未来は捨てたもんじゃない -aiko「未来を拾いに」読解-
aikoは人生な文章書く系&小説書くオタクのtamakiです。PNはおきあたまきといいます。
2024年aiko歌詞研究・前期は「あなたを連れて」と「未来を拾いに」の読解で、本noteでは「未来を拾いに」稿を掲載します。
簡単なごあいさつと説明は「あなたを連れて」読解冒頭をご覧ください。
はじめに
「未来を拾いに」は2015年4月29日に発売されたaikoの33枚目のシングル「夢見る隙間」のカップリングとして発表された一曲である。CMソングであり、夢見る隙間よりも先に2月にはTVにて流れていた曲でもある。
あくまで筆者の体感だがカップリング曲の中でもとりわけ人気の高い一曲であり、昨年放送されたNHK FM「今日は一日aiko三昧」でのリクエスト第3位にランクインした実績もある。その際のaikoのコメントを引用しよう。
このコメントでも触れられているが、過去のNHKFMの特番「aikoうたことば ~あの歌詞に、このエピソード~」(2018年9月17日放送)では「ストロー」「ラジオ」「えりあし」「瞳」と言った名だたる名曲達を押さえ1位にランクインした。私もその放送を聴いていたが、「未来を拾いに」が一位なことにaikoと同じように驚いた記憶があるし、当時のブログではランキング入りした曲や結果について「全く細工されてない感じが好感持てた」と書き残している。
そのことが影響していたかはわからないものの、翌年にリリースされたシングルコレクション「aikoの詩。」Disc4のカップリングセレクションにも「未来を拾いに」が収録されているので、察するものは十分にあると思えた。どこかで明言していたような覚えがあるのだが、ソースが見つからなかったので覚えがある、との記述に留めておこう(ちなみに、後でソースらしきもの回収します)
現状を悲観していた少女を楽しい未来に手を引いて連れ出していくような、前向きなアップテンポの一曲である。「十年先もそのまた先も一緒にいられたらいいな」のフレーズを聴くたびにaikoとのこれからをまだまだ望みたくなる。ファンの多いこの一曲を、この機会にしっかりと読んでみたい。
資料を読む
と大見出しを書いたはいいのだが……実は……今回……夜空綺麗読解を上回るレベルに、資料が、ない!!!
検索ワードを手を変え品を変えアホほど検索してみたが、出てくるのは「夢見る隙間」についての言及のみ。頼みの綱であるオリコンスタイルも「夢見る隙間」についての言及しかしてない。そんなことある!? あるんだなこれが。
資料、な~~い!!
どうもリリース時期の2015年と言うのはインタビュー掲載場所において紙媒体の終焉時期とネット媒体の勃興時期が微妙に重なっていた頃らしく(※あくまで筆者の体感です)おそらく「夢見る隙間」のリリース時期はそのど真ん中くらいで(これも体感)とにかく資料がない。ないないな~いのである。
高校生の頃ならまだしも、収入のある社会人なので雑誌が出ていればオリスタ以外にも購入していたと思うし……まあ2015年って人生で一番遠征してた頃で常にお金ないない民だったからわからんけど……ほぼ毎月どっか行ってたし、下半期東京行き過ぎワロタだし……十年近く前の自分って別人だからもう記憶ないです……。
これでLLR7のパンフにオフィシャルインタビュー載ってたらオモロだな~と思ってこの下書き書いてる今まさに確認して見たがない。パンフレットに載っている「夢見る隙間」要素は巻末の広告のみであった。
いや~~~これは本格的にお手上げですね!資料!ない!花火読解ぶりに自分の読解力だけを武器にやっていこうかな~、でもそれはそれで嫌だな~~~でもそれしかないし、腹、くくるか~~~。
てな感じで歌詞読みをする直前までそのつもりだったのだが、ふと気になって「夢見る隙間」のwikipediaを確認してみた。
ネット民の誰しもがお世話になるwikipedia。しかしaikoのことに関してはKissHugのことを失恋の曲と堂々と書いていたりしてるので(まあ解釈は自由だけどさ~KissHugは両想いの曲だと思いますよ僕は!花より男子の曲で失恋の曲はないよ!)正直いい加減な媒体だな~誰だよ書いた奴~と常々思っているのだが、ここはもう藁をもすがる気持ちである。
そしたらなんと、すがれる藁があった。
藁!!! いいえ立派な浮き輪です!!! ありがとうでもソースどこ!? となったがこれの出典は今はもう見ることの出来ない、aiko公式ページの「夢見る隙間」発売時の特集ページである。つまり現在で言うところのオフィシャルインタビューなので、一番信頼のおける資料だ。でも見られない。この伝聞にしか頼れない、終わったでやんす……と思ったが、ふと閃いた。
これ…このURL……
インターネットアーカイブにブチこめばよくない????
