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私と標準画角

50mm
よく標準画角として取り上げられる焦点距離です。


Nikon FやCanon F1などの時代を代表する一眼レフカメラに当時のキットレンズとして付属してきたレンズといえば50mm単焦点レンズだった。


現在の標準レンズといえば24-70mmやaps-cだと18-55mmが一般的ですが、〜80年代初頭までは50mmがキットレンズだった。
キットレンズではなくなった今でも50mmを買えと言われることがあるようだ。
私も聞いたことがある。

僕が一眼カメラを初めて50mmを使い始めた時(換算で50mmぐらいのレンズでしたが)、微妙な焦点距離で使いにくいなと思っていた。
多分誰もが感じるのではなかろうか。

しかし今では稼働率が1番高いレンズになっている。
何故、私は50mmレンズを使うのか、一眼カメラを持って4年。改めて考えてみた。


まず50mmとの出会いだ。


私は最初、初めての一眼レフカメラとしてNikonのD50を借りて写真を取り始めた。
D50といえばCCDセンサーを搭載した入門機の始まりとも言えるカメラだ。
この後継機として名機D40が登場するが、D40とは似て非なる入門機としては大型の一眼レフカメラだった。


それで鉄道を中心に写真を撮っていた時、父からレンズを借りた。
それがSIGMAの30mm f1.4だ。


子供の頃の私を撮るために6万円ほどのお金を出して買ったレンズだと言われた。


とても重いレンズだったが、装着して撮ってみるとその写りは別格だった。
開放からふんわりとしたボケ(もちろん今考えれば色収差などは感じますが)を出してくれるレンズで驚いた覚えがあります。

その時からですが、同時に難しいレンズだなと感じたのは。
鉄道を被写体としていた私には難しいなと思いましたね。
ちょっと広いんだ。


そこからしばらく使わない期間が続いたが、中学生になり撮影にいける行動範囲が広くなったお陰で多くのレンズを持ち歩くようになり、使うようになった。
そしてその年の8月、NikonのD300sを購入。
その時から更にこのレンズを使うことが増えていった。


絞った時の写りとボケ感と、決して万能では焦点距離に逆に使いやすさを感じるようになり。撮っていた覚えてがある。
当時撮影した写真を載せておくとしよう。

明るいレンズだったので、夜間の撮影にとても重宝した。
あとは絞った時の解像感にはとても感動したのだった。

しかし中3になった時に50mmを買って(S AUTO NIKKOR 50mm f1.4)からは使用頻度がいっきに減りました。
やはり換算75mmの方が鉄道撮影には重宝したようだった。



しかし8月。
祖父が病気で亡くなった。


一見すれば何も関係のないことのように思うかもしれないが、私は亡くなる1週間前に30mm f1.4で最後の祖父の姿を撮っていた。
写真をみると50mm(換算75mm)よりも祖父が生きていたということを感じる空気感があったのだ。

広いようで長いような焦点距離。
だが、その50mmという長さが映し出す空気感は違うんだなと、さすがだなと感じた時だった。

高一の春。
受験も終わり一段落。


そのときに入学祝いに初のフラッグシップフルサイズ機のNikon D4を買って貰いました。

この日に一緒にAiの50mm f1.4も買った。
ここからまた50mmでの撮影が戻ってきたのである。

(左からNIKKOR-S Auto 50mmf1.4、Ai 50mm f1.4、Ai 50mm f1.8)


自分の思いをそのまま写真にこめれるレンズ。

それが50mmなのだろう。

人を撮る時、構造物を撮る時、一瞬を切り取る時。
私たちがいつも一点集中というか何かを見ていたり、ボーとしてる時の距離感なんだなと。

だからこそ取り方は人それぞれ、自分の価値感、考え方、切り取り方。


私はこのレンズで全てのものの"人生"を撮っていこうと思う。
形あるものはいつかなくなる。
写真という形で私の心を人の心へ。


それこそが私の表現の仕方だ。

(9/9 Tamaki)

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