奇跡の使い方
「奇跡の〇〇」
「〇〇できたことが奇跡」
「奇跡」ということばの汎用性は高く、
感動や希少性を伝える時に使われる。
意味の中には偶然性や超自然的も含まれる。
ことばの手軽さからか至る所で使用されているが、
意味が薄れているし、どうもしっくりこない場面がある。
特に作品のキャッチコピーで使われているとモヤモヤが止まらない。
ある書籍の宣伝ツイートで、
「奇跡とも呼ぶべき傑作」
と紹介されていた。
確かに相当なクオリティの作品で、
読んだであろう中の人の熱量は伝わる。
(私もはやく読みたい)
だが、この宣伝において奇跡を使うのは軽率に感じる。
書籍の著者は多くの時間をかけ苦労して産み落としたであろう。全ての作品にはできるべくして、できた必然性がある。(偶然性は排除しない)
なぜこの作品ができたのか、なぜこの作品を作ったのか。作り手の意図や苦労または作品が私たちにもたらす影響などに焦点を当てるべきだ。
著者や編集、時代、社会、情勢、様々な因果が絡み合いできあがった作品で何か一つでもかければ完成しなかったという意味での「奇跡」という解釈はできるが、著者の才能を軽んじてる気がしてならない。著者に対する偶像視も原因にあるのかも。著者が存在していることすら奇跡的な。
「奇跡」を何に置き換えるか考えてみる。
渾身、必読、キャリアハイ、新たな代表作・・・
自身の語彙力のなさに情けなくなるが
まだこっちの方がいい。
単純なことばでぼかさずに考える、伝える、ことをさぼってはいけないと思う。(自戒も込めて)
勢いだけで書いてみたが、明日その書籍を買って読んだら案外奇跡だと思ってしまうのかも。