で、やってみた。
ウオ~~~!!!!?!??!?!!
いけた~~~~!!!??!?!?!!!
ありがとうインターネットの善の力!!!!!
というような経緯でガチで歌詞読みする寸前に奇跡的にアーカイブ発掘出来たオフィシャルインタビュー、早速確認してみたい。
オフィシャルインタビュー
aikoがコンプレックスを多く抱えていることについて、aikoファンは多かれ少なかれ、いろいろなところでのインタビューやコメントで感じていることだと思う。「未来を拾いに」のコメントでのこれを言葉通りに解釈すると、幸せを願うこともあまりしなかったどころか、未来に希望を抱くという当たり前のことすらしなかった、未来どころか現状も変わらないと思っていた、ということになる。
平たく言うと全てを諦めていた、ということである。まさしくaikoの言葉通り「絶望」だ。望みが絶えているのだから。サビの「つまらないと吐いたあの頃のあたし」そのものだ。ちょっと、いや大分悲しい気持ちになってくる。
コンプレックスについて、子供の頃に体型をよくイジられていた話はいくつか見たり聞いたりしてきたが、後に引用するあじがとレディオでのコメントで言っていたような、「自分の理想とする自分になれていない」という、現在の自分への嫌悪も少し入っているのかな、と少し思う。その鬱屈した複雑な気持ちが子供の頃からあったかどうかはわからないけれど……少し蛇足した。次に進む。
悲しい気持ちになったりはしたが、しかしそれは過去の話である。ここのコメントを見ると、昔から見れば未来にいる現在のaikoが、過去のaikoにエールを送っているようにも見える。そんなことないよ、ちゃんと幸せだし楽しいよ、未来はもっと楽しいよ、と。今は心からそう思えるようになったこと、心から良かったと思う。
aikoがそう思えるようになったのは、私が思うに歌手になっていろんな人に出会えたからだろうし、ライブをやったりラジオをやったりしてファンの人達と沢山出会えたからでもあると思う。ここについてはあじがとレディオのコメント引用の段落でもう少し深掘りしようと思う。
私としてはそんなに重要視していなかったフレーズが、実はaiko的にはターニングポイントのように捉えられているのだから、やはりこういったインタビューやコメントはバカにならない。
読み飛ばしてしまいそうな些細な描写であるが、aikoの楽曲の産地である「生活」「日常」にかなり根差している描写だったのは意外だった。でも、言われてみればそうかも……となったので私もまだまだ、研究者としても小説家としても修行が足りない。
これがもっとステップアップしたフレーズや描写が「ストロー」なのではないか、と思うところである。このフレーズのある二番Bも共に生活している雰囲気やにおいを感じるが、「ストロー」はもっと二人での暮らしに密着している、非常に生活感と日常感のある世界観である。
既に書いたが、aikoは本人もよくインタビューなどで話している通り、日々の暮らしや生活の小さな出来事から曲の物語を編み出している。
現在はこの「未来を拾いに」がリリースされた頃から十年近くが経っていて、aikoも数多くの曲を発表してきた。具体例を挙げている余裕はないのだが、その約十年の間にコロナ禍もあったし、この時以上に生活・日常に近付いた描写が各曲に増えたような気がするのだが、どうだろうか。aikoも、自分の目指している、理想としたい作風により近付けていると自覚していたら嬉しいところだ。
あじがとレディオ第134回
さて、オフィシャルインタビューが見つかったので、資料としてはこれ一本で十分なくらいなのだし、早速読解していけばいいのだが、少しの間待ってもらいたい。
見つからない状態がかなり長かったので、「あなたを連れて」読解の執筆を進めつつも私はいろいろ考えていた。やはり何もない状態で書くとなるとどうにも心もとない。aiko三昧のコメントでは弱すぎる。
あっ、あじがのaikoの詩。の全曲紹介フラッシュではどう!?(第42回・現在は聴けません) ってないんか~い! ダメだ、歌うかPVとタイアップの話するかのどっちかしかしてないこいつ! 十秒くらいで語るのがまず無理だよ!なんなんだよこの企画! あっ!未来を拾いに、皆さんのおかげで入ることが出来ましたって言ってるからやっぱりそうやったんや!(今?!)
