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生還6・化学療法に向けて心の準備

暑さのないまま終わった夏

8月末、夏の終わりと共に私は退院しました。
ストーマ造設手術が無事に済み、そのケア方法も一応覚えたので、生きるためのプログラム・ステップ1は完了です。次の入院は2週間後、ひとまず家へ帰って小休止といったところでしょうか。

病院を出て家へ向かう途中、ふと気づいたのは「この夏、暑さを感じなかったな」ということでした。7月初めから入院までの間は高熱が続いていたため、寒気がしたり火照ったりといった体温異常に振り回されて、気温のことは意識もしませんでしたし、さらに入院してからは病院の完璧な空調に加え、怒涛の日々を過ごすのに精いっぱいで、ますます温度のことなど感じる余裕がなかったのです。
突然命の終点が目の前に迫り、しかしそれを迂回して旅を続けられるルートが開け、それまで経験したことのない冒険に満ちた道を進み始めた夏。精神的にも肉体的にも、温度を感じるひまのないまま季節がうつろう、というのも人生初の経験でした。

久しぶりに家へ帰ってみると、パソコンと仕事関係のあれこれをかきあつめ、最低限思いつくだけの日用品を詰め込んで慌てて病院へ引き返したあの日のまま、時間が止まっていました。さほど貴重なものがある家でもないのですが、私の部屋にはひとつだけ可愛がっている観葉植物があります。こまめな質ではない私でも、なんとか枯らさずに2年ほど一緒に過ごしてこられたアロマティカス。頻繁な水やりを必要とせず、温度管理も室内ならたいして気を遣わなくていいという、ずぼらさんと相性抜群のがんばりやさんです。それでも、さすがに半月も放置したのでは枯れてしまったかもしれない、申し訳ない……と思ったのですが、なんと! 
生き生きと緑色に茂ってくれているではありませんか。
ここを出て行った時と違って、体内に癌を抱えていることを知り、ストーマの「ちょ~」という新たな相棒を連れて帰って来た私を、変わらぬ瑞々しさで迎えてくれたアロマティカス。ぽわぽわとした小さな葉に、強靭な生命力を宿している証を見せてくれたことが、そのときの私には何より心強いメッセージに思えました。

命のあるものならば動物も植物も、必ずいつか終わりを迎えます。それは知識として当然分かっていることでした。それでも、「自分の終わり」を受け止めるのが決して容易ではないのだということは、感覚として初めて知りました。
命は儚い、けれど重い。
だからこそドクターをはじめ医療に携わる方々は、力の限りを尽くして救おうとしてくださるのでしょう。必ず終わる命、その終わり方を自分で選べるものでもない――けれど自分以外の誰かが必死で守ってくれたものを粗末にはできません。私は目を見開いて立ち向かう決意をしました。私が生きるためのプログラム・ステップ2――化学療法です。

化学療法についての説明は、主治医のT先生からだけではなく、薬剤師さんからもしていただきました。この病院には「がんトータルケアセンター」という区域が設けられていて、その中に外来化学療法室があります。ここに常勤している薬剤師さんが、カウンセリング形式で時間をとってくださるのです。どのような薬剤を使うかは、この時点ですでに決まっていました。入院中に受けた遺伝子レベルの検査(……結構、お高かった……涙)によって、適合するであろう薬との相性を見ていただいてもいました。それをふまえて私が受けることになった化学療法のコースはFOLFOXIRIで、メインとなる薬剤はエルプラット(オキサリプラチン)、イリノテカン、レボホリナート、5-FU(フルオロウラシル)。初回は入院して、二回目以降は外来化学療法室で行う、14日おきのサイクル全6コースと聞きました。正直、このあたりは先生の判断にお任せするしかありません。私にとって重要なのは副作用についての説明です。
薬剤師さんは、それぞれの薬剤に多種多様な副作用があること、それらが発現するパーセンテージ、発現したとして症状の強度は人によって大きく異なること、対処法としてでき得ることは何か、など小冊子を基に丁寧に教えてくださいました。いやいや、私の知識や想像をはるかに超えて抗癌剤の副作用というのは大変なもののようです……

若くして大腸癌でこの世を去った私の妹は、治療中に幾度と知れない手術と化学療法を受け、特に化学療法では副作用に苦しみました。それを、言葉で私たち家族に伝えることはほとんどありませんでしたが、三姉妹の誰よりもふくよかで生命力を感じさせた体つきが骨と皮だけにやせ細った様は、何より雄弁にそのつらさを語りました。
私にとってこの副作用はまさに恐怖の対象でした。化学療法に伴う様々な副作用の中でも、特に私が怖かったのは吐き気・嘔吐です。
実際に精神科や心療内科で診断を受けたわけではありませんが、私はいわゆる嘔吐恐怖症です。物心ついたころから現在に至るまで、一度も吐いたことがありません。私はシングルマザーで子どもはおりますので、我が子たちの嘔吐を処理することはあり、それは不思議と平気でした。さぞ苦しいだろう、かわいそう、という思いしかないのです。ただ、自分が嘔吐するのはどうしても想像できませんし、子どもでもない他人だったら補助してあげられるかどうか……。それほど恐ろしい嘔吐が、抗癌剤副作用のトップに君臨しているのです。同率一位くらいで認知されている副作用「脱毛」でさえ、私にとっては全然問題ない!そっちはいくらでも受け入れるから嘔吐だけはいや!というレベルでした。
ですから、命の大切さをとことん思い知ったこの状況に至ってさえ、吐くくらいなら死ぬ……と、87%くらい本気で思っていました。

色々迷った末、信頼している医療チーム――特に主治医T先生――に、あえて申し上げました。

「私、ほかの副作用は耐えますが、吐くのだけはどうしてもいやなんです」

これは言ってよかったと、今も痛切に思っています。T先生は微笑を浮かべ「化学療法は副作用への対処法もどんどん進化しています。複数の制吐剤を使ってコントロールしますから大丈夫ですよ」と教えてくださいました。
もちろん、何事にも100%は存在しないように、制吐剤がどれほど優秀でも合わない場合だってあるでしょう。いやなものはいや!と主張したところで体質や偶発事項など未知の要素で避けられないこともあるでしょう。それでも、苦手なものを知っていただいているのといないのとでは、大きな差があります。癌患者の治療目的の中でQOLというものが重要視されていますが、まさしくそういうことなのでした。弱みをさらけだし、いやなものはいや!と宣言しておく――それだけで気持ちが楽になるのです。自己満足であっても、「満足」することこそが大事なのです。

私は幼いころから、弱みを見せることができない質でした。同様に、わがままを言うことも、できませんでした。他人が弱みを見せたりわがままを言ったりすることさえ許せないくらいに、それらは「悪いこと」だと思ってきたのです。だから、誰かに甘えることも苦手だったのですが、この病気になって自分ではどうすることもできない状況に陥り、周りの方々に助けていただくうちに、分かってきました。自分は無力だと認めること、差し伸べてくれる手をとってもいいんだということが、どれほど希望につながるか――。

このあと、私は様々な副作用に直面します。その辛さを緩和するためのサポートをしてくれるチームは、私にとって「溺れる者がつかむ藁」つまり、心の底から頼れる人々です。そのひとたちに弱点を知っていてもらうことは、絶大な安心感になるのでした。

夏真っ盛りのあの日、あの整形外科医院へ行かなかったら、夏どころか人生が終わっていたのかもしれません。しかし幸いなことに、生きて退院することのできた私。
秋がめぐってこようとする空を見上げ、暑さを感じなかったことに加えてもうひとつ、すごいことに気づきました。
――この夏、ビールひとくちも飲まなかった……

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