、同じく「二人」発売時のインタビューからの引用となる。

「大人になったら気持ちって変わるのかな?って思ってたけど、10代の頃と全然変わらないんだなって。歌いながら、そういえば、冷凍ミカンと水しかのどを通らないぐらい、恋愛に打ちのめされたときもあったな~とか(笑)」
「いろんな記憶が鮮明によみがえってきて、もちろん今となってはいい思い出なんだけど、あの当時の自分も、今の自分の心の中にちゃんといるんだなって思いましたね」

インディーズシングルのカップリングとして、正式な音源が世に出てから10年が経っていた2008年当時。30代になったaikoが歌っても、気持ちは離れることなく、曲と言う形でずっと新鮮なまま残されていた。
「恋愛に打ちのめされた」ことも「今となってはいい思い出」と言うように、その当時から時が経ち、aikoの立ち位置も変わり、まだ何者でもなかった頃に終わった恋愛はあくまで遠い記憶、終わってしまったもの、ではある。
けれど隠したいものでもなく、忘れたいものでもない。まるで本当の永遠を手にしたかのように、自分の中に変わらずにあることにaikoは改めて気付かされたのだろう。
それが、歳をとると言うことであり、生きていく、と言うことなのかも知れない。その頃の自分の気持ち、その当時の自分が心の中に生きていることは、歌手でありアーティストであるaikoの強みとなっていると言えよう。



前編はここまで。歌詞本編の読みは中編で行います。
少し長いですが、お付き合いいただけますと幸いです。


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