え~い! なら最近あったあじがのaiko全曲紹介フラッシュ回(第166回・第167回)で何か言ってないか~! ないんか~い! 二週続けて同じことやってるのにないんか~い!!
もうダメです!! 絶望的です!! 未来を拾いに大分ムリです!! てかいい加減aikobonの続き出しません!? ライナーノーツだけでもいいから! というような状態だった。ヤバかった…(遠い目)
何かないか、取っ掛かりが一ミリでもないか……そう思いながら歌詞を見ていた時だった。
「楽しい」楽しい……あれっ、なんかaiko、前にこれについて何か言ってたのなかったっけ……?
それがこれである。「青空」を読解した際に引用した「音楽と人」でのインタビューだ。
これに対して私は衝動的にあじがとレディオにメールを送ってしまったのだが、なんとなんと、あじがと第134回にて読まれ、aikoのコメントを奇跡的に得ている。しかもパンフにまで載った…(絶句)
嘘だろ世界。そんなことある? あるんだなあ~。
これでaiko没後に吹田市に出来ると言われるaiko記念館の資料に永久に残ることになったな…(ない)
でも未だに信じられない。こんな内容で読まれたの……嬉しいけど答えたaiko側は苦しかったかもな…嫌だったろうな…と思うと心底申し訳なくなってくる……。うううすまぬ……。
でもaiko、読んでくれて本当にありがとうございました。
で、そのコメントが、「未来を拾いに」を理解する上で、並びにaikoという作家・人間を研究する上で非常に重要な証言となっているため、ちょっと毛色の違う資料とはなってしまうが少し引用したい。
ここで答えている思想、性格が「未来を拾いに」一番サビのあの短いフレーズにまさに滲み出てはいないだろうか。
オフィシャルインタビューでも明かしているように、aikoは小さい頃から実はこういう考えをしがちだった人間で、それを数十年引きずってるとなると、もはやそれはもうaikoの言う通り「性格」、としか説明できない。もっと生々しく「性分」と言った方がもう少し正確かも知れない。
ここから先もaikoという作家・人間を考える上で非常に重要な証言が続くのだが、「未来を拾いに」に直接関係してくることではないので、資料読みのこの段落では割愛させていただく。
なお、次に引用するコメントでも中略した部分でaikoの本質や内面にかなり肉薄したことを語っている。ご興味のある方は是非team aikoに加入し、聴けなくなる前に第134回の放送を聴いて欲しいところである。
このコメントの最後の方でも、あじがとレディオの収録やレコーディングで人と出会うこと、それから結婚を経て一人で考える時間が減り、話せる人が出来たことについても話している。
そう話した末にaikoは「出逢いに恵まれている」と結んでいた。aikoは今も変わらずネガティブでいるのだと思うけれど、でも、それだけじゃなくなったのだ。現に「未来を拾いに」という名曲が生まれたのがその証拠である。
これらのコメントから考えるに、aikoのネガティブな気持ちを緩和していったものは多くの人との「出逢い」であると言えよう。
「出逢い」も平たく言えば未来に待ち構えていることだ。それをラブソングにすれば、すなわち恋になる。人との出会いの先にある、友情や仕事や仲間や恋。だからラブソングを綴るaikoが生み出した「未来を拾いに」では、一番ではあたしとあなたの恋のなれそめを描き、二番では恋が発展した先にあるあたしとあなたの日々を描いているわけだ。
そもそも「出逢い」自体も“楽しい”ものだ。現在のあたしが歌う「死ぬほど沢山ある」「楽しい事」には、これからのあたしに訪れる「出逢い」も含まれていたのではないだろうか。当然ながら、あなたとの出逢いがその最たるものである。
資料読みまとめ雑感
2015年のオフィシャルインタビューと、2022年のあじがとレディオ。7年もの差があり、一方は「未来を拾いに」に対してのコメントではないが、両者を合わせることで「未来を拾いに」の中にかつてのaiko自身を見出すことが出来たように思う。
勿論、歌詞のあたし=aikoというわけでは決してないし、私自身、aikoの曲に私小説的な読みをするつもりは一切ないが、そもそも作者の姿、影、思想や性格を全く感じさせない創作物など正直ないに等しい。大なり小なり、作者の何らかの想いはどうしても込められているもので、私が長らく行っているこのaiko歌詞研究も、それらを掘り出して、かつ彫り出していくものだと感じている。
昔のものはさておき、少なくともこのnoteに掲載しているものは基本そのスタンスに則っているつもりだ。だからこそ歌詞の読解や考察をする際にはaikoがどう考え何を思っていたかを重要視するのである。
