『フランス人は服を10着しか持たない』ってわりと本当みたい!!
イギリスにいる友達からメッセージが届いた。
最近フランスに住む友達と話をする機会があったらしく、そこで話した話を私にシェアしてくれた。
『フランス人は服10着しか持たないって割と本当みたい!1つ1つは本当にいいもので、一生着たい位お気に入りのものを少しだけ持っていて、大事に手入れして着る』
『イギリス来る前までさヨーロピアンってみんなファッジ(雑誌の)とかあんな感じの服装だと思ってたけど全然そんな事なく😂
みんなもっとカジュアルだしラフだった』
と。
最近の私にとって、とてもタイムリーな話で、それを聞いた私はなんだかとても嬉しかった。
この友達とは価値観がすこぶる合うのでよくこういった類の話をする。ものの見方とか、起こった出来事に対しての考え方、人生とか、やりたいこととか、、、
今回は、身につけるものについて。
何度も言うようだが、最近離婚した私はいろんなものを手放した。
狭い1Kの家に引っ越すこともあり、身軽になりたいこともあり、服も半分くらい手放した。
元々、自分が心から気に入った服というのは少なかったためほとんど着ないものも溢れていた。
そして、心機一転、本当に心からの一生着たいくらいのお気に入りのワンピース、それもいろんなシーンで着られる1着があったらいいなと思っていたら、わりとすぐに出逢った。
目の前を通り過ぎた瞬間に、何かを感じたくらい。
試着をして、即購入決定。
前に"見栄を張ることをやめた日"という記事を書いた。
この話もそこからくる。
"周りからどう見られたいか"
"同じ服着てると思われるのが少し恥ずかしい"
"おしゃれさんと思われたい"
わざわざ毎日そんなことを意識していたわけではないが、知らず知らずのうちにそういう思考はあったように思う。
でもそんなのは結局のところ不要な思考だったのだ。
見栄を張ることをやめた私は、周りからどう思われたいかではなく、自分がどう感じるかに対していい意味でとても敏感になり、そしてその感覚が洗練された気がする。
毎日出勤する時の服装が同じはなんか嫌だなぁという心理からもう何着か服が欲しいと思ったが、それは今考えてみれば
"汚いから"ではなく"汚いと思われたくないから"
"おしゃれ"ではなく"おしゃれと思われたいから"
という思考が働いていたのではないかなと思う。
もちろん、1年中洗濯しないで1種類の服を通勤も仕事も寝る時も着続けたらそれはさすがに自分が、"不快だなぁ"と感じる。
でも、通勤の自転車に乗る往復20分しか着ない服を、毎日洗っていないからって私は不潔と思わない。仕事中はユニフォームがあるので着ていない。じゃあ、毎日同じ服でもいいじゃないか。
自分が嫌だと思わないのだから。
むしろ、本当にお気に入りの服を通勤で毎日着ていた方がよっぽど気分が上がるじゃないか。
お出かけにしてもそう。
この人の前でこの服もう着たから次はどうしよう、、、と考えていた私が正直いた。
でも、今思えばなんでそんなことを気にしていたのだろうかと思ってしまうほど、そんなのはどうでも良かったのだ。
結局今私が身につけているものというと
通勤は1〜2本のデニムと、2〜3着の厚手の服、そして1着のアウター、1足の靴のみ。
お出かけは1着のワンピースと、その下に履くタイツor1着のパンツ、暑さ寒さの調整のためのワンピース の下に着る服(通勤で着てる服なので実質0カウント)そのセットかもしくは、何年も着ているお気に入りのニットとタイトスカート、1〜2種類のピアス、1つのネックレスとバングル。そして1足の靴(これも通勤の時と同じなので0カウント)
本当に心から気に入ったものを大事にした結果、他のものを着た時に、やっぱりそっちのお気に入りを着たい気持ちが勝ってしまったのだ。
気付いたら、10くらいのものだった。
それらを身につけている自分が周りからどう思われるかなんてどうでも良くて、それらを身につけているだけで、自分が、私自身がとてもhappyな気持ちになるのだ。
この先もそういう私を幸せにしてくれるものと出会った時には購入するが、それというのはそうそう現れるものじゃないと思う。
今ある本当にお気に入りの一着一着を、大事にお手入れして、この先もずっと使っていきたい。
そして、その大事なものがちゃんとお手入れされて、ちゃんと大事にできるためには、ものが溢れていたら見失いそうになってしまうものだ。
思考も、ものも、人間関係も。
溢れかえっていると、本当に大事なことを見失いそうになるもの。
自分が本当に、心から幸せと感じられるものや出来事、人、思考をとことん大切にしていきたい。
そしてそれは、多くなくていい。
今あるとっておきのものたちを、人を、過ごし方や出来事を、私はこの先もずっと大事にしていきたい。
そしてこの先もそんな運命的な出会いがあったら、また新たな1つの宝ものとして迎え入れ、大事にしていきたいなと思う。
ちなみに、決していろんな服を着飾っている雑誌やモデルさん達を否定しているわけではなく、むしろそれらは自分が運命的に気にいるものの選択肢を広げてくれているのだと思っている。
いろいろあるよと教えてくれているんだよね。
だからそれを真似して、たくさんの服や靴を並べること自体は私自身にとっては特に意味はないのだ。
フランス人を目指すわけでも、ミニマリストを目指すわけでもないけれど、私が大事にしたい生き方が分かったら、そこにはそれらに重なるものがある気がした。
そんな話題を友達が共有してくれたことがまた、今の私にhappyの上乗せどころかhappyを何倍にもしてくれたので、
ありがとう。