そういう点で、今回の「未来を拾いに」の資料探索は、私が常々歌詞研究においての目標の一つとしている、aiko本人の深奥に近付くこと、が思いがけず少し達成出来たように思う。これも資料が見つからないで迷走したお蔭と言えよう。いや資料がないのはめちゃくちゃ困るんですが。死活問題なので太字にしました。
aikoの冷徹と、私の願うこと
aiko本人の深奥に近付くこと──文学研究で言うと私は作家研究に当たると思っているが、ここで少し脱線するが、この点から一つ書きたいことがある。
手法やクオリティに差はあれど、かれこれ十年以上、aikoの歌詞を読んできた。学術誌に載るような文学研究ほど洗練されてはいないけれど、私としては自分に出来る文学研究のつもりで取り組んでいる。
研究者である一方でただのaikoファンでもあるので(というかむしろそっちの方が本質なのだが)研究目的以外でもaikoの姿、言動、それからもちろん歌う様を見たり聞いたりして追ってきて、ぼちぼち23年になるかならないかと言うところなのだが、一つ思うのは、aikoという人間の中に、非常に、恐ろしいほどに冷たい部分があるな、と言うことだった。
歌詞にも時々それが表れている──いや時々なんて可愛いレベルではない。大体表れていると言ってもいい。冗談やノリで鬼悪魔aikoとかaikoさん人の心ないんかとか書くことがあるが、それである。
茶化すとか冗談とかのレベルでなく、あの可愛くてノーテンキな言動からは想像もつかないほど、ぞっとするような冷徹な部分が、aikoにはある。確証はないが、これはきっと多くのaikoファンに聞いてもその大多数の人に頷いてもらえると思う。
そのaikoの暗闇の一端が表れているのが、あじがとレディオで話していた「楽しいと思えない自分」「マイナスのことを一緒に考えてしまう」「ダメなことを考えてしまう性格」であったり、資料読み段階では引用しなかったが、「自分の中に(今の自分をけなしてくる)自分の妖怪がいる」と説明していたことや、「未来を拾いに」のサビでいうとこの「つまらないと吐いたあの頃のあたし」であろうと思う。「あなたを連れて」で「最後は一人」と綴っていたのも、今考えるとaikoにあるそういった部分の表れだったと言えるかも知れない。
そんな、すごくすごくシビアな部分がある。多分彼女の中にずっとずっと存在しているんだろうなと思うし、これから先も、それこそ死ぬまでずっと在り続けるだろうとも思っている。いつ頃からそうなったかはわからない。それこそ、コンプレックスが山ほどあって絶望していた子供の頃からかも知れない。
そういう目で現実を見ていて、今もなお歌詞に表れてくる。それこそがもしかすると、世に言うaikoらしさ、aikoの味、aiko特有の切なさと言えるものなのかも知れない。
そういった歌詞を読解して深掘りして、ひょっとすると、とか、もしかしてこういう、と言った調子でいろいろ自分で考えてぱっと何か閃いて、これぞ! という読みが出来た時、私はaikoの深奥に辿り着けたような気がするし、もっともっとわかりたい、もっと私のやり方でaikoの深いところを追い求めたい、と思うのだ。
そしてそういう、aikoのダークさや冷徹さ、ひどく冷えた眼差しに肉薄しつつも、こうやって読解を書いて明らかにして多くの人に読める形にしても、けれどもその上で、aikoという作家、いや人間の持つ善性と明るさと、彼女がそれでも完全には捨てようとはしない未来への希望を信じたいと思っている。思っているし、そこにこそ私は、読者の方に目を向けて欲しいと思っている。そして、可能であれば、歌う姿、楽しく話す姿を見て欲しい。
そう願いながら、筆を執る。私の文章で少しでも伝わるものがあれば、aikoファンとしてもaikoの研究者としてもこんなに嬉しいことはない。
と、いろいろ書いたが、あれだけネガティブだったaikoが沢山の出逢いを経てポジティブになっていったことはとても素晴らしいと思うし、やっぱり人生捨てたものでもないように思う。
なんて私が思うのもまさに「未来を拾いに」の歌詞の通りではないだろうか。といい感じにオチがついたところで、歌詞読解本編をスタートしようと思う。
歌詞を読む・一番
「未来を拾いに」がリリースされた頃は、長年お世話になっていたアレンジャー、しまやんこと島田昌典氏の元を一旦離れOSTER project氏のアレンジを主流にしていたが、この「未来を拾いに」は「冷凍便」「夜空綺麗」「58cm」などを担当した川嶋可能氏が手掛けている。
歌詞と直接関係はないが、新曲「相思相愛」カップリングの「まさか夢」の編曲で久しぶりに参加されていたため、タイムリーだと思い話題に挙げてみた。なんとなく、やや激しめのロック系がメインという勝手な印象があったが、きちんと調べてみると「何時何分」「蒼い日」「恋をしたのは」なども担当しているので結構驚いた。
そんな川嶋氏が軽やかで明るいポップナンバーに仕上げた「未来を拾いに」、そろそろ歌詞を読んでいこう。
「好き」は「知りたい」
一番ABはあなたとの出逢いが描かれている。
Aはまさに出逢いも出逢い、きっと初対面のシーンからだ。汗の描写がちょっと官能的で出だしから少しドキッとしてしまうのは私だけだろうか。ところで冬に汗と言うと往年の名曲「桃色」を思い出す。
「好き」を言い換えるのならば「知りたい」だと、私は常々思っている。あたしはもう、あなたに(まさしく歌詞の通り)夢中だ。あらゆるものを言葉に変えて話しているのは、きっと最初からこの二人、ひょっとして良い雰囲気だったのではないかしら、と思いたくなる。
「好きなもの嫌いなもの 心の端っこまで」はあたしがあなたに話した内容だと思うけれど、「あたしの知りたいあなたのこと」としても読める。とにかく、知り得ることはいろいろ知っておきたい。相手にどう思われるかを考えていないくらい、あたしはあなたにのめり込んでいる。ここまで好きになれる相手と出逢えたこともまた貴重なことだ。それこそ、サビで明らかになる「あの頃のあたし」を思うのならば。
久遠を想う
とにかくあなたに夢中な様がAに続いて描かれる。なんといじらしいことか、可愛いことか……とついしみじみしてしまう。
ところで、この「相手が見ていない時に(ここぞとばかりに)見る」という描写は実にaikoらしいな……と思う描写である。ぱっと思い出せるのは「リップ」の「あなたの横顔今日は4回見れた」だろうか。
それはさておき、「10年先もそのまた先も」のフレーズに注目してみたい。AとBでどれくらい時間が流れているかはわからないけれど、既にこんなにも「長く続く好き」を願っているなんて、どれだけあたしにとって運命の相手だったのだろう? と思わずにいられない。
そんなに先までの想いを願えることは、対象が人でもコンテンツでも、相当のものじゃないだろうか。「自転車」の最後のフレーズじゃないけれど、こんなに好きになれる人に出会えることは、間違いなく幸せで人生において大きな出来事である。
ところで、今回この曲を読解しようと選んだのは、この「10年先も…」のフレーズがあったためなので(なぜなら……aikoと同じくらい大切なコンテンツ・アイドルマスターSideMが10周年だからです!aikoのデビュー記念日とSideMの周年記念日は同じ7月17日!皆さん覚えて帰ってネ!)尚更これってそう簡単に言えないよな……年季、必要だよな……と思ってしまうのである。
普通、出逢ってすぐは無理な気がする。まあ無理はちょっと言い過ぎかも知れないけれど(それほど燃え上がる仲だったならまあ…)でも、それなりの年数を滲ませないと無理でしょ、と思う。
とは言えここで書いているのはあくまで100%私の感覚なので、人によって捉え方は異なるのは百も承知である。(そんなこと気にしない人もいるだろうし)そこに甘えてもうちょっと書かせてもらうと、回想の形で一番AもBも語られているようにも読めるので、ひょっとするとこれは、二人の仲がすっかり出来上がって、それなりに年数が経った現在におけるあたしの感慨が綴られているのかも知れない。
という仮定でいくと、即ちあたしとあなたの日々は今も安定してそれなりに続いているということでもある。aikoの曲でここまで安定してラブラブな状態なのは、なんだかちょっと珍しい感じがする。これもあくまで私の体感ではあるが。
拝啓 あの頃のあたし
今でこそあなたとの出逢いですってんころりんと恋に落ちたあたしであるが、「つまらない」と、日々のあらゆることに吐き捨てて、未来に希望を持てない厭世的な自分がかつていたことをここで明かす。たとえ「楽しい」と感じていても、作者であるaikoがそうだったように、「いつか終わってしまうしどうせ……」「そんなに期待しないようにしよう」と後ろ向きになってしまうような子だったのだろう。
ABの浮かれっぷりを思うと、そんなあたしがいたことなんて、いやいやまたまたご冗談を……と言いたくなるが、この性格を変えてくれたのがひょっとすると、外ならぬあなたとの出逢いだったのかも知れない。ABは短くまとまってスピーディーに駆け抜けていくからあっという間の出来事のように読みがちだが、そうだった可能性もある。
aikoのコメントも参考に考えるとよりそう思う。様々な「出逢い」によって自分のネガティブな性格が(依然として残りつつも)少しずつ改善されていったという話を踏まえると「未来を拾いに」のあたしがそうあってもおかしくないと思うし、だからこの曲は“出逢い”を描いているのだ、とも思っている。
楽しいことはいっぱいある
「楽しい事」にはあなたとの出逢いを筆頭に、いろんな人達との「出逢い」があるのではないだろうか。勿論、それによってもたらされたいろいろな「楽しい」が、それはもう沢山ある。勝手に諦めたようになっている過去のあたしを救うように、そんなことないよと、こう思うようになっているんだよと、あたしが捨てた未来にいる現在のあたしが語り掛ける。
いや、過去だけでは無くて、今現在の自分自身にも刻みつけるように、そう思えることを喜ぶように歌っているのではないだろうか。
こんなポジティブ全開のaiko……ほんまにaikoか!?(aikoを何だと思っていらっしゃる?)
一番まとめ・過去のあたしに手を伸ばす
読んでそのままだ。ここまでの内容をざっとまとめてみる。
AとBはあなたとの出逢い、その始まり、仲を深めていく様子が描かれている。
「あなたのことが好き」は「あなたのことを知りたい」ということ。恋に落ち、奇跡的に上手くいっているあたしはあなたを貪欲に求めていく。AとBの歌詞だけ見ると急降下であなたに落ちていっているようにも見えるが、実際はそれなりに時間が経っているのではないだろうか。
10年先もそのまた先も、とあたしはあなたとの仲が続くことを願う。それもそうだろう。未来に絶望して、何もかも諦めていたような子がこんなにまで好きになれる人に出逢ったのだ。間違いなく運命の人で、生涯ただ一人の人となる相手だ。
「十年先も」と祈るあたしは出逢ってすぐ、のあたしではなくて、それなりに年数を重ねた、この歌を歌う現在のあたしの願いではないだろうか。こう願える背景として積み重ねたあなたとの時間を感じ取りたくなる。それだけ言葉には深みと重みがあるように思えてならない。
サビで明らかになる、未来に希望を持てずにいたかつてのあたし。作者aikoの性格を思わずにいられなくなる箇所だ。でもそんなあたしを変えてくれたのが、あなたとの出逢いや恋や、その他のいろんな沢山の出逢いだったのだろう。
勝手に諦めきって孤高を気取っていたあたしに、彼女が捨てた未来にいるあたしが「そんなことないよ」「今はこんな風に思っているよ」と語り掛ける。沢山の“楽しい”に、そう思えるようになった出逢いに恵まれた現在のあたしが過去のあたしを救うように歌い、手を伸ばす。それは今現在の自分にも、今ある幸せを刻み付けるようでもある。
歌詞を読む・二番
出だしからわかるが、一番Aで描かれた出逢いの時から少し時間が経過している。
冬春夏を越えて秋
秋、とあるので一番Aからは少なくとも1年は経過している。二人の仲は良好なようで、「だらしなくはねたその髪」は書き方からあなたのことだろうか、となると「優しく指が入る」はあなたが髪を整えている様子か、あるいはあたしがあなたの髪の中に指を入れているのか……どう捉えてもイチャイチャしてますね!? という雰囲気である。ごちそうさま~。
いっしょに暮らそう
aiko曰く、aikoの日常、日々の生活に近いところを書けた気がすると言っていたところである。ダイレクトに通じている描写らしい。
日常、日々の暮らし、ということを踏まえると、もしかしてこの二人……一緒に生活していらっしゃる!?(遅!)(今?!)どこからどうみてもLOVEである。おいしかったよごちそうさま。
二人が住む部屋を出ていく。朝の様子だろうか。一緒に通勤? おでかけ? どっちかはゴミ出しかな? といろいろ想像出来るが、aikoの言っていた日常や毎日、それから一緒に暮らしているらしい様子などを思うに、のちの名曲「ストロー」の方がをやはりどうしても感じてしまうところである。それこそこのくだり、「ストロー」の一番Bと親戚のような感じを抱く。
楽しいはこれからも
一番サビと同じようにネガティブな面が表れていて、なによりここは作者たるaiko本人の後ろ向きな性格もわりとダイレクトに出力されているところと言ってもよいかと思う。「楽しいこともいつか終わることを考えてしまう」と語っていた通りである。
とは言え、明るく読み取れないこともない。「はしゃぐ時の中」と彼女は歌っているのである。「これから先にも楽しいことがある」と信じているからこそ、“はしゃぐ”と言えるのではないか? ネガティブさは依然としてありつつも、一番サビでは「つまらない」なんて言っていたあたしがこう捉えられるだけでも大きな変化である。そしてすごく幸せなことだなあ、とも思う。
掌の未来
前半で明かした不安に対し、即座にカウンターを飛ばす後半である。「これから」、つまりタイトルになっている「未来」がここでは二回も出てくる。二人の未来が当たり前に続くことが何の疑問もなく言えるのも、間違いなく進歩であろう。
「手の中にある」と書かれているのもよい。捨てることなど頭にすらないのだ。未来が手中にあることを揺るぎなく、当たり前に感じていることの貴重さと明るさと強さには何だか泣けてくるほどではないだろうか? おおげさ?
もし不安になったら。あるいは、忘れてしまったら。そうなったら、あたしかあなたのどちらかが不安をなくすように抱きしめたり、こうだったと思い出語りをすればいい。それで十分だと私も思う。あたしがまた前のように暗く悲しく考える必要はない。
「少し不安で愛おしい」──ここも進歩だと思う。自らのネガティブさ、悪いところも人間らしく捉え、“愛おしい”と、本当にどこか慈しんで歌うあたしは嫌なところも含めて自分をまるごと肯定出来たかのようである。
二番まとめ・愛おしき、嫌いな自分へ
一番から少し時間が経っているのが二番で、AB共に読むかぎり二人の仲も大分深まっていて、なんだったら一緒に暮らしてまでいるようだ。とてもラブラブなようだし、aiko曰く日常の描写がよりリアルになったとのことなので、全体的に「ストロー」の原型のような情景描写に読める。
順風満帆ではあるが、あたしの性格はそうやすやすと幸せを享受させてくれない。「いつか」「忘れてしまうのかな」と綴られるサビは作者aikoの、本人も自覚しているネガティブさに由来していると見ていい。
しかし、ここに悲観的なものは少なく受け取れる。即座に「そんな日が来たら仕方ないなって抱きしめてね」とくるのだが、ここの「仕方ないな」も愛おしさが込められているように感じ取れるし、なにより「これから」と未来を当たり前に歌うようになっているのも、かつてのあたしを思えば劇的な成長とまで言ってしまってもいいのかも知れない。とても強い幸せを感じる。
少し不安で愛おしいと綴るあたしは、どこか自分の不安ばかり抱く性格や性分を前向き……というか、人間らしいものだと、愛しいものとして受け入れられるようになったと思う。それもまた、「あなた」との出逢いやその他の楽しいことで変化してきたことだろう。
はしゃぐ時の中で何かを忘れても、何か不安に感じることがきても、今のあたしと、そばにいるあなたなら大丈夫だろう。二人の未来は捨てられず、つまらないとも思われず、あたしの手の中にしっかりとある。
そもそも「はしゃぐ時の中」と言ってしまえるだけすごい。楽しいことだらけじゃないか。そう、一番サビで「楽しい事 なんてこの世には死ぬほど沢山あるのよ」と言っていた通りのことが、まさに表されていくのである。
まとめていても思うのだが、本当にこれがaikoか……???(だからaikoを何だと思っていらっしゃる?)と思うくらいに陽の気と多幸感がMAXの、縁起の良い曲であるとつくづく実感している。多くの人に好かれるのも納得だ。
歌詞を読む・大サビ
大サビは一番サビのリフレインなのでこれといって新しい要素はないが、改めて読んで綴っていきたい。
忘れたくないこの気持ち
未来に希望を持てず、最初から諦めて未来を捨てていたあたしは、確かにいた。もしかしたら、今も少し存在しているのかも知れない。aikoがあじがとレディオで「性格」だから仕方がないと言う風に語っていたように、そう簡単には浄化されないものだ。それはもうその人に染み付いてしまっているもの、その人自身なのだから。
それでも、過去の諦めきっていた自分に対し「楽しい事 なんてこの世には死ぬほど沢山あるのよ」と、「今」そう言えることは成長で強さだ。たとえこの先何か気持ちを曇らせるようなことがあっても、今のあたしには乗り越えていけるだろうし、絶望することがあっても、aikoが「こう思える気持ちを忘れたくない」と思ってこの曲を書いたように、こういう気持ちがある、そうなったことがあるのは、人生において宝だ。少しでも先に希望が抱けるようなったことが、あたしをこの先も支えてくれるに違いない。そう思う。
すべての出逢いにありがとう
そして、こんな風に思えるようになったことこそ奇跡だ。あなたとの出逢いで変わっていったのを思うと、やっぱり恋っていいものだな……としみじみ思ってしまうのである。
この曲はラブソングだから恋の話をしたけれど、恋でなくとも、誰かとの出逢い、何かとの出逢いが、人を変えてくれる。未来を拾いにはそのことも思わせてくれる一曲である。
まとめると月並みではあるが、この先も頑張って乗り越えていける、そんな風に思わせてくれる、前向きで明るく元気な一曲だ。
本当にaikoには珍しいくらいにわりと突き抜けて明るく、ハッピーかつラブラブとした曲だと思う。そりゃaiko三昧で三位にランクインするし、うたことばで一位を取ってしまうというものだ。aikoの詩。のカップリングセレクションに収録されたのも必然と言っていいかも知れない。この曲をベスト盤に入れないことがもしあったとしたら、それはあんまりにも勿体なさすぎるというものである。そもそもそのカップリングベストで一曲目を飾っているのも、さもありなんという感じだ。
またライブで聴きたいし、いっそライブの最高潮である後半やアンコールの定番曲にもなって欲しいところだ。
おわりに -今こそ未来を拾いに行こう-
素直な曲なので特にこれ以上掘り下げて語ることもないのだが、最後に書いた方がまとまりがいいかと思っていたことを書いて終わろうと思う。書いているうちに筆がノッてきてしまってわりと自由な想像も入ってくるので、読解の段落を抜けたここで書くのがちょうどいい。
何について書くのかと言うと、「未来を拾いに」というタイトルについてである。
このタイトル、曲全体を見た上で言うと、「元から落ちているもの」を拾っていく、というニュアンスよりも、「捨ててきたもの」や「落としてきたもの」を拾いに行っている、というニュアンスを感じる。
かつての──「つまらない」と、毎日を、それからおそらく未来に対しても思っていたあたしは、きっとあらゆる未来を「捨てて」きたのだろう。本当はその捨てた未来に沢山の「楽しい」や「希望」が隠されているにも関わらずだ。
ならばその、捨てたものを手に入れ直す……まわりくどい書き方をした。“拾い”集めているのが、現在のあたしだ。(ところで拾い集めると言うと少し「トンネル」の歌詞も思い出す。あれは心だけど)
未来や現在を少しずつ前向きに捉えるようになって、楽しい、とも素直に、最初から諦めず思えるようになって──そこであたしは、かつての自分のことを思い出す。はなから希望を持たずに捨ててきた、未来達を思い出す。
成長し、少し明るく強くなったあたしはそこで思うのだろう。未来は捨てたもんじゃなかったと。だから今、あたしはそれを拾い集めにいくのだ。
拾いながら、あたしはかつての自分に思うだろう。それこそ歌詞の通りに。
楽しいことなんてこの世には沢山ある。一つ拾うたびにそう思い、また一つ拾うたびに「だから笑うの」「もっと笑って逢いに行こう」とも思っていてくれればいいと、私はそんな風に想像する。
拾って拾って、行き着いた先に、かつてのあたしがいるのかも知れない。今のあたしが拾い集めた楽しい未来を見せて、そして、かつての自分の手を引いてあたしは、まだ見ぬ「これから」に向かっていく。──絶望していた過去も、今もあるついネガティブに思ってしまう性格も、全部ひっくるめて自分なのだから。
と、こんな風な想像をついしてしまう。願わくば作者のaikoもそんな気持ちだったらいい。
前向きな一曲、未来を拾いに。aiko本人にある暗い部分を込めつつも、それでもなお未来への希望と喜びを確かに綴るこの曲は、記事の終わりになって言うのも何だが私が思っていた以上に、私がずっと伝えていきたいaikoの姿を宿していたように思う。
曲名の通りに未来にずっと聴き継がれる名曲として、これからも語り継ぎ、歌い継いでいきたい一曲である。
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